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例幣使街道・嘉右衛門町通り
「とちぎ山車会館」の正面入り口から出ると、栃木市のメインストリートの「蔵の町大通り」です。 左手方向(北方向)に300m程進むと「万町交番前」の交差点です。 交差点を左折し50m程先の交差点を右折すると、道が二手に分かれています。 左手方向の道が日光例幣使街道です。
例幣使(れいへいし)街道は、京都から日光東照宮へ幣帛(へいはく)を奉納する勅使が通った道です。 元和3年(1617年)、徳川家康の霊柩が日光山に改葬されましたが、その後正保3年(1646年)からは、毎年京都の朝廷から日光東照宮への幣帛を奉納する勅使(例幣使という)がつかわされました。 その勅使が通る道を例幣使街道と呼びました。
例幣使は京都から中山道を下り、倉賀野(現高崎市)から太田、佐野、富田、栃木、合戦場、金崎を通り日光西街道と合流する楡木を経て日光に至りました。 この例幣使街道が通る栃木の宿は、東照宮に参拝する西国の諸大名も通り、賑わいを見せました。 この例幣使街道の一部が、現在の栃木市の中心街をなす大通りや嘉右衛門町通りで、その両側には黒塗りの重厚な見世蔵や、白壁の土蔵群が残り、当時の繁栄振りを偲ばせています。
岡田記念館
交差点を右折して日光例幣使街道に入ると「嘉右衛門町通入口」のバス停があり、進むに従い昔の街道の雰囲気が残っている街並みになります。 交差点から300m程日光例幣使街道を進んだ右手が「岡田記念館」です。
岡田記念館1号館
岡田家は550年以上の歴史を持つ旧家で、江戸時代には畠山氏の陣屋となっていました。 4000平方メートルにも及ぶ広大な敷地には3棟の土蔵があり、歴代当主が収集した武具甲冑、美術品など、岡田家伝来の宝物が展示されています。
岡田記念館2号館
岡田記念館3号館
岡田家は江戸時代に未開地を開墾して村民に生活の基礎作りを指導し、安定した村落づくりに貢献したと言われています。 以来、当主の名を取り、この地を嘉右衛門新田(現嘉右衛門町)と称しました。
例幣使の使用したお膳
岡田石灰第2工場
野州麻加工道具
理髪店
岡田家は例幣使街道沿いの現在地に居宅を構え、代々嘉右衛門を襲名しており、現在の当主は25代目だそうです。 同家の名前を取り、この付近の例幣使街道は嘉右衛門町通りと呼称されています。 入館料は700円で、休館日は金曜日です。
岡田記念館・別邸翁島
「岡田記念館・別邸翁島」は、岡田記念館の傍の三叉路を入った巴波川の傍にある、大正時代の岡田家当主の別邸です。 嘉永4年生まれの第22代当主岡田孝一は、隠居して家督を長男に譲った後、巴波川を使った足尾銅山の産洞の輸送に尽力した後、70歳を迎えて別荘建築を発起し、鉄道開通によって不要になった自家の荷揚場を選んで建築したものです。
別荘は、宮大工を使って建築した工匠の技の結晶です。 杉、檜、欅など銘木を集め、釘を一切使っておりません。 幅90cm、長さ13mのケヤキの1枚板を使った見事な廊下や、樹齢3千年の屋久杉を使った天井などが見所ですが、撮影ができておりません。 岡田記念館の入場券で見ることができます
白い蔵の公園
「岡田記念館」から来た道を「万町交番前」交差点まで戻ります。 「万町交番」の傍に公園がありますが、蔵の町らしい、蔵造りの公園です。 「万町交番」も白い蔵造りです。
万町交番
「万町交番前」の交差点方、蔵の町大通りを栃木駅方向(南方向)に向かいます。 蔵の町大通りは、栃木市のメインストリートで、道の両側には店舗(見世蔵)が並んでいます。
「万町交番前」から200m程進んだ左手に「下野新聞社」があり、その50m程先に「古久磯提灯店」があります。 「栃木グランドホテル」のすぐ隣です。 「古久磯提灯店」は通りに面する2階建て桟瓦葺の見世蔵とその奥に続く木造2階建ての住居部分からなっています。
下野新聞社
栃木最古の見世蔵 古久磯提灯店
見世蔵は弘化2年(1845年)の上棟で、建築年代の判明した蔵造りの店舗としては、蔵の街の中で最古で、全国的に見ても古い見世蔵に属しています。 また、現在では栃木市で唯一の提灯店です。 残念ながらこの日は閉店していました。
山本有三ふるさと記念館
「古久磯提灯店」から100m程進んだところが、「山本有三ふるさと記念館」です。 蔵の街大通りの反対側には、「とちぎ蔵の町美術館」「とちぎ山車会館」があります。 「路傍の石」などで知られる文豪・山本有三は栃木市出身です。 館内には、愛用の椅子や回転書架、帽子、服、自筆の原稿や映画化時のポスターなどが展示されています。
2階への急な階段
「山本有三ふるさと記念館」は、江戸末期に建てられた見世蔵を「山本有三記念会」が改修、整備して平成9年に開館したものです。 そのため、館内は複数の蔵を繋げたような作りになっており、展示室入り口の扉も蔵の扉でした。
あだち好古館
「山本有三ふるさと記念館」から駅方向に100m程進んだ左手が「あだち好古館」です。 「あだち好古館」は、文久3年(1863年)に建てられた呉服問屋の蔵を使った博物館で、江戸末期から呉服問屋を営んでいた安達幸七が蒐集した浮世絵や屏風、書画、彫刻、古美術品などを主に展示公開しています。
1号室〜7号室まであり、内容によって分類されています。 特に安藤広重の「東海道五十三次」全55枚をはじめとする浮世絵や、歌舞伎絵のコレクションは素晴らしく、粋な江戸文化に触れることができます。 入館料は200円で、定休日は月曜日です。
とちぎ蔵の町観光館
「あだち好古館」のすぐ隣が、「とちぎ蔵の町観光館」です。 「とちぎ蔵の町観光館」の建物は、もと「八百金」の名で知られた荒物・麻苧問屋田村家の店舗(見世蔵)、住居(母屋)、付属屋、土蔵群でした。
土蔵群は戦後になり「蔵のアパート」として利用されてきました。 現在、大通りに面した見世蔵では観光案内と土産品販売、奥の土蔵群はお食事処と土産品販売を行う蔵の街観光の拠点施設として活用されています。 館内にはそば処もあり、十割そばが好評とのことです。
神明宮
「とちぎ蔵の町観光館」の土蔵群に沿って路地を奥に進むと「神明宮」があります。 「神明宮」は応永10年(1403年)、栃木城内神明宿(現神田町)に創建されたと言われています。 天正17年(1589年)に現在地へ移され、栃木町の総鎮守となりました。
社殿は伊勢皇大神宮に倣い、神明造りです。 明治5年(1872年)県社となりました。 現在の拝殿はもと、中教院の講堂として明治8年(1875年)に造られたものを使用しています。 栃木の地名は、この神明宮の屋根ぐしの千木(ちぎ)から出たとも言われています。
蔵の町大通り
蔵の町大通りの見世蔵
「神明宮」の近くには、山本有三が眠っている「近龍寺」、栃木市出身の第2代横綱綾川五郎次の墓のある「定願寺」、栃木市出身の孤高の日本画家・田村一村が眠っている「満福寺」などがありますが、今回はパスしました。
「神明宮」から蔵の町大通りに戻り、見世蔵(店舗)を眺めながら、南方向に700m程進むと栃木駅です。 蔵の町大通りは例幣使街道であり、宿場町として栄えたことから多くの見世蔵(店舗)が残っています。 ただし、栃木の蔵の大半は、明治、大正時代の建造されたものです。
幕末に天狗党と称する水戸の浪士によって放火され、町の大半が焼失してしまいました。 その教訓から火災に強い蔵造りの建物が普及したとのことです。 見世蔵(店蔵)で商いを続けている老舗商店も多く見られ、古い物を大切にして暮らしている人々の生活を垣間見ることができます。
関連するホームページ 栃木市観光協会・蔵の町 蔵の街・栃木散策その1へ 風来坊