散策スポット目次
HOME
前ページ
次ページ
上野恩賜公園の桜
上野恩賜公園は、江戸時代は東比叡山寛永寺の領地で、明治維新後に公園、文教施設、寛永寺に分割されました。 東比叡山寛永寺は、3代将軍家光の命により、天界僧正によって寛永2年(1625年)に建立されています。
戊辰戦争において、徳川慶喜が謹慎していた上野寛永寺は彰義隊が終結して反政府軍の拠点になり、しばしば新政府軍の兵士と衝突していました。 慶応4年5月15日、大村益次郎指揮の官軍は、彰義隊を総攻撃し、壊滅させました。 のちに、『上野戦争』と呼ばれている戦いです。
この戦いの主戦場となった上野寛永寺は官軍の攻撃により焼失し、明治維新以降、上野の山一帯は焼け野原となり放置されていました。 明治6年の太政官布達によって、上野恩賜公園は、芝、浅草、深川、飛鳥山と共に日本で初めて公園に指定されました。
当初は寛永寺社殿と霊廟、東照宮それに境内のサクラを中心にした公園でしたが、その後整備が進められ、総面積54万平方メートルの公園敷地内には、不忍池、上野東照宮、上野動物園、東京国立博物館、国立科学博物館、東京都美術館、国立西洋美術館をはじめとした文化施設が建てられ、四季には数々の催し物が開催され、文化の香り高い公園へと衣替えしました。
上野恩賜公園には約1200本の桜があり、約半分をソメイヨシノが占めています。 今年は桜の開花が遅く、昨年よりも3日遅い3月31日に開花宣言が出ました。 今年の開花は4月にずれ込みそうな感じでしたが、3月31日の春の嵐で一日中暖かい南風が吹いて気温が上昇したことから、開花したようです。
桜は開花して満開までは1週間程度ということですが、今年は4月に入っても気温の低い日が遅く、見頃は4月10日頃で判ないかと思っていましたが、4月3日に日本海を通過した爆弾低気圧によって首都圏は猛烈な南風が吹き、交通網が大混乱する事態に見舞われました。
1日以上に渡って南風が吹き続けたことから、一気に開花が進み枝垂れ桜が見頃を迎えました。 ソメイヨシノも開花が進んだようで、4月5日に上野恩賜公園、目黒川などで満開になりました。 結果的には、昨年よりも早く見頃を迎えました。
早速4月6日に上野恩賜公園に出かけましたが、天気予報と異なって曇天です。 諦めて千鳥ヶ淵の下見に行ったところ7分咲き程度です。 少し早いかなと思っていたところ、徐々に晴れ間が拡がってきました。 ということで、上野恩賜公園にUターンしました。
上野恩賜公園には13時過ぎに到着しましたが、桜並木は大勢の人で溢れていました。 1日20万人程度の花見客が訪れて桜並木はラッシュアワー並の混雑になりますが、今回は平日ということもあり、写真を撮りながらの散策が可能でした。 また、上野恩賜公園では桜の下で宴会をすることができます。 昨年は東日本大震災が発生した直後で、宴会を自粛された方も多かったようですが、今年は昨年の分もと大勢の方が宴会を楽しんでいました。
不忍池の桜
上野恩賜公園のもう一つの桜の見どころが不忍池です。 不忍池は周囲約2kmで蓮池、ボート池、水上動物園(上野動物園の一部)の3つの池から構成されています。
上野の山を今日の比叡山に、不忍池を琵琶湖に見立てて、竹生島(ちくぶじま)にならって弁天島を作ったといわれています。 また、竹生島宝厳寺の弁財天を勧請し弁天堂を建立しました。
上野恩賜公園の桜並木から坂を下りて、天龍橋、弁天堂を経由して不忍池の桜並木に出ることができます。 天龍橋から弁天堂までの道の両側も屋台がぎっしりと並んでおります。 ここも弁天堂に行き来する人、不忍池の桜並木に行き来する人で大混雑です。
上野恩賜公園は松尾芭蕉が 花の雲 鐘は上野か 浅草か と詠んだように桜と不忍池でよく知られている公園です。 風来坊