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善光寺本堂
石畳の参道 左は大本願 右は宿坊
宿坊
善光寺は、一光三尊阿弥陀如来様を御本尊として飛鳥時代に創建され、阿弥陀如来との結縁の場として、民衆の心の拠り所として広く信仰された古刹です。 「善光寺縁起」によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、インドから朝鮮半島百済国へ渡り、欽明天皇13年(552年)に、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれています。
源頼朝や武田信玄、徳川家康など時の権力者からの信仰も厚く、江戸時代になると「牛にひかれて善光寺参り」の伝承で全国的に知られ、一生に一度お参りしないと極楽に行けないと、参拝者が絶えず、今日では年間約600万人が訪れています。 善光寺の特徴として、女人禁制であった旧来の仏教の中にあって、男女平等の救済(女性救済)を説くことが上げられます。 このため、女性の参拝者が多いことも善光寺参りの特徴でもありました。
善光寺は特定の宗派に属しない、無宗派の寺院で、山号は定額山です。 山内にある天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって護持、運営されています。 善光寺の住職は、大勧進貫主と大本願上人の両名が務めています。
JR長野駅善光寺口(西口)から善光寺方面のバスに乗車し、「善光寺大門」で下車すると、すぐ前が境内地入口で、前方に石畳の参道が続いています。 境内地入り口から三門下までの400メートルに敷かれている石畳は、正徳4年(1714年)に江戸中橋の大竹屋平兵衛より寄進されたものです。古来より7777枚あるといわれています。 本堂から三門にかけての石畳は、正徳4年(1713年)、腰村西光寺欣誉単求により寄進されたものです。
大本願
参道の左側に「大本願」があります。 「大本願」は浄土宗の本坊で、大寺院としては珍しい尼寺で、住職は善光寺上人と呼ばれ、代々皇室ゆかりの尼僧が住職を務めています。 近世において、尼僧では伊勢・慶光院、熱田・誓願寺とともに日本三上人といわれていましたが、今日では大本願の上人のみが法灯を継承されています。
大勧進の貫主と共に善光寺住職を兼ねており、毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕されます。 大本願には、本誓殿・奥書殿・明照殿・表書院・光明閣・寿光殿・宝物館などがあります。
参道の右側には宿坊が並んでいます。 善光寺には39の宿坊があり、ほとんどの宿坊に宿泊できます。 善光寺は早朝に厳かな行事が集中しており、夏は朝の5時半から「お朝事」が行われます。 宿坊に宿泊すれば、住職等が「お朝事」に案内してくれるとのことです。 宿泊するには予約が必要で原則として2名以上とのことです。
むじな地蔵
宿坊の並んでいる中間付近の白蓮坊の前に、「むじな地蔵」があります。 この「むじな地蔵」は「むじな燈籠」の伝説に籠められた、善光寺如来の慈悲の世界を、彫刻家の藪内左斗司先生が、天真爛漫な童子姿のお地蔵さまと健気なむじなの姿を表して下さったものです。 百蓮坊堂内には、この像の原型となる木造の「むじな地蔵」が安置されています。 むじな燈籠は経蔵の北側にあります。
仁王門
仁王門 前方は仲見世通り
仁王像
仁王門は宝暦2年(1752年)に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在の仁王門は大正7年(1918年)に再建されました。 この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。
仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は、いずれも高村光雲・米原雲海の作です。 その原型は善光寺史料館に展示されています。
仲見世通り
仲見世通り(水打ち)
仁王門を過ぎると「仲見世通り」です。 仁王門から駒返り橋までの石畳の参道を挟んで、味処、土産物店、仏具店、旅館などが軒を連ねています。 昔ながらの軽食や甘味、信州の素材を生かした和菓子やスイーツなどを楽しめるお店がたくさんあります。
この日は善光寺参道で水打ちのイベントが行われました。 仲見世通りの商店もそれぞれの店の前で水打ちを行っており、子供も元気に参加していました。
延命地蔵尊
仲見世通り中央西側に「如来堂旧地」という石碑があります。 この地は善光寺草創以来、本尊壇があった場所であり、延命地蔵尊は現本堂落成から5年後の正徳2年(1712年)に造立されました。 当時の地蔵尊はその後の災害や供出により現存していませんが、現在は昭和24年に復興された地蔵尊が安置されています。
駒返り橋 一番左端に凹み
仲見世通りが終わり、三門へ進む参道の入り口に石橋があります。 この石橋は、建久8年(1197年)源頼朝が善光寺を参詣した時に、馬の蹄が穴に挟まってしまった為に駒を返したという話から「駒返り橋」と呼ばれています。 その馬蹄の凹みは現在も「駒返り橋」の左側に見ることが出来るとのことですが、見逃しました。
観光案内所
駒返り橋を過ぎた左手に観光案内所があります。 観光案内所では休憩できますが、その中央に「牛にひかれて善光寺参り」の像が置かれています。
観光案内所前の参道
六地蔵
六地蔵は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の6つの世界で我々衆生を救って下さる菩薩です。 六地蔵は、宝暦9年(1759年)に浅草天王町祐昌が願主となって造立しましたが、昭和19年に金物供出に出されました。 現在の六地蔵は昭和29年に再興されたものです。
ぬれ仏(延命地蔵)
ぬれ仏は、享保7年(1722年)に善光寺聖・法誉円信が全国から喜捨を集めて造立した延命地蔵尊です。 江戸の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を慰めたものという伝承が伝えられているため、俗に「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれています。
大勧進
駒返り橋から山門に向かう左手に大勧進があります。 大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、大本願の上人(しょうにん)と共に善光寺住職を兼ねています。 貫主は代々比叡山延暦寺より推挙される慣習になっており、毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕されます。
大勧進には本堂の万善堂のほか、無量寿殿、不動堂、地蔵八角円堂、紫雲閣、宝物殿、僧侶が修行をする聖天堂などがあります。 また、奥書院は明治天皇御巡幸以来、大正天皇、昭和天皇両陛下の御駐泊により、昭和8年に行在所に指定されています。
関連のホームページ 信州善光寺 アクセス JR長野駅善光寺口(西口)バス停留所1番乗り場から善光寺方面行きのバスで約10分。 「善光寺大門」で下車すると境内入口。料金100円。 善光寺その2へ 風来坊