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とげぬき地蔵尊と大名庭園・情緒ある商店街散策 その1 (H24.11.9)


巣鴨駅前 白山通り



JR巣鴨駅

JR東日本の「駅からハイキング&ウォーキングイベント」の「大人の散歩!とげぬき地蔵尊と大名庭園・情緒ある商店街を散策」に参加しました。

サブタイトルは「江戸から明治の歴史を感じさせる寺院・庭園と人情味あふれる商店街を散策します」です。


コースの概要は次のとおりです。

JR巣鴨駅(受付)→眞性寺(江戸六地蔵村)→高岩寺(とげぬき地蔵尊)→巣鴨庚申塚→飛鳥山公園→紙の博物館→北区飛鳥山博物館→渋沢資料館→東京都北区防災センター(地震の科学館)→旧古河庭園→霜降り銀座商店街→六義園→JR駒込駅(ゴール)


巣鴨駅前 白山通り



白山通り商店街

コースの歩行距離は約7.5km、歩行時間は約2時間(施設での見学時間を除く)、所要時間約3時間(施設での見学時間等を含む)です。

写真を撮りながら廻りましたが、所要時間3時間、約1万3千歩でした。

旧古河庭園や六義園はたびたび訪れていますので、園内散策を一部省略したため、所要時間が比較的短かったようです。



眞性寺


JR巣鴨駅で受付を済ませて、「巣鴨駅前」の信号で白山通りを横断したのち右折し、白山通りに沿って300mほど進むと「巣鴨地蔵通り商店街」の入口で、その左手が「眞性寺」です。

江戸六地蔵の一つと知られる「眞性寺」は真言宗豊山派に属しており、奈良県の桜井市初瀬の総本山長谷寺の末寺です。

開基は不明分ですが、聖武天皇(在位724年〜749年)勅願で、行基菩薩が開いたと伝えられています。


眞性寺



江戸六地蔵

境内の左手に、高さ2m68cm、蓮花台を含めると3m45cmの大きなお地蔵様が、蓮座に趺座しています。

このお地蔵様が、江戸6街道の出入口に置かれ、旅の安全を見守る「江戸六地蔵尊」の一つで、中山道を見守っています。

眞性寺の地蔵尊は4番目に造られ、完成したのは正徳4年(1714年)です。



すがも菊まつり



すがも菊まつり


その他の六地蔵は、東海道の尊像として品川寺(第一番)、奥州街道沿いの東禅寺(第二番)、甲州街道沿いの太宗寺(第三番)、水戸街道沿いの霊巌寺(第五番)にあります。第六寺は廃寺となり消滅した千葉街道沿いの永代寺にありました。

現存する第一番から第五番までは、すべて東京都指定有形文化財に指定されています。

眞性寺境内やその周辺では「すがも菊まつり」が開催されていました。


すがも菊まつり



巣鴨地蔵通り商店街



巣鴨地蔵通り商店街

眞性寺を出た左手から「巣鴨地蔵通り商店街」となります。

「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵通りは、旧中山道であり、江戸の中期から現在にいたるまで、商業や信仰の場として栄えてきました。

巣鴨地蔵通りは江戸時代、中山道の出発地点日本橋から出発して最初の休憩所、江戸六地蔵尊の眞性寺から巣鴨庚申塚の間に点在し、町並みが作られました。


そして、明治24年(1891年)には、とげぬき地蔵尊の高岩寺が上野から巣鴨へ移転し、現在の巣鴨地蔵通りは「とげぬき地蔵尊」と「江戸六地蔵尊」の2つのお地蔵様と巣鴨庚申塚に守られて、商業の街・信仰の街としてお年寄りを中心に若い方々にも親しまれています。

巣鴨地蔵通りは全長780mあり、約200店舗が建ち並んでいます。


巣鴨地蔵通り商店街



すがも菊まつり

眞性寺から巣鴨地蔵通りを200mほど進んだ右手が「高岩寺」です。

曹洞宗萬頂山高岩寺は「とげぬき地蔵尊」の名前で親しまれています。

慶長元年(1596年)に江戸湯島に開かれ、約60年後に下谷屏風坂に移り、巣鴨には明治24年(1891年)に移転してきました。

ご本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩です。



高岩寺


高岩寺の地蔵菩薩は秘仏ですので残念ながら拝見することはできませんが、そのお姿を元に作られた御影に祈願してもご利益があるとされています。

とげぬき地蔵尊御影は、縦4センチ横15センチの和紙の中央に尊像が描かれています。

痛いところに張ったり、喉に骨が刺さった時に飲んだりすると治るといわれ、高岩寺本堂で授与しています。


高岩寺



洗い観音

「高岩寺」の境内に「洗い観音」があります。

江戸時代最大の火事であった1657年の「明暦の大火」で、当寺の檀徒の一人「屋根屋喜平次」は妻をなくし、その供養のため、聖観世音菩薩を高岩寺に寄進しました。 

この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしか生まれました。これが「洗い観音」の起源です。



巣鴨地蔵通り商店街


その後、永年に渡ってタワシで洗っていた聖観世音菩薩は、顔などもしだいにすりへってきたので、平成4年11月27日に、この仏像にご隠退をいただき、あたらしい聖観世音菩薩の開眼式を執行しました。

新しい仏像の製作者は彫刻家の八柳尚樹氏、寄進者は仲堀義江氏です。

同時にタワシを廃止し布で洗うことになりました。


文化創造館



猿田彦大神庚申堂



江戸名所図絵



猿田彦大神庚申堂

「巣鴨地蔵通り商店街」をさらに600mほど進むと「庚申塚」の信号があり、傍らに「猿田彦大神庚申堂」があります。

巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場として栄え、旅人の休憩所として簡単な茶店もあり、人足や馬の世話もしていました。

江戸名所図会ではそれらの様子がにぎやかに描かれています。


巣鴨庚申塚は中山道板橋の宿場にも近く、右に向かえば花の名所・飛鳥山、紅葉の王子にでる王子道の道しるべを兼ねた庚申塔が建っていました。庚申塚は広重の浮世絵にも描かれています。

現在は庚申堂に猿田彦大神を合祀しています。猿田彦大神とは日本神話に登場する神様です。天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり道祖神と同一視されました。


猿田彦大神



都電荒川線新庚申塚駅



都電荒川線 信号待ちの都電

「庚申塚交差点」を右折して300mほど進むと「白山通り」です。

左折して「白山通り」に沿って進み、「都電荒川線」を横切り、さらに400mほど進むと「西巣鴨」の交差点です。

途中に都営三田線の「西巣鴨駅」があります。


白山通り


「西巣鴨」交差点を右折すると「明治通り」となります。

「明治通り」に沿って1Kmほど進むと「飛鳥山」交差点です。

「飛鳥山」交差点の歩道橋を渡ったところが「飛鳥山公園」です。


西巣鴨交差点を右折して明治通りへ


飛鳥山公園は徳川吉宗が享保の改革の施策のひとつとして整備・造成した公園です。

吉宗の治世の時代は、江戸近辺の桜の名所といえば寛永寺程度しかなく、花見の頃は風紀が乱れました。

このため庶民が安心して花見できる場所として、飛鳥山を桜の名所にしました。

こうして江戸の新しいお花見の名所として誕生した飛鳥山は、当時、桜の名所地では禁止されていた酒宴や仮装が容認されていたため、江戸っ子たちは様々な趣向を凝らして楽しみました。



歩道橋から往時駅方向の展望 この付近は都電の線路と道路とが分離されていません



歩道橋から西ヶ原方面を望む 前方は本郷通り 右折すると明治通り


飛鳥山は、明治6年(1873年)に、上野、芝、浅草、深川とともに日本最初の公園に指定されました。

飛鳥山公園はその名の通り一帯は小高い丘になっていますが、飛鳥山という名前は国土地理院の地形図には記載されていません。

都内で一番低い山ではないかと推定されています。

飛鳥山公園


飛鳥山公園を広場から南東側の丘の方に進んでいくと、右手に「紙の博物館」「飛鳥山博物館」「渋沢史料館」が並んでいます。

「紙の博物館」は、和紙・洋紙を問わず、古今東西の紙に関する資料を幅広く収集・保存・展示する世界有数の紙の総合博物館として、東京の王子に昭和25年(1950年)に誕生しました。

王子は、明治初期に近代的な製紙工場のさきがけとなった抄紙会社(後の王子製紙王子工場)が設立された場所で、洋紙発祥の地として知られています。



紙の博物館

明治24年(1949年)、占領政策の過度経済力集中排除法によって、王子製紙は苫小牧製紙・十條製紙・本州製紙の3社に分割されました。

これを機に、昭和25年(1950年)王子製紙紙業史料室の資料を一般公開し、広く社会教育に貢献するために、王子工場で唯一焼け残った発電所の建物を利用して、紙の博物館の前身である「製紙記念館」が設立されました。

その後、首都高速中央環状王子線建設によって工場跡地を離れることとなり、平成10年(1998年)に飛鳥山公園の中に「飛鳥山3つの博物館」のひとつとして新装オープンしました。


「北区飛鳥山博物館」は、北区や近隣地域の考古、歴史、民俗等や自然に関する博物館活動を行うことで、区民の生涯学習の振興に寄与するとともに、広く教育、学術の向上と地域文化の発展に資することを目的に、平成10年(1998年)飛鳥山公園の中に開館しました。

常設展示では、歴史的にも自然環境的にも恵まれた北区を、「大地、水、人」を基本的なコンセプトとして、テーマごとに展示しています。

北区飛鳥山博物館



渋沢史料館

「渋沢史料館」は、日本の近代経済社会の基礎を築き、生涯「道徳経済合一説」を唱え、実業界のみならず社会公共事業、国際交流の面においても指導的役割を果たした渋沢栄一(1840年〜1931年)の全生涯にわたる資料を収蔵、展示しています。

平成10年(1998年)に開館しております。



渋沢庭園・青淵文庫


渋沢史料館から少し進んだ左手が旧渋沢庭園です。

旧渋沢庭園は旧渋沢邸の一部で、国の重要文化財に指定された大正期の2つの建物、晩香廬と青淵文庫が庭園とともに当時のままの姿で残っています。

旧渋沢庭園は飛鳥山公園の一部として一般公開されていますが、季節により公開時間が異なります。


渋沢庭園・晩香廬



渋沢庭園・晩香廬




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        風来坊


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