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東京駅復元駅舎と江戸城史跡を巡り歴史と現代を肌で感じる その2
 (H24.10.26&11.1)


東京国立近代美術館工芸館



北桔梗門から見た北の丸公園

天守台の北側にある門が北桔梗門から、皇居東御苑に外に出ると正面が北の丸公園です。

歩道橋を渡って北の丸公園に沿って西方向に200mほど進むと「東京国立近代美術館工芸館」があります。


「東京国立近代美術館工芸館」は、近代美術の中でも工芸およびデザイン作品を展示紹介する、東京国立近代美術館の分館として、昭和52年(1977年)に開館しました。

建物は、明治43年(1910年)3月に、陸軍技師・田村鎮の設計により、旧近衛師団司令部庁舎として建築されたものです。

明治洋風レンガ造り建築の一典型として重要文化財に指定されています。


東京国立近代美術館工芸館



北の丸公園



北の丸公園

北の丸公園は、江戸城の北の丸のあった場所で、明治維新後、近衛師団の兵営地が設置されました

戦後、皇居周辺の緑地として整備することを決定し、昭和44年(1969年)に一般公開され、面積は19ヘクタールあります。


公園内には多くの文化施設があり、また、田安門、清水門などの旧江戸城の遺構も多くあります。

ビルが建ち並ぶ都心部にあって、緑豊かな場所であり、皇居外苑地区や日比谷公園と並んで都会のオアシス的な公園です。

園内には道路があるため、車の乗り入れもでき、有料駐車場も備えています。


北の丸公園



日本武道館



田安門

北の丸公園を北に進むと「日本武道館」があります。

「日本武道館」は、1964年に開催された東京オリンピックの会場の一つとして建設され、柔道競技の会場として使用されました。

現在は各種武道やダンス、マーチングバンドの競技会や演武会に使用されるほか、音楽祭、コンサート、大学や企業などの大規模な入学式・卒業式、入社式の会場など、幅広く使用されています。


田安門から北の丸公園の外に出ると、左側に見えるのが桜の名所として名高い千鳥ヶ淵です。

右側の牛ヶ渕の景観も素晴らしいです。

「田安門」の交差点を右折し100mほど進んだ右手が「昭和館」です。


田安門



田安門からの千鳥ヶ淵の展望



田安門からの牛ヶ渕の展望



昭和館

「昭和館」は、主に戦没者遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後(昭和10年頃から昭和30年頃まで)の国民生活上の労苦についての歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、後世代の人々にその労苦を知る機会を提供している施設です。

昭和館には現在約4万3500点の実物資料が収蔵されており、6階、7階の常設展示室にはそのうちの約700点が展示されています。



内堀通り



九段会館


「昭和記念館」の先の「九段下」の交差点を右折して、内堀通りを100mほど進んだ右手が九段会館です。

九段会館は、軍の予備役、後尾役の訓練・宿泊を目的に建設された施設で、昭和初期に流行していた帝冠様式の建物です。

二・二六事件では戒厳司令部が置かれました。


九段会館



内堀通り

国の施設ですが、戦後は日本遺族会が無償貸与されて運営していました。

ホールやレストラン、宿泊施設などを備え、結婚式、各種公演、会議、試写会などに使用されていましたが、東日本大震災の時に天井の一部が崩壊し死傷者を出したことから、2011年4月に九段会館は営業を終了しました。

建物は国に返還されましたが、取り壊しを行うか否かは不明です。


「九段会館」から少し進んだ右手の千代田会館1階が「千代田区観光協会」です。

千代田区観光協会は、区内の観光施設の案内やお散歩マップの配布など、観光情報を発信しています。

今回の「駅からハイキング」のチェックポイントです。


千代田区観光協会



清水壕



清水壕



首都高速道路

千代田区観光協会を過ぎるとお濠端となります。

清水壕です。

高速道路のガードを過ぎたところが「竹橋」の交差点です。

ここを右手に進むと、北の丸公園となり、左手に先ほど通過した「北桔梗門」があります。



大手壕


お濠端に沿ってさらに200mほど進んだ右手の端が「平川門」です。

「平川門」からも皇居東御苑にはいることができます。

平川門を過ぎるとお濠端が「大手壕」となります。


平川門



大手壕 前方は平川門



気象庁

「大手壕」に沿って400mほど進んだ「気象庁前」の横断歩道を渡ると、左手が「気象庁」右手が「東京消防庁」です。

「気象庁前」から内堀通りに沿って三井物産を過ぎた、次の信号を左折し、100mほど進んだ左手に「将門塚」があります。



将門塚


平安時代中期、平将門は坂東8カ国を平定し、政治の改革を図りましたが、天慶の乱で平貞盛と藤原秀郷の奇襲を受けて憤死しました。

平将門の首級は京都に送られたが、3日後には光を放って東方に飛び去り、武蔵国豊島郡芝崎に落ち、大地は鳴動し太陽も光を失って暗夜のようになったとのことです。


村人は恐怖して、塚を築いて埋葬したのが、この場所であり、将門の首塚と語り伝えられています。


将門塚



故蹟保存碑

その後、しばしば将門の怨霊が祟りをなすため、真教上人が将門に「蓮阿弥陀仏」という法名を贈り、石塔婆を建立し、日輪寺で供養し、さらに傍の神田明神に霊を併せ祀ると、将門の霊魂も鎮まりこの地の守護神になったとのことです。

境内には将門の首が京都から帰ったことから、カエルの置物が奉納され、海外に赴任する人が「無事帰る」ことを願いに来る姿も見られるとのことです。



東京駅丸の内復元駅舎をバックに記念撮影する人たち



東京駅丸の内復元駅舎


「将門塚」から300mほど進んだ交差点を右折して、500mほど進んだ左手が東京駅です。

大正3年(1914年)、辰野金吾の設計により創設された東京駅丸の内駅舎は、昭和20年の戦災により屋根や外壁等を焼失しました。


東京駅丸の内復元駅舎



東京駅丸の内復元駅舎

昭和22年に3階建てだった駅舎を2階建てにして復興しました。

平成19年から平成24年まで、5年をかけて行われた保存復元工事では、創建時の外観を再現するとともに、耐震構造としています。

総事業費は約500億円です。

東京駅復元駅舎の細部レポートは次をご覧下さい。

 東京駅復元駅舎


東京駅からさらに500mほど進むと、右手に三菱1号館美術館があります。

岩崎弥太郎が創設した三菱社が明治27年(1894年)に建てた洋風事務所建築で、イギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計です。


丸の内オフィス街



三菱1号館美術館



三菱1号館美術館



三菱1号館美術館

老朽化のため昭和43年に解体されましたが、設計図や解体時の実測図、各種文献、写真、保存部材などを調査し、また階段部の手すりの石材など、保存されていた部材を一部建物内部に再利用して忠実に復元され、平成22年(2010年)に「三菱1号館美術館」としてオープンしました。


「三菱1号館美術館」から300mほど進んだ交差点を左折して、100mほど進むとJR有楽町駅(今回のゴール)です。


東京駅復元駅舎と江戸城史跡を巡り その1へ



        風来坊


三菱1号館美術館


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