散策スポット・北海道東北

散策スポット目次

HOME

前ページ

次ページ

軽井沢散策 その3 (H24.9.7)

サイクリングにて


雲場池



雲場池



雲場池

2回目の軽井沢散策は、軽井沢本通り及び旧軽井沢銀座通りの周辺をサイクリングで廻りました。

軽井沢駅前にはレンタルサイクルの店が並んでいます。

サイクリングを借りると「軽井沢サイクリングマップ」を手渡してくれます。


この地図は軽井沢駅、旧軽井沢銀座周辺を拡大した地図です。

「軽井沢サイクリングマップ」には、要所要所に番号が付与されています。

この番号が付与されている場所に案内標識が建っており、マップ上の番号と標識の番号を見比べながら、自分の位置を確認しつつ、軽井沢を駆けめぐることができます。

地図には散策スポットや目印となる建物やお店なども掲載されています。


雲場池



軽井沢本通り 左がサイクリング専用道路



軽井沢本通り 東雲交差点

軽井沢駅北口から軽井沢本通りを北方向に進み、東雲の交差点Aを左折して六本辻を真っ直ぐ進むと右手に雲場池があります。

地元では「おみずばた」「スワンレイク」と呼ばれています。

雲場池は御膳水を源とする小川をせき止めて誕生した池で、紅葉と新緑の名所として全国的に知られています。



雲場池



雲場池


雲場池はタテに細長いため、両脇に木々に挟まれて湖面に風が立ちにくい状況になっています。

このため、湖面が鏡のようになり、両サイドから美しい新緑や紅葉が写し出されます。

軽井沢高原は紅葉に適した風土で、紅色一色の景観を楽しむことができますが、その軽井沢でも雲場池の紅葉が一番美しいといわれています。

池の周囲を20分程度でゆっくりと景観を楽しみながら一周することができます。


雲場池



雲場池

「雲場池」から西方向(六本辻と反対方向)に30m程進んだ四つ辻(R)を右折して、道なりに1kmほど進んだ右手に「ホテル鹿島ノ森」(Q)があります。

「ホテル鹿島ノ森」を30mほど過ぎた右手にある谷間を10mほど下がったところに「御膳水」があります。



御膳水



御膳水


「ホテル鹿島ノ森」の敷地内にある小さな渓谷に湧き出る「御膳水」は、雲場池の水源です。

江戸時代から水質がよく湧水量も多いこの湧水は、地元ではいつの頃か「お水端」と呼ばれ、軽井沢宿を往還する旅人や宿場の人々に親しまれてきました。

また、本陣等に宿泊する武家諸大名や宮家などの御膳に用いられたことから「御膳水」と名付けられたといわれています。


明治天皇軽井沢御膳水の碑



御膳水

明治11年(1878年)に明治天皇が軽井沢宿にて昼食をとられた時も、この湧水が御膳水として使用されています。

ホテル敷地内ですが、遊歩道を通り自由に散策することができます。

「御膳水」の流れは雲場川になり、霊場池に注いでいます。



森のような散策路



旧三笠ホテル


「御膳水」から木立の中の道を700mほど進むと、林の中から街中に出て交差点があります。この交差点(H)を左右に走っているのが三笠通りです。

交差点を左折して延々と続く上り坂を1.5kmほど進んだところが「旧三笠ホテル」(K)です。

坂道の途中からは、から松並木となります。


旧三笠ホテル



旧三笠ホテル



旧三笠ホテル



旧三笠ホテル

「旧三笠ホテル」は、日本郵船や明治製菓の重役を務めた実業家の山本直良が創業しました。山本直良は音楽家の山本直純の祖父に当たる人です。

明治37年(1904年)に三笠山の麓に土地25万坪を購入した山本直良は、当初は牧場を経営することを考えていましたが、土壌の問題があり断念しました。

そこで定宿の万平ホテルの主人に知恵を借りて、三笠ホテルを建築しました。

商売敵になるはずの万平ホテルの主人は快く引き受けてくれたとのことです



旧三笠ホテル


旧三笠ホテルは、日本人の設計、施工による明治後期の純正洋風の木造ホテルです。

旧三笠ホテルは明治39年(1906年)に営業を開始しましたが、電灯によるシャンデリア照明、英国製タイルを張った水洗便所、英国製のカーペットの採用など、当時の最先端、最高級の設備が整えられていました。

客室30に対して、定員は40名という豪華さで、プールも備えられていました。


旧三笠ホテル



旧三笠ホテル

現在の旧三笠ホテルは、開業当時の半分しか残っていないとのことです。

軽井沢駅まで黒塗りの馬車で送迎するサービスもあり、その豪華さ故に名だたる顔ぶれが宿泊する、華やかの社交舞台となり、「軽井沢の鹿鳴館」と呼ばれていました。

国の重要文化財に指定されています。


「旧三笠ホテル」から元来た道を交差点(H)まで戻り、交差点を左折すると「水車の道」となり、50mほど進んだ左手が「聖パウロカトリック教会」です。

旧軽井沢銀座通りに平行している「水車の道」を道なりに進むと、「ショー記念礼拝堂」の傍で旧軽井沢銀座通りからの道(旧中山道)と合流(G)します。

旧中山道を碓氷峠の方向に100mほど進んだところが「二手橋」(F)です。


旧三笠ホテル



二手橋



見晴台へ続く旧中山道

「二手橋」から旧中山道を3Kmほど進むと「見晴台」があります。

また、旧中山道の途中から「見晴台」への遊歩道も設けられています。

「二手橋」から先はサイクリング禁止区域ですから、「見晴台」に行くのはバスあるいは徒歩となります。



室生犀星記念館


「二手橋」から旧中山道を「ショー記念礼拝堂」の方に戻り、「ショー記念礼拝堂」を50m程過ぎた三叉路を左折すると、すぐに「大宮橋」があります。

「大宮橋」を渡ったところを右折すると、緩やかな下り坂になります。「お気持ちの道」です。

200mほど下ると橋があり、橋を渡った少し先の三叉路を右に100m程入ったところが「室生犀星記念館」です。


室生犀星記念館



室生犀星記念館

室生犀星は大正から昭和にかけて活躍した文学者です。

軽井沢をこよなく愛した室生犀星が、昭和6年(1931年)からなくなる前年の昭和36年(1961年)まで過ごした旧居が記念館として公開されています。


室生犀星記念館から「お気持ちの道」に戻り、緩やかな下り坂を100m程下った丁字路を左折して200mほど進んだところが「万平ホテル」の入口(C)です。

万平ホテルは、江戸時代後期に、佐藤万右衛門が万平ホテルの前身となる旅籠「亀屋」を旧軽井沢銀座の軽井沢郵便局付近に開業したのがはじまりです。

軽井沢は宿場町として繁栄しましたが、明治時代になると急速に寂れてしまいます。


万平ホテル



万平通り

明治19年(1886年)に軽井沢を訪れた、宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーと英語教師ジェームズ・ディクソンは、涼しい気候とスコットランドに似た軽井沢の風景に魅せられて、休業状態の旅籠「亀屋」を訪れて「一夏の間、借りたい」を申し出ました。

亀屋の主人、佐藤万平はアレキサンダー・クロフト・ショーをもてなすとともに、外国人の生活習慣や応対技術を学び、明治27年に一部を洋風に改築して万平ホテルを開業しました。

そして、明治35年に旧軽井沢銀座から現在地に移転して、本格的なホテル営業を開始しました。


万平ホテルから、万平通りを300mほど進むと、森裏橋があります。

橋の手前を左折すると矢ヶ崎川沿いの「ささやきの小径(サナトリウムレーン)」になります。

川沿いの道を500m程進んだ最初の橋を渡り、「ホテルマロウト軽井沢」を右手に、「矢ヶ崎チャペル」を左手に見て、矢ヶ崎通りを道なりに500m程進むと、広い道路にぶつかります。

左右に走っている広い道路が国道18号線(中山道)です。


ささやきの小径(サナトリウムレーン)



矢ヶ崎公園



矢ヶ崎公園

右折して300mほど進んだ右手が「矢ヶ崎公園」です。

「矢ヶ崎公園」は広さ約4万6千平方メートルの多目的公園です。

浅間山や離山の景観が見渡せる憩いのスポットです。

夏には花火大会、クリスマスにはイルミネーション、冬にはウィンターフェスティバルが催されます。

「矢ヶ崎公園」から100mほど進んで左折するとサイクリングのゴール軽井沢駅です。


アクセス

軽井沢駅から旧軽井沢銀座入口まで徒歩20分。


関連のホームページ

 軽井沢観光協会

 軽井沢観光情報

 旧軽井沢観光ガイド


矢ヶ崎公園付近の光景



軽井沢駅



 軽井沢散策その1へ


 軽井沢散策その2へ



      風来坊


目次  TOP HOME