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善光寺 その2 (H24.8.8)


山門(三門)



大勧進からの山門

山門は寛延3年(1750年)に建立された二層入母屋造りの門です。

屋根は大正年間の葺き替え時に檜皮葺きとなりましたが、平成14年から19年にかけて行われた平成大修理において、建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。

楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。

さらに「善」の一字が牛の顔に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を如実に物語っています。



山門からの仲見世通り 水打ちの行事が行われています



山門からの展望 手前はぬれ仏


平成の大修理完了を記念して、約40年間にわたって中断されていた2階への登楼参拝(山門特別拝観)が平成20年から再開されることになりました。

内部では山門本尊の文殊菩薩像、その四方を守護する四天王像、色鮮やかに修復された仏間の障壁画、四国八十八ヶ所霊場御分身仏などを見ることができます。

また、平成23年からは登楼参拝記念として、2階から見渡せる善光寺表参道の眺望を、手持ちカメラで撮影できるようになりました。
今年の山門特別拝観日程は、3月17日(土)から11月30日(金)です。


大勧進



本堂



本堂



本堂

本堂は創建以来十数回もの火災に遭っていますが、そのたびに善光寺を慕う全国の信徒によって復興されてきました。

現在の本堂は宝永4年(1707年)に再建された物で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。


間口約24m、奥行き約54m、高さ約26mという国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と呼ばれています。

屋根は総檜皮(ひわだ)葺きです。
最奥の瑠璃壇に、御本尊の一光三尊阿弥陀如来をお祀りしています。


本堂



本堂

内々陣には、御本尊が安置されている厨子のある瑠璃壇と、善光寺の開山の祖とされる本田善光らが祭られている御三郷の間があります。

通常参拝者は入ることができません。

本堂の改札を入るとそこが内陣で、約百五十畳敷きの広大な畳の空間が広がっています。

内々陣の外側で、通常、参拝者がお参りするところです。

江戸時代までは参拝者はここに一泊泊まり、翌朝の参拝に備えたとのことです。


お戒壇巡りとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく道場です。

内々陣の右奥にある階段が入口で、距離は約45mです。

入口には、タイ国王より贈られた仏舎利(お釈迦様の御遺骨)とお釈迦様の像が安置されています。


本堂



本堂

お戒壇巡りの入口から階段を下がると突然真っ黒になり何も見えません。

どちらに進めばよいのか全くわかりません。

道に迷わないように右手で右側の壁に触れつつ進みました。

前を進むグループの会話が唯一の情報源です。前を進むグループから「右側の中段に錠前があった」との声があり、注意しながら進むと無事錠前に触れることができました。



鐘楼


鐘楼は嘉永6年(1853年)に再建された檜皮葺の建物で、南無阿弥陀仏の六字にちなんで6本の柱で建てられています。

梵鐘は寛文7年(1667年)鋳造の名鐘であり、重要美術品に指定されています。

毎日午前10時から午後4時の毎正時に時を知らせる鐘として、更に長野オリンピックの開会を告げた鐘として親しまれています。


鐘楼



経蔵

経蔵は宝暦9年(1759年)に建立された宝形造りのお堂で、重要文化財に指定されています。

内部中央には八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した「一切経」が収められています。

輪蔵に付属している腕木を押し回すことでこの「一切経」を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。

また、経蔵内には輪蔵を考案した傅大士、並びに伝教・慈覚の両大師像が祀られています。


経蔵は建物老朽化に伴う検査のため、内部参拝が中止でした。


経蔵の傍に「むじな燈籠伝説」の、「むじな燈籠」が建っています。

「昔、下総国のむじなが、殺生をしなければ生きていけない自らの罪を恥じ、後生を頼むため、人の姿に化けて善光寺を参詣しました。むじなは善光寺に燈籠を寄進したいと願っていましたが、宿坊でうっかりむじなの姿のまま入浴していたところを人に見つかり、何処かに逃げ去りました。むじなを不憫に思った宿坊の住職が、その願いを叶えるため、この燈籠を建てたといわれています。」


むじな燈籠



日本忠霊殿・善光寺史料館



日本忠霊殿・善光寺史料館

日本忠霊伝は、戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊を祀る、我が国唯一の仏式による霊廟です。

御本尊は秘仏の善光寺如来の分身仏です。

1階には善光寺所蔵の什物を展示する「善光寺史料館」が併設され、絵馬などを通して全国に根付く善光寺信仰の歴史を垣間見ることができます。


爪彫如来

浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、越後から東国への旅の途中、善光寺に百日逗留したと伝えられています。

この阿弥陀如来は、親鸞聖人が逗留中に爪で彫られたものといわれ、特に眼病を治して下さる仏様として人々に信仰されています。


爪彫如来



歴代回向柱


歴代回向柱

数え年で7年に一度開かれる御開帳のシンボルとして、前立御本尊と人々との架け橋となった回向柱は、御開帳終了後には経蔵裏手へ移動され、人々の思いと共に長い年月を経て土に還っていきます。

現在は昭和30年(1955年)から平成21年(2009年)までの10本の回向柱があり、一番古い柱は30センチ程になっています。


境内に小林一茶の句碑がありました。

 春風や 牛に引かれて 善光寺

 開帳に 逢うや雀も 親子連れ



小林一茶は、長野県信濃町柏原の生まれで、庶民に親しまれる数多くの俳句を作りました。

この2句は一茶が善光寺奉納句として書いたものです。


仲見世通り



仲見世通り



仲見世通り



仲見世通り


関連のホームページ

 信州善光寺


アクセス

JR長野駅善光寺口(西口)バス停留所1番乗り場から善光寺方面行きのバスで約10分。

「善光寺大門」で下車すると境内入口。料金100円。




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       風来坊


仲見世通り


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