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奥多摩むかしみち その1 (H24.11.16)


JR奥多摩駅



ここを右折して青梅街道に入る

JR東日本の「駅からハイキング&ウォーキングイベント」の「奥多摩むかしみち」に参加しました。

サブタイトルは「奥多摩むかしみちを歩き、エメラルドグリーンに輝く奥多摩湖を眺望」です。

サブタイトルの横に「急なアップダウン」と書かれています。



青梅街道・氷川大橋


コースの概要は次のとおりです。

JR青梅線奥多摩駅→奥多摩町観光案内所(受付)→徒歩約10分→むかしみち南氷川入口→徒歩30分→槐木(さいかちぎ)→徒歩約50分→白髭神社→徒歩約30分→しだくら吊り橋→徒歩約50分→浅間神社→徒歩約40分→むかしみち水根出口→徒歩約20分→奥多摩水と緑のふれあい館(チェックポイント)→徒歩すぐ→バス停・奥多摩湖→路線バス・奥多摩駅行き→奥多摩町観光案内所(ゴール)→JR青梅線奥多摩駅


氷川大橋



奥多摩むかしみち案内図



コースの案内

コースの歩行距離は約10km、歩行時間は約3時間50分(施設での見学時間を除く)です。

写真を撮りながら散策でしたが、所要時間は3時間40分、約1万5千歩でした。

所要時間が設定時間よりも短かったのは、上りで時間を稼いだのかもしれません。

奥多摩湖周辺を1時間ほど散策しましたので、スタートからゴールまでは1万9千歩でした。


今回の受付場所の「奥多摩町観光案内所」に行くと、「氷川(奥多摩駅)周辺の散策・軽ハイキングコース情報」のパンフレットがあり、10コースほどのハイキングコースが紹介されています。

そして、それぞれのコースの詳しいガイドマップも準備されています。

紹介されているコースの一つに「奥多摩むかし道・軽ハイキングコース」があり、今回の「駅からハイキング」はそのコースを歩くことになります。


奥多摩むかしみち 南氷川入口



羽黒坂

受付で「駅からハイキング・奥多摩むかしみち」の当日マップを渡されましたが、簡単な地図ですので、観光案内所に置かれている「奥多摩むかしみちコース」の詳しい地図を参考に歩きました。

奥多摩は多くの人がハイキングに訪れるだけあって、ハイキングコースには要所要所に案内板が立てられており、迷うことなく歩くことができるようになっています。



青梅街道はあっという間に下方に


今回の駅からハイキングのサブタイトルの横に「急なアップダウン」と書かれていますが、スタートの奥多摩駅が海抜343m、コースの最高地点が標高約600m、ゴールの小河内ダムが標高530mですので、やはりアップダウンの多いコースでした。

奥多摩町観光案内所から約300mで、「むかし道南氷川入口」です。


羽黒坂



羽黒坂 傾斜がやや緩やかに

コースの案内図に「駅を出て左に緩い坂をくだり、青梅街道に出て右折、氷川大橋を渡って150m先の生け花店角を右折し、20m先(案内板では35m先)の左横道に入る」と書かれています。

南氷川入口から最初のポイント「槐木(さいかちぎ)」までは約1Kmですが、標高差が70mあり、コース案内では約1Kmを徒歩約30分となっています。



周囲の景色の変化を見ると随分登った感じです しかし50m程度です


南氷川入口からいきなり羽黒坂を上ることになります。

山手の石段73段上に古社羽黒三田神社が鎮座しており坂の名前となりました。

結構勾配がきつく、小河内方面で生産された木炭運びの多数の馬力、大八車、背負いの人々と青梅・氷川方面からの上げに荷の人々が苦労した坂です。


羽黒坂の橋



羽黒坂の橋の左手に軌道跡の鉄橋が

かつてここには、小河内ダム建設のための、資材運搬を目的とした鉄道が通っていました。

現在は廃線となっていますが、その軌道跡が一部残っています。


軌道跡の鉄橋



まだまだ上り坂が続きます


羽黒坂を上ったところが「槐木(さいかちぎ)」です。

槐(さいかち)の巨樹があり、地名の由来となっています。

羽黒坂を上り詰めた休み場として賑わいました。

槐(さいかち)の巨樹は、残念ながら発見できませんでした。

「槐木(さいかちぎ)」からは道幅が広く、車両の通行できるなだらかな道となります。


槐木を過ぎると幅広い道に



三軒家

「槐木」から次のスポット「白髭神社」までは所要時間は約50分で、標高差は少なくなだらかな上り下がりが続きます。

途中で階段を登る場所がありますが、その場所は概ね平坦な道を進むことになります。

「槐木」から進むと左側に「三軒家」があり、さらに進むと桧村の集落があります。

この場所で奥多摩むかし道は青梅街道(国道411号線)のすぐ傍を通り、連絡道路も設けられています。



桧村の集落と紅葉


ハイキングコースは、連絡道路の少し手前から、なだらかな道路から離れて右手の坂道を上ります。

坂道を登ると道路が行き止まりになり、左手にコンクリートの階段があります。


右手の坂を登ります



左側の階段を登ります



急坂が続きます

階段を登るとその先に急坂が続いています。

急坂を少し上ると桧村集落を右下に見下ろす場所となります。



桧村集落



急坂の途中の案内表示


案内板にしたがって急坂の途中から左折し、今度は急な石段を下りると、元のなだらかな道に合流します。

合流した近くに「奥多摩むかしみちあんない」の案内板が立っていました。


急な石段を下ります



奥多摩むかしみち



奥多摩の紅葉



奥多摩むかしみち案内板

「奥多摩むかしみち」は、永川(ひかわ)村から小河内(おごうち)村に達する旧青梅街道です。

この街道は、古管(こすげ)から大菩薩峠を越えて甲府に至る甲州裏街道で、甲州街道より8kmほど近道だったそうです。

現在の青梅街道は、柳沢峠を越え、塩山に出る明治11年(1878年)に開通した道です。


昔、小河内の生活は、塩山との交易で支えられていました。大菩薩峠の無人小屋で物々交換をしていましたが、一度も間違いはなかったそうです。

その後、小河内の物産は、氷川への険しい山道(14km)を避けて、歩きやすい五日市(20km)に運ばれ、生活物資に換えられました。柚沢(きざわ)から風張峠に出て、浅間尾根を通り、本宿に下りて五日市に向かう道を通りました。


奥多摩の紅葉



奥多摩の紅葉



奥多摩むかしみち

明治32年(1899年)に、小河内と氷川間が、わりと平坦な山腹を通る道に改修され、道のりも10kmに短縮、交易ルートが氷川へと変わりました。以降、木炭の生産が飛躍的に増加しました。

その後も氷川への道は、たびたび改修され生活の道となったのは大正から昭和初期に入ってからです。

昭和13年(1938年)、氷川〜西久保間にダム建設資材輸送専用として造られた道路が、昭和20年(1845年)に一般道として開放され、現在の国道411号線になりました。


この付近まで来ると、紅葉が次第に多くなってきます。

奥多摩の紅葉を眺めながら、概ね平坦な道を暫く進むと右手に「不動の上滝」があります。

旧道下に不動尊が祀られていることから、不動の上滝として行き交う人々に安らぎを与えてきた滝です。

落差は約7mです。


不動の上滝



奥多摩の紅葉



桧村集落

「不動の上滝」から暫く進むと左手に集落が見えてきました。

先ほど通過した桧村の集落のようです。



白髭大岩



白髭大岩


暫く進んだ右手が「白髭神社」です。

石段を登ると右手に大岩があり、その側面に白髭神社があります。

古代において白髭大神信仰の文化が多摩川をさかのぼり、古代人の思想に一致した神宿る聖地として巨岩のある清浄高顕のこの地に巨岩を御神体として祭祀が営まれたとのことです。


白髭神社への石段



白髭神社

大岩は秩父古生層のうち石灰岩層の断層が露頭したものです。

白髭神社社殿北側に長さ約20m、高さ約5mにわたって露呈しています。

層脈は多摩川を挟んで対岸にも続いています。

断面層がこのように大きく露出しているのは極めてまれで、学術上貴重で都指定天然記念物です。



弁慶の腕抜き岩


「白髭神社」から次の散策ポイント「しだくら吊橋」までは、徒歩約30分で標高差は50mで、なだらかな道が続きます。

白髭神社から少し進むと「弁慶の腕抜き岩」があります。

高さ3mほどの自然石です。

岩の下の方に腕が入る程度の穴があることから旧道往来の人々に親しまれ、力の強い弁慶に付会されて誰いうことなく「弁慶の腕抜き岩」と呼ばれるようになりました。


奥多摩の紅葉



耳神様

「弁慶の腕抜き岩」の傍に「耳神様」があります。

医療が不自由だった頃、耳だれや耳が痛い時は、穴のあいた小石を見つけて、耳神様に供えて、一心に祈ったとのことです。



いろは楓


「耳神様」から少し進むと「いろは楓」があります。

「いろは楓」は奥多摩の山々に自生する「山もみじ」の一種です。

樹齢200年の巨樹3本が並んでいます。

この樹の紅葉は特に優れていて「名状すべがたい」といわれており、旧道往来の人々を楽しませた樹です。

11月中・下旬が見頃とのことですが、残念ながら少し早かったようです。


惣岳の成田不動尊



惣岳の成田不動尊

「いろは楓」から暫く進むと右手石段の上に「惣岳の成田不動尊」があります。

明治年代に、水根の奥平大乗法印と信仰の厚かった惣岳の奥平庄助が、成田不動尊を勧請、祭祀したものです。

昭和10年現本殿と覆舎を再建しました。


「惣岳の成田不動尊」の少し先が「惣岳渓谷」です。

太古以来の大洪水と、近くは寛保2年(1742年)と明治40年(1907年)の奥多摩一帯を襲った未曾有の大水害によって、多摩川南岸しだくら谷より押し出した多数の巨岩怪岩が造った渓谷です。


奥多摩むかしみち 惣岳渓谷



しだくら橋

この渓谷に架かっているのが「しだくら橋」です。

巨岩から巨岩をつなぐように直径20cmほどの杉丸太を4,5本ずつ藤蔓で結び架橋していました。

現在は吊り橋となっています。

吊橋の袂に「3人以上は一度に渡らないで下さい」と書かれており、橋の上を歩くと震動が伝わってきます。



しだくら橋 歩行場所と金網の間に隙間が



しだくら橋


吊橋の両側には金網が張られていますが、板張りの橋の部分とは少し離れており、橋の上には手で掴む場所はありません。スリル満点の吊り橋です。

しかしながら、「惣岳の荒」といわれている、多くの巨岩の渓谷美は橋の上からでないと眺めることはできません。

ここはスリルに挑戦するしかありません(笑)


惣岳渓谷



惣岳渓谷



惣岳渓谷

「しだくら橋」の少し手前に「巌道の馬頭様」がありました。

現在の旧道以前の旧道は、人一人が通れるほどの細い道であったため、多くの馬が谷底に落ちて死んでいます。

その供養のため、沢山の馬頭様が造立されています。

崖の岩石崩落防止の金網があるため、写真撮影ができませんでした。




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         風来坊


馬頭様の造立場所


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