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旧前田侯爵家駒場本邸洋館
駒場公園南門
旧前田侯爵家駒場本邸は、旧加賀藩主の16代当主であった前田俊為(としなり)侯爵が、本邸として建設した建物で、家族と共に暮らしました。 駒場の約1万3千坪の敷地に、地上3階地下1階の建ての洋館と、これを渡り廊下で結んだ2階建て純日本風の和館が建設され、昭和4年(1929年)に洋館が、昭和5年に和館が竣工しました。
最初は洋館のみの建設を考えていましたが、イギリス駐在武官の経験がある俊為は、海外からの賓客を接待するための施設として和館を追加建設しました。 旧前田侯爵家駒場本邸は、来賓を接遇する目的があったようで、洋館の1階は晩餐会等を行う迎賓の場として使用され、家族は主に洋館の2階で生活しました。
旧前田侯爵邸洋館は、欧州建築の粋を集めて建築され、当時東洋一の邸宅と称せられました。 設計は塚本靖東京帝国大学教授、高橋禎太郎宮内庁技師が担当し、外国の貴賓を迎え入れる洋館として、駒場の田園の野趣にあわせたイギリス・チューダー様式が取り入れられました。
この様式は、イギリス後期ゴシック様式を簡略化したもので、玄関ポーチの扁平アーチにその特徴を見せています。 外観は、当時流行した長手のスクラッチ・タイルを貼り、落ち着いた雰囲気を漂わせています。
また、内部は一変して王朝風に装飾が施され、各室はイタリア産大理石によるマントルピースや角柱、壁面にはフランス産絹織物や壁紙を貼り、イギリス家具などを配したヨーロッパ調でしたが、こうした洋風の室内に江戸情緒をのぞかせる、唐草に雛菊をあしらった文様なども見られます。
エントランスホール
江戸時代から大正時代の前田家本邸(上屋敷)は、現在東京大学がある本郷にありました。 大正12年(1924年)の関東大震災後の政府復興計画に関連し、大正15年(1926年)東京帝国大学(現在の東京大学)の打診を受け、本郷邸地と駒場にあった東京帝国大学農学部の敷地の一部など(約5万坪)とを等価交換することになりました。 この結果、駒場の地に、前田家駒場本邸が建設されることになりました。
洋館入り口
右側はサロン2入り口
前田家駒場本邸は、昭和20年(1945年)9月に連合軍に接収され、第5空軍司令官ハワイとヘッドの官邸として、昭和26年4月からは極東総司令官リッジウェイの官邸として使用されました。 昭和32年(1957年)に接収が解除され、昭和38年旧前田邸に公園が建設することが決定し、昭和42年に旧前田邸は、東京都立駒場公園として生まれ変わりました。 昭和50年に公園の管理が目黒区に移管されています。
サロン1
応接室
東京都立駒場公園の完成に先立ち、洋館は都立近代文学博物館として開館しました。 近代文学に関するあらゆる資料を収集、保存、展示するもので、収蔵資料は明治以降の文芸作家や評論家などの、肉筆の原稿・色紙・書簡類や初版本など約1万3千点余に上り、年間4万に人が訪れていましたが、博物館としての使命は平成14年に終えました。 現在、洋館は建物の内部が一般公開されています。
洋館は地上3階、地下1階建てですが、見学できるのは1階及び2階です。 玄関から入るとすぐに大きなエントランスホールです。 エントランスホールは見学者用の通路として赤い絨毯が敷かれていますが、床は寄せ木張りです。 大きな大理石の角柱に漆喰の壁と目を見張る豪華さです。
サロン2
エントランスホールの右手にテラスに面したサロンが2つあります。 手前のサロンにはテーブルと椅子が置かれており、休憩できます。 土・日にはこのサロンは喫茶室になるようです。 サロンの隣に応接室があります。
大食堂 隣の部屋は小食堂
大食堂 隣の部屋はサロン2
エントランスホールを奥に進むと左手に2階に上がる階段がありますが、階段の手前の右側にもう1個のサロンがあります。 そしてサロンの奥に大食堂と小食堂が並んでいます。
大食堂
エントランスホールと2階への階段
洋館1階は、外交団や皇族を招くパーティが催される場所であり、2つの食堂、2つのサロンはエントランスホールを取り囲むように配列されています。 厨房は地下にあり、料理は配膳用リフトで1階の小食堂に料理が運ばれたとのことです。
2階への階段
2階 正面は三女居室
アクセス 京王井の頭線駒場東大前駅から徒歩10分 関連のホームページ 旧前田侯爵家駒場本邸 旧前田侯爵邸駒場本邸その2へ 風来坊