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別所温泉散策 その2 (H24.8.5)


北向観音



北向観音参道入口

黒門から100m程進むと、北向観音の入口です。

厄除観音として知られる「北向観音堂」は、平安時代初期の天長2年(825年)比叡山延暦寺座主慈覚大師により開創された霊場です。



北向観音参道



北向観音参道


安和2年(969年)、将軍塚で紹介した平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられています。

寿永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により安楽寺の八角三重塔と常楽寺の石造多宝塔を残して全て焼失してしまいますが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興され、現在に至っています。


北向観音参道



北向観音



北向観音

北向観音堂の本尊は千手観音菩薩で、昔からこの地方はもちろん広く県内外の信者が多く厄除の観音様として親しまれています。

本堂が北に向いていることから通称北向観音と呼ばれています。

本堂が北を向いているのは、わが国でも殆ど例がないようです。

その由来は、観世音菩薩出現の際、「北斗星が世界のよりどころとなるように、我も又一切民衆のよりどころとなって済度をなさん」というお告げによるものといわれています。


善光寺と向き合っているので、「裏善光寺」とも呼ばれています。

南向の長野の善光寺に詣り「未来往生来世の利益」を願い、北向観音に詣り「現世の利益」を祈願します。

善光寺と北向観音のご利益は一体のもので、「片方だけでは片詣り」になるとされています。


北向観音堂鐘楼



カツラの大木


愛染堂


観音堂の境内にこの地方ではめずらしいカツラの大木があります。

高さ22m、目通り5.5m、枝張り14mという大きなもので、北向観音の霊木とされています。

また、この木の下に別所三楽寺の一つである長楽寺があったといわれています。


近年、境内にある愛染堂とカツラの大木を結んで、「愛染桂」といって若者達に縁結びの霊木として親しまれています。

川口松太郎の名作「愛染桂」はこの木からヒントを得たという説があります。


飲泉塔(温泉飲用)



別所温泉街



別所温泉街

北向観音堂の北側には別所温泉の温泉街が広がっています。

別所温泉は、昔から自然に湧き出していた温泉です。

信仰の厚い土地である別所温泉は、庶民の療養と安息の場として栄え、各所から湧き出す温泉を共同浴場として、これを中心に旅館街が活気を呈していたことが古文書等により知ることができます。


数ケ所の湧出口のうち、「石湯」「大師湯」「大湯」など、昔から由緒のある名湯は共同浴場(外湯)として現在も土地の人々に親しまれています。

入浴料はいずれも150円です。


北向観音の近くにあるのが「大師湯」と「石湯」です。


別所温泉街



大師湯

「大師湯」は天長2年(825年)比叡山延暦寺の慈覚大師が北向観音堂建立のため別所温泉に来た際に、好んで入浴したので大師湯と名付けられました。

かつては北向山に参詣した籠の者が夜通し入替わり利用したので籠の湯ともいわれました。

また、昔矢傷を負った堆子が湯あみして傷をいやしたので「雑子湯」とも呼ばれたこともあります。


「石湯」は、現在も豊かに岩の間から湧きだす温泉です。

大河小説「真田太平記」には、別所の湯がしばしば登場します。

物語りの中で重要な位置を占める向井佐平次が真田幸村と初めて逢うのも、真田幸村が女忍者お江(おこう) と結ばれるのも、別所の岩の間から湧き出す温泉の白い湯気の中だったとのことです。


石湯



石湯(真田幸村公 隠しの湯)

そして、関ヶ原の合戦には真田の忍者草の者達が、別所の里に身をひそめて、上田城に籠城する昌幸親子をじっと見守りました。別所の湯、それは真田氏にとって大切な隠し湯だったのです。

石湯の前には「真田幸村公隠しの湯」の標石が立っていますが、これは真田太平記の作者、池波正太郎氏の筆によるものです。



かしわや本店



つるし飾りまつり



つるし飾りまつり


北向観音の隣にある旅館「かしわや本店」は、つるし飾りまつりの展示会場となっていました。

北向観音から大師湯に至る道路の両側に建つ大きな旅館ですが、快く旅館内に展示されているつるし飾りを見せて下さいました。


つるし飾りまつり



別所温泉センター

石湯から川に沿って温泉街を下流に150m程進むと北向観音参道への入口に戻ります。

そのまま50m程進むと左手に「別所温泉センター」があります。

この建物に「温泉歴史資料展示室」があり、別所温泉の歴史年表、塩田平の縄文・弥生時代の石器、塩田周辺の寺院の仏像塔、芭蕉を始めとする歌人俳人の石碑拓本など信州の鎌倉を訪れる人への参考資料、祭華岳ののぼりなどが展示されています。

建物内には観光案内所もあります。



足湯ななくり


「別所温泉センター」から50m程進んだ路地を右折して50m程進むと右手に「足湯ななくり」があります。

安楽寺の八角三重塔をモチーフにした総檜造りで、8人が同時に腰掛けてゆっくり楽しむことができます。


足湯ななくり



別所温泉街



別所温泉街



大湯(葵の湯)



別所温泉の旅館

「足湯ななくり」を過ぎると温泉街から離れますが、道なりに300m程進むともう一つの温泉街に到着します。

この温泉街の中心部の旅館に囲まれた場所に「大湯」があります。

木曽義仲と葵御前が療養で訪れたことから「葵の湯」とも呼ばれています。


吉川英治の「新平家物語」巻十三に次のように書かれています。

木曾義仲は正月末から葵の前を連れて信濃の別所の温泉へ療養に来ていた。

「葵、もうここも飽いたであらう」

「いいえ、飽くなどはおろか、殿とこうして居るならば、いつまでもと願うております。殿は」

「おれか、おれは正直飽き飽きしたな、二十日あまりこう湯浸しでは」


別所温泉の旅館



足湯大湯薬師の湯

「まあ、わらわの為にさぞお辛そうな。申しわけない事でございます」

「や、怒ったか、葵」

御湯屋はにわかぶしんだが木の香も新しく湯は湯槽にあふれて清々と流れているーこの建物さえ彼女に療養させる為に義仲が急に命じて造らせたものである・・・・。


「大湯」の近くに「足湯大湯薬師の湯」もあります。



あいそめの湯



つるし飾りまつり


別所温泉駅の傍に「あいそめの湯」があります。

別所温泉では最大規模の日帰り公共温泉施設で、内湯、露天風呂のほか天然檜が香る岩盤浴や無料の足湯もあります。

「あいそめの湯」もつるし飾りまつりの展示会場となっていました。


つるし飾りまつり



塩田平からの展望


別所温泉は散策スポットがいずれも別所温泉駅から10分以内のところにあり、2時間程度で散策を終了したことから、塩田平の前山寺を訪ねることにしました。

塩田平は上田電鉄別所線からは少し離れており、別所温泉駅と塩田町駅間を運行している「信州の鎌倉シャトルバス」を利用することになります。


前山寺参道



前山寺参道

「信州の鎌倉シャトルバス」は別所温泉駅からは1日5便、塩田町駅からは1日4便ですが、塩田町駅で上田電鉄別所線と連接するように運行されており、効率よく利用することができます。

今回は別所温泉駅発13時30分のバスに乗車し、前山寺を見学した後、別所温泉駅発14時40分発のバスに乗車して、塩田町駅に出ることにしました。



前山寺本堂



前山寺本堂


前山寺は独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来です。

弘仁3年(812年)空海上人が護摩修行の霊場として開創したと伝えられています。

当初古義真言宗として法相宗と三論宗を兼ねていましたが、元弘元年(1331年)讃岐国善通寺から長秀上人が訪れ、現在地に移して規模を拡大させたと伝えられています。

塩田城の鬼門に位置し、その祈祷寺として、武将の信仰も厚かったとのことです。


前山寺



前山寺三重塔



前山寺三重塔



前山寺鐘楼

境内には、二層目と三層目に縁と勾欄(こうらん)がないために、「未完成の完成塔」といわれる三重塔があります。

国の重要文化財に指定されています。

前山寺は藤をはじめとして数々の花の名所としても知られています。


塩田平には前山寺のほか、塩田城址、龍光寺、塩野神社、中善寺薬師堂など、鎌倉時代に建てられた建造物や史跡が点在しています。

また、信濃デッサン館や無言館などもあり、塩田平のみを散策するのも良いかと思われます。


前山寺三門



塩田町駅


関連するホームページ

 別所温泉観光協会



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       風来坊


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