高崎〜横川間は明治18年(1885年)、軽井沢〜直江津間は明治21年(1888年)に開業しましたが、碓氷線と呼ばれた横川〜軽井沢間は、碓氷峠が急勾配のため、路線決定が紆余曲折し、明治26年(1893年)4月にようやく開業しました。この結果、高崎〜直江津間の全線が開業することとなりました。
横川〜軽井沢間の11.2km(標高差550m)は66.7パーミル(1000mで66.7m上昇)という鉄道としては急勾配のため(通常は30パーミル程度です)、ドイツの山岳鉄道で実用化されていたアプト式が採用され、昭和38年まで運行されました。アプト式は、機関車の車輪の間に備えた3枚の角度の異なる歯車をラックレールに噛ませる方式です。
しかしながら、アプト式の碓氷線は、速度が遅く、輸送力も低いという問題がありました。「アプト式」を使わない通常の「粘着式」運転の可能なEF63型電気機関車が登場し、輸送量の増加に対応するため、碓氷新線が昭和38年に開通しました。碓氷新線の開通に伴い、「アプト式」の路線は使命を終えました。
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