小田原は明治にはいると、全国でも有数の保養地として注目されるようになりました。
まず明治20年代には海岸保養施設が数多く造られたほか、時の首相・伊藤博文などの有力者が西海子(さいかち)などの海辺に別荘をかまえるようになりました。
ついで明治30年代になると、明治34年(1901年)に元の小田原城が御用邸として整備されたのをはじめ、皇族の閑院宮家、元首相の山縣有朋、三井財閥を支えた益田孝が小田原に別邸を設けたため、これらの人々とゆかりの深い要人たちが次々と別邸・別荘をかまえました。そのうちの一人、山下汽船(現・商船三井)創業者の山下亀三郎別邸では、「坂の上の雲」の主人公として知られる秋山真之が療養中にその生涯を終えています。
とりわけ山縣や益田のもとには、日本を代表する茶人たちが集い、小田原は「茶の湯総本山」といわれたほどです。この時期の別邸・別荘は「天神山」や「板橋」といった箱根から続く尾根の斜面に拡がったのが特徴です。
さらに戦後の小田原の邸園を代表するのが電力業界の基礎を築いた松永安左ヱ門の邸宅・老欅荘です。
松永は戦前、益田孝から茶の手ほどきを受け、益田が亡くなった後も長く小田原で過ごしました。
益田と松永は近代日本三茶人と呼ばれ、三茶人のうち二人までが小田原を拠点にしていました。
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