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永観堂の紅葉
今年は11月中旬から下旬にかけて、2週連続で京都に行く機会に恵まれました。 京都の紅葉は11月末から12月上旬に見頃を迎えるとのことですが、今年は例年よりも1週間程度紅葉が早いとのことで、2回目に訪問した12月23日(祝)〜25日(日)は、見頃の紅葉を楽しむことができました。
11月23日(祝)と24日(土)は曇天ベースで、昼前後は小雨がぱらつく生憎の天気でしたが、25日(日)は早朝から快晴の素晴らしい天気に恵まれました。 3連休は高校時代のクラス会のために京都を訪問したのですが、クラス会は24日で終了したため、25日(日)は一人で散策することになりました。
この時期の京都は、午後になると渋滞のためバスやタクシーでの移動は困難になります。 したがって、散策コースの最後は、電車や地下鉄の駅に近い場所を選定する必要があります。 24日に嵐山方面に行きましたので、この日は洛東を散策することとしました。 コースの概要は次のとおりです。 哲学の道→永観堂→南禅寺→天授庵→知恩院→円山公園→高台寺→清水寺→京阪清水五条駅→電車・地下鉄でホテルへ
ホテルからタクシーで移動し、8時過ぎに銀閣寺傍の「哲学の道」に到着、散策を開始しました。 日曜日ということもあり、朝早くから多くの観光客が散策していました。 朝早くの「哲学の道」は大部分が日陰になっており、写真撮影は諦めました。
永観堂に8時50分に到着すると、すでに100mほどの長蛇の列! 3連休とはいえ、さすがに紅葉の名所だけあります。 この日は少し早めに開門したようで、9時には無事入門できました。 永観堂の正式名称は「聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺」です。 第七世法主永観律師にちなみ永観堂と通称されています。
おく山の岩がき紅葉散りぬべし 照る日の光見る時なくして (古今集) この歌は、平安時代初期に、永観堂(禅林寺)を創建した弘法大師の高弟である真紹僧都の徳を慕って、自分の別荘を寄進した歌人・文人の藤原関雄の詠んだ歌です。
真紹僧都は都のおける実践道場の建立を志し、仁寿3年(853年)に五智如来を本尊とする寺院を建立したのが起源です。 時の京都ではみだりに私寺を建立することは禁じられており、10年後の貞観5年(863年)、当時の清和天皇より「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となりました。
永観堂は創建以来今日まで、数多くの文化人達の筆や口でもてはやされ、モミジの永観堂として、千百有余年のかがやかしい歴史を持った京都有数の古刹です。 真紹僧都は真言宗の僧侶であったため、禅林寺は真言密教の道場として始まります。
創建にあたって、真紹僧都は「禅林寺清規(しんき)」に、「仏法は人によって生かされる、従って、我が建てる寺は、人々の鏡となり、薬となる人づくりの修練道場であらしめたい。」と照り映えるモミジ葉の輝きにも負けぬ、智徳ともにすぐれた人材養成を理想の旗印に掲げられたそうです。 このため、伝統的に各時代の指導的人材を数多く輩出したとのことです。
永観堂の歴史は、大きく三つの時代に分けられます。 最初は真紹僧都から永観律師が住職になるまでの約220年間で、真言密教の寺院としての時代です。 次は永観律師から静遍僧都までの約140年間で、この時代は、真言密教と奈良で盛んだった三論宗系の浄土教寺院でした。 その後は浄土宗の寺院となりました
みな人を渡さんと思う心こそ 極楽にゆくしるべなりけり (千載集) と詠まれた永観律師は特に高名です。
永観律師は、自らを「念仏宗永観」と名乗るほど、弥陀の救いを信じ、念仏の道理の基礎の上に、当時、南は粟田口、北は鹿ケ谷に到る東山沿いの広大な寺域を持った禅林寺の境内に、薬王院という施療院を建て、窮乏の人達を救いその薬食の一助にと梅林を育てて「悲田梅」と名づけて果実を施す等、救済活動に努力したことは、多くの史書に残されています。 禅林寺を永観堂と通称するのは、永観律師の施療活動への報恩を意味するものだそうです。 永観堂を浄土教の寺院にしたのは、静遍僧都です。
また、永観堂が浄土宗西山禅林寺派の総本山になったのも、永観律師の念仏行が種となったとのことです。 鎌倉時代の初め、源頼朝の帰依を受けた真言宗の学匠静遍僧都は、法然上人の死後、その著「選択本願念仏集」にある念仏義を批判するために、再三再四読み下すうちに、自らの非を覚り、浄土教の教えに帰依しました。 静遍僧都は誹謗の罪をくいて、法然上人をこの寺の11代住職に推し、自らを12代としました。
そして、法然上人の高弟西山証空上人に譲りました。 その後、証空上人の弟子、浄音上人が住職になり浄土宗西山派の寺院となりました。 以来今日まで、約八百年永観堂は浄土宗西山禅林寺派の根本道場として、法灯を掲げています。
永観堂は「モミジの永観堂」という異名を持ち、古くから紅葉の名勝地として知られています。 境内には約3000本のカエデやモミジが植えられており、秋には境内が真っ赤になります。
放生池の周辺は特にその数が多く、池に映り込む真っ赤なカエデや紅葉を楽しむことができます。 また、境内の裏の急斜面から生えている「岩垣モミジ」は、平安時代の初期の歌人・藤原関雄が「古今和歌集」で詠んだことで知られています。
多宝塔からの展望
釈迦堂横庭園の紅葉
この時期の拝観料は1000円と通常よりも高いですが、特別拝観「秋の寺宝展」とセットになっています。 特別拝観は諸堂入口から一方通行の順路に沿って出口の御影堂まで、各種特別展示を眺めながら、約30分程度かかります。 途中の釈迦堂横庭園の紅葉も見事です。
また、永観堂の背後の山の中腹に「多宝塔」があります。 この「多宝塔」からの展望も素晴らしいものがあります。 関連のホームページ 永観堂
御影堂
京都の紅葉その2(南禅寺・天授庵) 京都の紅葉その3(高台寺・円山公園) 京都の紅葉その4(清水寺) 風来坊