散策スポット目次
HOME
前ページ
次ページ
5号隧道軽井沢側入口
5号隧道
5号隧道横川側入口
めがね橋の両側には紅葉の木が数多くあり、秋には紅葉を楽しむことができそうです。 めがね橋を渡ったところにあるのが5号隧道です。 長さは243.6mで、トンネルの中が右にカーブしています。
5号隧道と10号カルバート
第5隧道を出たところに緑の高欄が設置されています。 この場所に第10カルバートがあります。 カルバートは基本的には橋梁の一部ですが、アプト式旧線では径間10フィート以下をカルバートと呼称していました。 第10カルバートは小さいながらもレンガのアーチです。
10号カルバート
4号隧道(軽井沢側入口) 前方は3号隧道
4号隧道(横川側入口)
4号隧道は長さが100.3mです。 直線のトンネルで、4号隧道の入口から3号隧道を見ることができます。
3号隧道は長さ77.5mです。 直線のトンネルです。 3号隧道の出口から、4号隧道、5号隧道を見ることができます。
3号隧道(軽井沢側入口)
3号隧道(横川側入口)
アプトの道・あずまや前からの碓氷湖の展望
坂本ダム
3号隧道を出て、第2中山道跨線橋をくぐり、ゆるやかな左カーブを進むと左手にあずまやがあります。 ここで休憩することができます。 あずまやの前から碓氷湖を展望することができます。
ほほえみ橋からの展望
あずまやを過ぎると直線の下り坂ですが、ここの勾配が急になっており碓氷線の急勾配を実感できる場所とのことです。 急勾配の坂を下りたところが第2隧道ですが、その手前右手が碓氷湖です。
ほほえみ橋
夢のせ橋
碓氷湖は、碓氷川に建設された坂本ダムによって形成された人造湖(ダム湖)です。 昭和32年(1957年)に砂防事業の一環による砂防ダムとして建設されたものです。 当初の堤高は28.5mでしたが、昭和53年(1978年)に改修・補強工事が行われ、堤高を3mかさ上げしました。
碓氷湖
このダム改築と同時に碓氷湖の周辺整備も行われ、湖岸を一周する遊歩道や駐車場の整備、坂本ダム上の橋や湖を渡る橋梁の整備が行われました。 橋梁については、碓氷鉄道施設遺産群に配慮して、明治風のデザインが採用されています。
碓氷湖の広場に高野辰之の「紅葉」の碑が建っていました。 高野辰之は小学唱歌の作詞者として著名で、代表作として「紅葉」「故郷」「朧月夜」「春の小川」「春が来た」などがあります。 「紅葉」の詞の舞台となったのは、熊の平駅近辺といわれています。 アプト式のゆっくり走る車窓からの光景を元にこの詞が生まれたといわれています。 紅葉の時期にアプトの道をゆっくりと散歩したいものです。
2号隧道(軽井沢側入口)
碓氷湖からアプトの道に戻り、すぐにあるのが第2隧道です。 第2隧道は長さ112.8mです。 トンネルの中が左にカーブしています。 損傷が激しいようで、トンネル内部は補修工事が行われています。
2号隧道(横川側入口)
アプトの道からの光景
第2橋梁
第2隧道を出ると視界が随分開けてきます。 第2隧道から100m程進んだところが第2橋梁です。 長さ23.5m、高さ12.2mの一連アーチです。 遊歩道の両側に緑色の高欄が設置されています。 橋梁には朽ち果てたキロポストを見ることができます。 残念ながら、沢の下から橋梁を見ることはできません。
1号隧道
第2橋梁から右にカーブして暫く進んだところが第1隧道です。 この第1隧道の上を旧中山道が通っており、隧道の軽井沢側から旧中山道に出ることができます。 この付近の旧中山道は、急な山道になっており、「峠道探訪」の案内にも「上りも下りも急な坂道です。気をつけて!」と書かれていました。 第1隧道は長さ187.1mです。 中が少しカーブしています。
北原白秋の歌碑
第1隧道を出て100mほど進むと右手に北原白秋の歌碑が設置されています。 うすいねの 南おもてと なりにけり くだりつつ思う 春のふかきを
峠の湯
北原白秋の碑を過ぎて第1中山道跨線橋で、国道18号線(旧道)をくぐると右手が峠の湯です。 熊の平駅の出発点から約3.3km、横川駅まで約2.6kmです。 峠の湯には天然温泉のほか、レストラン、売店、ギャラリー、カラオケルーム、大広間、休憩室などが設けられています。
アプトの道はここでUターンしてトロッコ路線の反対側に
アプトの道はここでUターン
峠の湯を過ぎたところで、アプトの道はUターンする形でトロッコ列車の線路の下側をくぐり抜けて反対側に出ます。 反対側に出たところが、碓氷線と碓氷新線との分岐点です。 かつてのアプト式旧線はここから前方にある刎石山の左裾方向に向かい、新線は刎石山の右裾方向に敷設されています。 ここから先の新線跡は立ち入り禁止となっています。
アプトの遊歩道
霧積川橋梁
アプトの道はここから横川まではトロッコ列車の線路と平行して進みます。 遊歩道には軌道がそのまま残されており、舗装がされています。 遊歩道は信越本線時代の上り線(横川方面)の線路で、トロッコ列車が走っているのは下り線(軽井沢方面)の線路です。
現在は旧下り線にトロッコが走っているため遊歩道との間には柵が設置されています。 トロッコ列車の走っている旧下り線には信越本線時代の橋梁がそのまま残されております。 霧積川橋梁の軽井沢側に橋台のすぐそばに、アプト時代の第1橋梁跡を見ることができます。 レンガ造りの橋台のみが残されています
旧丸山変電所
霧積川橋梁を過ぎて暫く進むと旧丸山変電所です。 アプトの道の第3橋梁に次ぐ見所ということができます。 トロッコ列車も「まるやま駅」が設置されており、ここで5分程度停車し、乗客は列車を降りて写真を撮ることができます。 今回はトロッコ列車は「まるやま駅」の折り返しでした。
旧丸山変電所は、明治45年(1912年)碓氷線を走る機関車の電化に伴い建設された施設です。 碓氷線は日本で唯一アプト式を取り入れて、日本一の急勾配である碓氷峠を越えていました。 しかし、遅い速度、低い輸送力、トンネル内での煙などの問題で悩まされており、これを解決するために、日本で最初に電化されました。
丸山変電所の役割は、発電所からの電気を機関車に供給することでした。 昭和38年(1963年)の新線開通に伴い丸山変電所はその役割を終えております。 その後、丸山発電所は放置されて廃墟同然となっていましたが、日本の近代化に貢献した鉄道施設の様子をよく示すものとしての価値が認められ、平成6年(1994年)に国の重要文化財に指定されました。 平成14年(2002年)に修復工事が完了し、建物は建造当時の姿に復元されています。
丸山変電所は2棟の建物からなっており、向かって右側の建物が蓄電池室、左側の建物が機械室です。 蓄電池室には、機関車が峠にかかる時に必要な電力を補うために、312個の蓄電池が並んでいました。
トロッコ列車 まるやま駅 猿のお出迎え
機械室では、発電所から送られてきた交流電気を直流電気に変えて、蓄電池室内の蓄電池と機関車に送電していました。 レンガ造りの建築が盛んであった頃の建造物で、数少ない遺産といえるものです。 現在見学は外見のみで、内部は公開されていません。
トロッコ列車は満員です
アプトの遊歩道と碓氷橋
旧丸山変電所から少し下がった遊歩道の上を横切っているのが上信越自動車道「碓氷橋」です。 碓氷橋は全長1267mで上信越自動車道の中で最長の橋で、1992年完成です。 信越本線と霧積川に架かる222mの区間は、景観を重視して斜張橋となっています。 逆Y字型の主塔の高さは113mで、橋全体が緩やかな曲線となっています。
碓氷峠鉄道文化むら
アプトの道の終点の右側にあるのが、「碓氷峠鉄道文化むら」です。 碓氷峠の鉄道の歴史を展示する鉄道資料館のほか、野外ゾーンには碓氷峠で活躍した鉄道車両、国鉄時代の貴重な車両などを展示、公開しています。 トロッコ列車の運営も行っています。
碓氷峠鉄道文化むらとトロッコ列車
碓氷関所跡
アプトの道の終点近くの左手に碓氷関所跡があります。 碓氷関所は元和2年(1616年)、江戸幕府によって設置されました。 中山道は重要な交通路であったため、関東入国の関門として、幕府は「入鉄砲と出女」を厳しく監視しました。 東西に門があり、西を幕府が、東を安中藩が守っていました。
その東門が昭和35年、関所跡に復元されました。 また、関所資料館も建てられて、関所および交通に関する資料が展示されています。 門柱や門扉は当時使用されていたもので、総ケヤキ材の要所に金具を用いた堅固なものです。 安政遠足(侍マラソン)が行われる日、関所周辺では「碓氷関所祭り」が開催され、獅子舞や子供関所役人隊などが繰り出して賑わうとのことです。
茶屋
「EF63−3号」機関車の動輪
横川駅の前に、信越本線の横川〜軽井沢間のシュルパとして平成9年9月30日まで活躍した、「EF63−3号」機関車の動輪が置かれています。 また、道路にはアプト式時代に使用されていたラックレール(歯車状のレール)が再利用されています。
関連のホームページ あんなか観光ガイド アプトの道を歩くその1へ 風来坊
JR横川駅