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山梨の桜巡り その4(甚六桜、大善寺) (H24.4.15)

甚六桜


勝沼ぶどう郷駅周辺の甚六桜



勝沼ぶどう郷駅周辺の甚六桜



甚六公園

恵林寺の桜を見終わったのが11時30分過ぎでした。

ちょうど良い時間でしたので、次の目的地の「JR勝沼ぶどう郷駅」に向かう途中に、甲州市内で昼食を採りました。

JR勝沼ぶどう郷駅はぶどう畑の続く山の斜面にあります。

山の斜面を登っていくと見事な桜並木が見えてきました。



旧勝沼駅のプラットホームと線路跡の散策路



甚六桜


JR勝沼ぶどう郷駅周辺に植えられている約600本の桜は、「甚六桜」と呼ばれています。

甲府盆地の玄関口である勝沼駅周辺を桜の花で埋めようと、地元菱山地区の後継者の会である「甚六会」が昭和52年(1977年)から苗木を育てて植えています。

その功労を讃え「甚六桜」の名がつけられました。


甚六桜



プラットホームで通過する電車を撮影する人達



通過する電車



通過する電車

旧勝沼駅はスイッチバック式であったため、駅構内の線路の延長は2kmあまりと長く、北側の塩山駅寄りに残る折り返し線の敷地にも沢山の桜が植えられています。

4月初旬の満開の頃になると、見事な桜の回廊が出現します。

現在では、勝沼ぶどう郷駅周辺は、中央本線沿線でも有数の花見の名所として知られ、毎年、甚六会が開催する「さくら祭り」が開かれています。


すぐ脇を通り過ぎる電車と桜の風景は勝沼ぶどう郷駅の象徴的な景観となっています。

桜並木は線路に沿って続いているため、線路の傍から電車と桜を撮影することができます。

桜並木に近づいて見ると、勝沼ぶどう郷駅のプラットホームの塩山よりの端には、多くのカメラマンが並んでいました。


通過する特急電車



散策路(さくら橋)の桜



散策路の桜



散策路(さくら橋)の桜

駅のプラットホームから走行する電車と桜の撮影に熱中しているようです。

風来坊も入場券を購入してプラットホームにあがってみました。

駅のプラットホームからの桜並木の眺めもなかなか素晴らしいものがあります。

電車の乗客も僅かな停車時間を利用して、電車から降りて熱心に撮影していました。



プラットホームの両側に咲き誇る甚六桜



ネットの友人夫妻も熱心に撮影中


プラットホームからの電車の撮影は、普通電車は時刻表で予想がつきますが、特急電車はいつ通過するか不明で、タイミングを逸してしまいました。

改札を出て左手にある「甚六公園」には鉄道全盛期往年の機関車が設置されています。

子供達に人気のようです。


通過する電車



ホームに停車中の電車

夜にはライトアップした桜を楽しむこともできます。

また、近くのぶどうの丘からの眺めも素晴らしいとのことですが、今回はパスしました。



プラットホームからの甚六桜



旧勝沼駅のプラットホーム


甚六桜の住所

甲州市勝沼町菱山(JR勝沼ぶどう郷駅傍)



アクセス

JR勝沼ぶどう郷駅から徒歩1分


関連のホームページ

 甚六桜


旧勝沼駅のプラットホーム


大善寺の桜


大善寺薬師堂


通過する電車の撮影などで、勝沼ぶどう郷駅には1時間程滞在してしまいました。

14時過ぎに出発して、車で約5分の大善寺に向かいました。

柏尾山大善寺は、真言宗智山派のお寺です。

養老2年(718年)僧行基が甲斐の国を訪れたとき、勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に、手に葡萄を持った薬師如来が現れました。



階段の続く参道


行基はその夢を喜び、早速夢の中に現れたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置したのが、今日の柏尾山大善寺です。

以来、行基は薬園をつくって民衆を救い、法薬の葡萄の作り方を村人に教えたので、この地に葡萄が栽培されるようになり、これが甲州葡萄の始まりだと伝えられています。

このため、大善寺は「ぶどう寺」ともいわれています。


階段の続く参道を上部から


天下統一を競った武田信玄亡き後の武田勝頼は、織田、徳川の連合軍に敗退し、天正10年(1582年)3月3日、郡内の岩殿城で再興を図ろうと韮崎の新府城を出発し、途中この柏尾山大善寺で戦勝を祈願して一夜を明かしました。

しかし、武田家再興がかなわないと見た家臣の大半は夜半に離散し、また、岩殿城主小山田信茂の裏切りに合い、勝頼主従は天目山を目指しましたが、織田、徳川の連合軍に行く手を阻まれ、ついに3月31日、勝頼以下一族と家臣は自決し、新羅三郎義光以来500年続いた甲斐源氏も滅亡しました。

その一部始終を目撃した理慶尼が記した理慶尼記は、武田滅亡記ともいわれ、尼の住んでいたこの大善寺に今なお大切に保管されています。

勝頼の家臣たちは、勝頼を最後まで裏切ることなく守り、戦死しましたが、その子供たちは、後に徳川家康に重用され、江戸時代には各地の城主に任命されました。勝頼最後の「宿」となった薬師堂にはその子供たちから寄進された文殊菩薩、毘沙門天が今でも大切に安置されています。



大善寺境内の桜



大善寺境内の桜

大善寺本堂は、本堂の中に、薬師三尊像を安置していますので「薬師堂」とも呼ばれています。

この薬師堂には、弘安9年3月16日(1286年)の刻印があり、弘安の役の数年後に建てられており、築710年以上を経過している、山梨県では一番古い建物です。

この薬師堂は国宝に指定されています。


午後になって雲が多くなり、薬師堂に到着した2時30分頃からは曇天となってしまいました。

大善寺を見た後、最後の目的地「甲斐大和駅」に行きましたが、標高が高いためか桜はまだ蕾でした。

武田勝頼が自決した天目山が駅の北東にあり、駅のホームには「武田氏終焉の郷」の看板が設置されています。

また、駅裏手には武田勝頼の銅像が建立されています


大善寺境内の桜



大善寺境内の桜



大善寺境内の桜

大善寺の住所

甲州市勝沼町勝沼3559


アクセス

JR勝沼ぶどう郷駅からタクシーで5分


駐車場

普通車40台。薬師堂への拝観料を購入すると駐車できます。



大善寺境内の桜



拝観料

大善寺国宝薬師堂:500円


関連ホームページ

 大善寺


大善寺境内の桜



大善寺境内の桜


山梨桜巡りその1(山高神代桜、わに塚の桜)へ



山梨桜巡りその2(慈雲寺、周林禅寺)へ


山梨桜巡りその3(放光寺、恵林寺)へ

     風来坊


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