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江戸・東京の中心を南北に縦断する秋の散策コース その2 (H24.12.6)


巽櫓と富士見櫓



皇居大手門

皇居東御苑を大手門から出て右折し、大手壕に沿って200mほど進むと右手に巽櫓、桔梗門、富士見櫓を望むことができます。

傍の信号で内堀通りを横切ったところが「和田倉噴水公園」です。



和田倉噴水公園



和田倉噴水公園


「和田倉噴水公園」は、昭和36年(1861年)に今上天皇陛下のご結婚を記念して建設された大噴水を、皇太子殿下の結婚を機に民間からの協力も得て、平成7年に再整備したものです。

高さ8.5mに吹き上げる大噴水と高さ5.5m、幅30mの落水施設やモニュメントが流水施設によって結ばれています。


和田倉噴水公園



和田倉噴水公園

夜間は水中照明により雲水がライトアップされ、昼間とは異なった幻想的な水の光景を見せてくれます。

また、公園全体を見渡せるガラス張りの休憩所や、皇居外苑の自然などを解説するインフォメーションコーナーも整備されています。



皇居前広場:正門石橋



正門鉄橋(二重橋)


「和田倉噴水公園」から皇居側に戻ると、皇居外苑地区の皇居前広場です。

皇居前の大芝生広場に点在しているクロマツは約2000本あり、皇居内の深い森と対照的に開放的でしかも荘厳な雰囲気を保持し、皇居外苑を代表する美しい風景となっています。

江戸城築造前、この一帯は入江となっていて丘陵部にはクロマツが自生していました。皇居前の広場に植栽され始めたのは明治21年からで、その後、昭和14年〜18年にかけて実施された、「皇紀2600年記念宮城外苑整備事業」により、現在のような姿となりました。


二重橋壕



皇居正門傍からの展望

皇居前広場から正門を経て宮殿へ至る濠に二つの橋が架かっており、手前の橋が「正門石橋」、奥の橋が「正門鉄橋」です。

「二重橋」は一般にこの二つの橋を総称して言われていますが、厳密には奥の橋が二重橋です。



皇居前広場からの丸の内オフィス街


奥の橋はかつて、「下乗橋」と言われ、橋桁を支えるため、中途に台があって二重構造となっていたことからこの名前がつきました。

現在の橋は、昭和39年6月に架け替えられたものです。

これらの橋は、通常は使用されず、新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等宮中の公式行事の際に利用されます。


皇居前広場のクロマツ



凱旋壕



桜田壕

二重橋を西方に進むと右手が桜田門です。
桜田門は寛永13年(1636年)に修築され、大正12年(1923年)年の関東大震災で破損し、その際に鉄網土蔵造りに改修されました。

江戸城の各門の多くは、第一の門と第二の門との中間に桝形(四角形)の広場がある「桝形城門」の形式が採られ、戦略上有利な立体的な門の形となっているのが特徴です。

この桜田門の桝形は15間×21間あり、現存している城門の中では最も広い規模を有しており、「桝形城門」の形態が良保存されているため、昭和36に国の重要文化財に指定されました。今回は工事中のため、見学できませんでした。


桜田門を右手に見て皇居のお濠(桜田壕)に沿って進み、国会前の交差点で内堀通りを横切ると真っ直ぐ伸びる並木道があり、その前方に国会議事堂があります。

並木道の両側は公園になっています。

右側の公園は、江戸時代には最初は加藤清正の屋敷、次いで彦根藩井伊氏の上屋敷があったところで、幕末の大老井伊直弼はここから内堀(桜田壕)沿いの道を桜田門に向かう路上で桜田門外の変に遭いました。


井伊直弼屋敷跡から桜田門方面を望む 手前は首都高速道路



時計台のあるのは右側の公園です



三権分立を象徴する時計台



日本水準原点

明治になってからは国有地となり、最初弾正台、後に参謀本部・陸軍省が置かれ、戦後は衆議院の所管となり、周囲の土地区画整理や道路拡張の後に、様式の庭園が整備されました。

中心には三権分立を象徴するとされる時計台が建てられています。


また、公園内の石造りの建物には、国内の高さの測量の基準となる「日本水準原点」が納められています。

石造りの建物は、ローマ神殿の形式を持つ古典主義建築です。

土地の高さは、平均海面を基準に取りますが、実用的には地上のどこかに、高さの基準となる点を表示しておくことが必要です。


日本水準原点



日本水準原点

このため、明治24年(1891年)に水準原点がつくられ、当時、隅田川河口の霊岸島で行われた潮位観測により、水準原点建物内部の水晶板のゼロ目盛りの高さが、東京湾平均海面上24.500mと決定されました。

原点の礎石は、地下10mの強固な地層から築かれていますが、大正12年(1923年)の関東大地震や、平成23年(2011年)の東日本大震災では地殻変動が観測され、その都度測量して基準が改定されています。

現在では、神奈川県三崎の油壺験潮場で実施する潮位観測及び定期的に行われる水準原点〜油壺間の水準測量によって水準原点の高さを点検しているとのことです。



憲政記念館



憲政記念館


時計台から北の方向に進んだ公園の一角に「憲政記念館」があります。

昭和27年(1952年)にこの土地は衆議院の所管となり、昭和35年(1960年)には、憲政の功労者である尾崎行雄を記念して、尾崎記念館が建設されました。

昭和45年(1970年)に、わが国が議会開設80年を迎えたのを記念して、議会制民主主義についての一般の認識を深めることを目的として、尾崎記念館を吸収して、憲政記念館が設立され、昭和42年に開館しました。


憲政記念館



尾崎行雄像

憲政記念館では、国会の組織や運営などを資料や映像によってわかりやすく紹介するとともに、憲政の歴史や憲政功労者に関係のある資料を収集して常時展示するほか、特別展などが催されています。



国会議事堂



国会議事堂まえから霞ヶ関官庁街を望む


憲政記念館を出て、左手に進むと国会議事堂です。

「国会正門前」の交差点を左折して並木道に沿って進み、「国会前」の信号を右折し、次の「外務省前」の信号を左折して、霞ヶ関の各省庁にビルを眺めながら、真っ直ぐ500mほど進むと「日比谷公園」の霞門です。


国会議事堂といちょう並木



日比谷公園の紅葉



日比谷公園の紅葉



日比谷公園の紅葉

「日比谷公園」は江戸城日比谷御門のすぐ外側に位置していたため、江戸時代にはそうそうたる大藩の上屋敷が置かれていました。

明治初期には陸軍練兵場となりましたが、明治36年(1903年)に日本初の近代的な洋風公園として開園しました。

園内には、公園のシンボル大噴水、江戸時代の遺構である心字池、公園の設計者・本多静六博士が自分の首を賭けて移植を実現した「首賭けイチョウ」など見所が点在しています。



日比谷公園の紅葉


また、園内には日比谷公会堂や大小音楽堂、新しくなった日比谷図書文化館、老舗洋風レストラン松本楼など、さまざまな施設や店舗があります。

花壇には一年中、色鮮やかな四季の花が咲き、ビジネス街に勤める人達の憩いの場になっています。

霞門を入って真っ直ぐ進むと正面に「雲形池」があります。

この池の周囲の紅葉は見事なものがあります。


日比谷公園・日比谷門



帝国ホテル



日生劇場

「雲形池」から松本楼、大噴水の傍を抜けると、日比谷門です。日比谷門の右前方が帝国ホテル、左前方が日生劇場です。

帝国ホテルと日生劇場の間の通りを300mほど進むとJRのガードがあり、ガードを潜ってさらに300mほど進むと「銀座5丁目」の交差点です。

交差点の左右の通りが「銀座中央通り」です。銀座中央通りは、土・日・祝日は歩行者天国となりますが、生憎この日は平日でしたので、ゆっくり銀ブラというわけにはいきませんでした。



銀座中央通り


「銀座五丁目」交差点を右折し、銀座8丁目を過ぎた先の「新橋」の交差点を右折して300mほど進むと、今回のゴール{JR新橋駅}です。



江戸・東京の中心を南北に縦断する秋の散策 その1へ


       風来坊

銀座中央通り


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