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渋谷・代官山散策 その1 (H24.9.24)


渋谷駅南口



地下鉄渋谷線のガードをくぐる

駅からハイキングの「渋谷から歴史あるスポットを巡りお洒落な街代官山を歩く」に参加しました。

コースの概要は次のとおりです。

JR渋谷駅南口みどりの窓口(スタート)鍋島松濤公園駒場公園・旧前田侯爵邸駒場野公園目黒川緑道大橋ジャンクション菅刈公園西郷山公園代官山金王八幡宮(ゴール)→JR渋谷駅北口


コースの歩行距離は約9km、歩行時間は約2時間20分です。

写真を撮りながら歩きましたので4時間ほどかかりました。約1万5千歩でした。

JR渋谷駅南口みどりの窓口前で受付を済ませ、渋谷駅の南側を西方向に歩き高架をくぐると右側に「忠犬ハチ公像」があります。


忠犬ハチ公の像



渋谷駅前の交差点



渋谷の街並み 左前方が道玄坂 散策コースは右折です



渋谷の街並み 前方が東急本店

渋谷駅前の信号を「センター街」方向に渡り、「センター街」の手前を左折して、道玄坂方向に進むと前方に「109」のビルがあります。

「109」ビルの手前の「道玄坂下」の信号を右折して、道なりに300mほど進むと前方に「東急百貨店」があります。



松濤郵便局前交差点


「東急百貨店」の手前の「道玄坂2丁目」の信号を左折し、東急百貨店に沿って100mほど進むと「松濤郵便局前」の信号です。

「松濤郵便局前」の信号の右手前が「Bunkamura」の入口です。


Bunkamura入口



大山稲荷神社



Y字型三叉路を右方向に

信号を右折し「Bunkamura」に沿って100mほど進むと道路がY字型になっています。

Y字型の右側の道を100mほど進んだ右手が「大山稲荷神社」です。

さらに100mほど進んだ丁字路の正面に「観世能楽堂」があります。


1900年の観世会の創立に伴い建設された観世流の活動拠点が「観世能楽堂」です。

1972年に現在地に移転し、古典芸能の伝承と発展に努めており、観世会主催公演が年間約26回、その他の同門会などの公演が年間130公演以上行われています。


観世能楽堂



戸栗美術館



戸栗美術館前のレンガ敷きの歩道

丁字路を左折して50mほど進んだ右手が「戸栗美術館」です。

「戸栗美術館」は日本でも数少ない陶磁器専門の美術館です。

実業家の戸栗亨が蒐集した東洋磁器を主に保存、展示しています。

主な収蔵品は約7000点に及び、伊万里・鍋島などの肥前磁器、及び中国、朝鮮の陶磁器です。


「戸栗美術館」から道なりに200mほど進んだ右手に松濤中学校があり、さらに100mほど進んだ左手が「鍋島松濤公園」です。


レンガ敷きの歩道



松濤公園



松濤公園



松濤公園

「鍋島松濤公園」は湧水池を中心に各種草花が彩る公園です。

「鍋島松濤公園」一帯は、江戸時代は紀州徳川家の下屋敷があったところで、明治9年(1876年)に佐賀の鍋島家に払い下げられました。

鍋島家は当地に茶園を開いて「松濤園」と名付け、「松濤」という銘で茶の販売も行っていました。


昭和7年(1932年)に茶園は廃止され、湧水池のある一角が児童公園として整備された後、東京市に寄贈されました。

昭和25年(1950年)に渋谷区に管轄が移管され、現在に至っています。

現在では、遊具や家の周りにベンチが配置され、桜の咲く時期には多くの人が花見に訪れます。


松濤公園渋谷方面出口



松濤美術館



松濤美術館

松濤公園を渋谷方向(湧水池と反対側)に出ると前方が五叉路になっています。

右側の2つ目の路地を斜め反対方向に進み、最初の辻を左折して50mほど進んだ左手が「松濤美術館」です。

紅味を帯びた韓国産の花崗岩(紅雲石)の外壁が特徴です。

企画展を中心に渋谷区に関する公募展、絵画展のほか、音楽会や美術教室なども行われています。



松濤2丁目交差点 下が山手通り 上が中央環状線



左手方向の狭い道を進みます


「松濤美術館」から道なりに50m程進むと丁字路があり、右折して100mほど進んだところが「松濤2丁目」の交差点で、左右に走っているのが山手通りと中央環状線です。

中央環状線の高架をくぐり50mほど進むと道路がY字型に分かれています。

左側の「この先駒場東大前駅方面に通り抜けできません」の表示のある道を進むと突き当たりが「駒場幼稚園」です。


左が駒場幼稚園



狭い道が続きます



そのまま進みます

直角のカーブを3度ほど曲がって狭い道路を道なりに進んでいくと左手に井の頭線のガードがあり、前方に「この道行き止まり」の標識や表示があります。

この標識を無視して、線路沿いの道を200mほど進むと歩行者専用の踏切があります。

車は「この道行き止まり」です。



井の頭線の踏切を渡って右折です


踏切を渡ってすぐ右折して200mほど進むと「駒場東大前駅」です。

駅の階段を登り右折し、改札口を左手に見て、反対側の階段を下りると前方が「東京大学教養学部」です。

階段を下りて左折し、線路に沿って道なりに300mほど進むと三叉路があり左に進むと踏切があります。


駒場東大前駅東口



東京大学教養学部



駒場公園への真っ直ぐな道



駒場公園東門

三叉路を左折せずに、道なりに50mほど進むと三叉路があり右側に「日本近代文学館」の案内板があります。

案内板にしたがって三叉路を右折すると住宅街には珍しい真っ直ぐな道が延びており、400m程進んだ左手が「駒場公園東門」です。

「駒場公園東門」を入った右手に「日本近代文学館」、左前方に「旧前田侯爵邸和館」があります。


「日本近代文学館」では、明治以降の日本の近代から現代にかけての文学関係資料とその関連分野の資料を収集しています。

資料は図書、雑誌、新聞のほか、特別資料と呼んでいる原稿・書簡・筆墨・日記・ノート・  遺品など多岐にわたっており、現在その数は100万点に及んでいます。


日本近代文学館



旧前田侯爵邸駒場本邸和館



旧前田侯爵邸駒場本邸和館

「旧前田侯爵邸駒場本邸和館」を左に見て奥に進んだところが「旧前田侯爵邸駒場本邸洋館」です。

旧前田侯爵家駒場本邸は、旧加賀藩主の16代当主であった前田俊為(としなり)侯爵が、本邸として建設した建物で、家族と共に暮らしました。

駒場の約1万3千坪の敷地に、地上3階地下1階の建ての洋館と、これを渡り廊下で結んだ2階建て純日本風の和館が建設され、昭和4年(1929年)に洋館が、昭和5年に和館が竣工しました。



旧前田侯爵邸駒場本邸洋館



旧前田侯爵邸駒場本邸洋館


旧前田侯爵邸洋館は、欧州建築の粋を集めて建築され、当時東洋一の邸宅と称せられました。

設計は塚本靖東京帝国大学教授、高橋禎太郎宮内庁技師が担当し、外国の貴賓を迎え入れる洋館として、駒場の田園の野趣にあわせたイギリス・チューダー様式が取り入れられました。


旧前田侯爵邸駒場本邸洋館



駒場公園

旧前田侯爵邸和館は、洋館に隣接している2階建ての書院造りの日本建築です。

ロンドン駐在武官であった前田俊為が、海外からの賓客を接待するために建てたもので、違い棚や欄間の透かし彫りなど日本建築の粋を集めています。

洋館とは渡り廊下でつながっています。

「旧前田侯爵邸駒場本邸」の細部については、次のレポートをご覧下さい。

 旧前田侯爵邸駒場本邸



駒場野公園



駒場野公園


駒場公園の南門から出て元に道に戻り、「駒場東大前駅」の方に進み、駅の手前の三叉路を右折して踏切を渡ったところが「駒場野公園」です。

「駒場野公園」一帯は、かつて人の背ほどもある笹が一面に生え、ところどころに松林がしげる広い原野で、駒場野と呼ばれていました。

明治になると、農業の近代化を図るため、この広い原野を利用して駒場農学校が開校し、近代農業の総合的教育・研究の場となりました。


水田の碑



水田 稲穂が実っていました

明治14年(1881年)この農学校にドイツ人ケルネル氏が農芸化学の教師として着任し、土壌や肥料の研究を行って大きな成果をあげました。

園内にある水田はこの実験を行った場所で、農学発祥の地「ケルネル田んぼ」と呼ばれ、稲作は筑波大学付属駒場中・高校の生徒によって現在も行われています。

駒場農学校はその後東京農林学校、東京帝国大学、農科大学等を経て、東京教育大学農学部となり、昭和53年(1978年)に筑波へ移転しました。その移転跡地に造成されたのが駒場野公園です。



駒場野公園





 渋谷散策その2へ



      風来坊


駒場野公園


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