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足利散策 その1 (H23.12.13)


足利学校



JR足利駅

足利氏ゆかりの地で、「東の小京都」とよばれる古都・足利。

古くから織物の街として栄え、史跡足利学校や鑁阿寺をはじめとする社寺が点在し、この地域の歴史を物語っています。

市内中心の石畳み通り周辺には、蔵や趣のある建物が並び、どこか懐かしく、歴史の町歩きを楽しむことができます。


今回は次のコースで散策しました。

JR足利駅→足利まちなか遊学館→太平記館→史跡足利学校→鑁阿寺(ばんなじ)→足利織姫神社→JR足利駅


足利まちなか遊学館



八丁撚糸機



足踏み織機

JR足利駅の北口を出て真っ直ぐ北に向かい、最初の交差点「JR足利駅入口」の信号を左折し、200m程進むと「通1丁目」の交差点です。

この交差点から50m程進んだ右手が「足利まちなか遊学館」です。

「足利まちなか遊学館」は足利の歴史や文化を学ぶことができる施設で、平成15年3月にオープンしました。


織物の街として古くから栄えてきた足利を紹介しており、織物の機械や織物のサンプルなど、織物に関する貴重な資料が展示されています。

群馬県、栃木県には明治・大正時代に織物産業で栄えた町が多いですが、足利もその一つです。

江戸時代後半、この一帯で作られた織物は足利織とよばれ、普段着用として広く全国に知られていました。


足踏み織機



足利まちなか遊学館から真っ直ぐ進むと足利学校

その技術が花開き、生産が拡大したのが昭和初期です。

解しとよばれる染織の技術が発達し、モダンで華やかなデザインに加えて値段も手頃な「足利銘仙」は人気が高く、当時の生産量日本一を誇っていたとのことです。

織物の機械としては、足踏み織機や大きな八丁撚糸機を展示されています。

また、手織り体験コーナーがあり、予約なしでも裂き織のコースター作りを体験できます。所要時間は30分から40分程度で、料金は400円です。


「足利まちなか遊学館」から北に100m程進んだところが「史跡足利学校」の入口ですが、今回は「通1丁目」の交差点に戻り、国道293号線を北方向に150m程進んだところにある「太平記館」に立ち寄りました。

「太平記館」は平成3年に放映されたNHK大河ドラマ「太平記」の放映を記念してオープンした資料館で、登場人物が身につけていた鎧などの展示のほかに、地元特産品の販売コーナーがあります。


また、観光情報も提供されています。


太平記館



足利学校全景



足利学校

「太平記館」の国道239号線を挟んだ西隣が「史跡足利学校」です。

国道を渡る歩道橋の上からは、足利学校の敷地を一望することができます。

歩道橋を渡り、道標に従って細い路地を進むと、足利学校の入口の入徳門です。



足利学校入徳門


足利学校は、日本で最も古い学校として知られ、その遺跡は大正10年に国の史跡に指定されています。

足利学校の創設については、奈良時代の国学の遺制であるという説、平安時代初期の天長9年(832年)に小野篁が創建したという説、鎌倉時代の初期に鑁阿寺を開いた足利義兼(足利尊氏6代の祖)が建てたという説、室町時代中期の永享11年(1439年)に関東管領・上杉憲実によって開かれたという説などがあります。


孔子像



学校門

学校の歴史が明らかになるのは室町時代中期以後です。

永享11年(1439年)に上杉憲実が関東管領になると、学校を整備し、学校領とともに孔子の教え「儒学」の五つの経典のうち四経の貴重な書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から禅僧快元を招いて初代庠主(しょうしゅ:校長)とし、学問に道を興し、学生の養成に力を注ぎました。

その後は、代々禅僧が庠主になりました。



遺蹟図書館


足利学校では、孔子の思想を発展させた学問である儒学を中心に、天文学、易学、兵学など、多岐に渡って教えられていました。

足利学校は、応仁の乱以後の戦乱の世の中にあっても、学問の灯を絶やすことなく継続され、永正年間(1504年〜1520年)から天文年間(1532年〜1554年)には学徒三千といわれるほどに隆盛しました。


孔子廟



小野篁像


孔子座像



南庭園



方丈



玄関と方丈

天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されています。

江戸時代の末期には「坂東大学」の役割を終え、明治4年の廃藩置県により足利藩が廃止され、明治5年に足利学校は蔵書とともに栃木県に引き継がれて、幕を下ろしました。



方丈内部



方丈内部


孔子


廃校直後から有志による保存運動が展開され、昭和57年(1982年)に足利学校の東半分にあった小学校の移転を契機に、史跡の保存整備事業に着手し、10年の歳月をかけて平成2年(1990年)に江戸時代中期の姿に甦りました。

郷土のシンボル、心のよりどころとして足利学校の精神は市民の中に連綿として引き継がれ、「学校さま」と呼ばれて親しまれています。


方丈



庫裏



北庭園



衆寮

入徳門から敷地内に入り、真っ直ぐ進むと寛文8年(1668年)創建の学校門です。

学校門をくぐると、広く緑豊かな敷地に、孔子廟や遺蹟図書館など貴重な建物が建っています。

東側にある方丈や庫裏、庭園などは平成2年に復元されたものです。



木小屋


土蔵



足利学校付近の街並み



足利学校付近の街並み


足利学校を出て、右手の石畳の細い路地を100m程進むと丁字路があり、丁字路を右折すると「大日大門通り」と名付けられた石畳の道になります。

足利学校付近は路地に石畳が敷かれ、古い建物が点在していることも相まって、レトロな雰囲気を醸し出しています。


足利学校付近の街並み



足利学校付近の街並み

「大日大門通り」を30m程進んだ三叉路を左にはいると、すぐ右手に「松村記念館」があります。

「松村記念館」は、大正14年(1925年)に建造された木造2階建て、入母屋造りの建物です。



松村記念館


主屋に付属している内蔵は地下1階、地上2階の3層構成になっています。

江戸、明治、大正、昭和期の松村家に伝わる調度品や生活用品のほか、足利出身の司法大臣、横田千之助をはじめとする政治家や、当時の文化人、学者などの資料を紹介しています。


松村記念館



足利尊氏征夷大将軍像

「松村記念館」から「大日大門通り」に戻り、北方向に200ほど進んだ突き当たりが「鑁阿寺(ばんなじ)」です。

「鑁阿寺」の少し手前左手に足利尊氏の銅像があります。



関連するホームページ


 足利市観光協会


 足利学校



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      風来坊



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