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大多喜散策 その1 (H25.3.6)


中央博物館大多喜城分館



いすみ鉄道大原駅

JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「房総の小江戸『大多喜』城下町巡りハイキング」に参加しました。

サブタイトルは「房総の小江戸と呼ばれるまち『大多喜』。今も残る城下町の風情をお楽しみ下さい」です。


細部説明は「大多喜城は、徳川四天王の一人『本多忠勝』によって築城されました。復元された天守閣は、現在歴史博物館となっています。」となっています。


コースの概要は次のとおりです。

JR外房線大原駅→(いすみ鉄道)→いすみ鉄道大多喜駅→大多喜町観光本陣(受付)→薬草園→大多喜城(チェックポイント)→ベジタブルガーデン→ハーブガーデン→渡辺家住宅→商い資料館→良玄寺・本多忠勝墓所→大屋旅館→豊乃鶴酒造→大多喜町観光本陣→いずみ鉄道大多喜駅→(いすみ鉄道)→大原駅


いすみ鉄道



いすみ鉄道大多喜駅



いすみ鉄道大多喜駅

コースの歩行距離は約11km、歩行時間約3時間30分(施設での見学時間等を除く)、所要時間約4時間30分(施設での見学時間を含む)です。

コースを一部カットし、別のコースを付け加えました。

所要時間5時間、約18500歩でした。



本多忠勝公のお出迎え


今回のイベントは2月9日(土)〜3月10日(日)の間に設定されていますが、横浜〜大原は片道2210円の旅費がかかりますので、青春18切符を利用できる3月6日に行くことにしました。

JR外房線大原駅でいすみ鉄道に乗り換えて、約30分で大多喜駅着です。

いずみ鉄道では、長閑なローカル線の旅を楽しむことができます。


大多喜駅



大多喜町観光本陣



大多喜町観光本陣

大多喜駅に到着すると、駅のホームで本多忠勝のお出迎えです。

本多忠勝は、大多喜藩初代藩主で、徳川四天王に数えられている名将です。

現在大多喜町では、NHK大河ドラマ「本多忠勝・忠朝」の誘致活動が行われており、町内の各所でNHK大河ドラマ誘致に関する幟を見ることができました。

大多喜駅前の「大多喜町観光本陣」で受付を済ませて出発です。


「大多喜町観光本陣」から大多喜駅に戻り、いずみ鉄道に沿って南方向に50mほど進むと「大手門」です。

「大手門」はこの場所から北西約150mのところに大多喜城の正門として建立され、築城当時の慶長年間には吊り橋が懸かっており、人工的に持ち上げるようになっていました。


大多喜町観光本陣 ここにも本多忠勝



また、自然の要害にさらに人工的防御施設を施し、門の両側は高い土塁と石垣で固められ、外壁は水成岩が垂直に削り取られていて、常に水分を含みいかなる方法をもってしても侵入できないようになっていました。

この場所に設置されている門は、昭和57年に新たに建設され、町民から名前を募集して「大手門」と命名されたものです。



薬医門


「大手門」から200mほど進んで踏切を渡り、200mほど進んだ三叉路を案内板にしたがって右手の坂道を上ったところが大多喜高校です。

大多喜高校は二の丸跡に建てられており、校内に大多喜城の面影を残す「薬医門」と「大井戸」があります。


薬医門



大井戸

「薬医門」は大多喜城内建造物の唯一の遺構です。本柱が中心より前方にあり、控柱を付けた薬医門形で、天保13年(1842年)の火災後に建築された二の丸御殿の門です。

明治4年(1871年)の廃藩の際に小高半左衛門に払い下げられたが、大正15年(1926年)に大多喜高校の校門として寄贈されたものです。

現在の門は、大多喜高校新校舎建築の際、一旦解体され、昭和48年(1973年)復元されたものです。


「大井戸」は、天正18年(1590年)本多忠勝築城の際に造られたもので「底知らずの井戸」といわれています。

周囲17m、深さ20mです。

当時は井戸車16個でくみ上げられたという日本一の大井戸です。


大井戸



大井戸から見上げると天守閣が



メキシコ通り

大井戸から石段と坂道を上れば、大多喜城址に行くことができますが、今回の散策では元の道を戻ります。

三叉路まで戻って右折すると「メキシコ通り」です。

慶長14年(1609年)9月、スペイン領のフィリピンの総督ドン・ロドリゴの一行が、その任務を終えてメキシコに帰る途中、台風のため、乗船していたサンフランシスコ号は、上総国夷隅郡岩和田村の沖合で遭難しました。

この時、村民は身をもって乗員363名中、317名の遭難者を救助しました。



メキシコ通り


当時の大多喜城主本多忠朝は、外国人は処刑という掟にもかかわらず、手厚くもてなしをした後、徳川家康の下に届けましたが、家康もこれを暖かく迎え入れ、翌、慶長15年に船を新造して全員無事本国に送還しました。

このことが縁となって、日本はメキシコ、スペインと通商の途が開かれることになりました。

昭和53年(1978年)メキシコ大統領が大多喜町を公式の訪問したのを記念して、大多喜三の丸から総南博物館(大多喜城)までの道路を、メキシコ通りを命名しました。


メキシコ通り



メキシコ通りの左下を流れている川は、城主が江戸時代に魚を獲ることを禁止したので「御禁止川(おとめがわ)」と呼ばれていました。

城主が参勤交代の折りには、御禁止川の「むらさき鯉」を、将軍家に檜のたらいに入れて、生きたまま献上したといわれています。



夷隅川(御禁止川


メキシコ通りを500mほど進み、「城西国際大学薬草園」の案内板にしたがって右折し、大多喜海洋センター、大多喜図書館天賞文庫を左手に、大多喜中央公民館を右手に見ながら進むと丁字路です。

丁字路を左方向に100mほど進んだところが「城西国際大学薬草園」です。


大多喜海洋センター



城西国際大学薬草園



城西国際大学薬草園

この薬草園は、薬用植物に関する正しい知識を普及する目的で、千葉県が昭和62年(1987年)に設立した植物園です。

この薬草園を千葉県が大多喜町に譲渡し、大多喜町から指定を受けた城西国際大学が管理運営を行っています。



城西国際大学薬草園


薬用としての植物の利用は、健康を願う人々の永い経験の積み重ねによって築き上げられた生活の知恵ともいうべきものです。

薬用植物は現在でも、民間薬、漢方薬や医薬品など多くの分野で利用されています。

薬用植物園では、約350種の薬用植物が、使用目的などにより区分して植裁されています。


大多喜県民の森案内図



大多喜水道

丁字路まで戻り、大多喜町中央公民館」に沿って200mほど進むと、左手に「大多喜県民の森」の駐車場があります。

駐車場から50mほど進んだところに「大多喜水道」があります。

城下町大多喜は、昔から良い飲み水に恵まれず、人々の苦労は絶えませんでした。

最後の城主である松平正質(まさただ)の頃にようやく水道の工事が具体化し、明治2年(1869年)11月に工事を始め、翌年5月に完成しました。


この水道によって、城下200戸が潤い、20ヘクタールの水田の灌漑が行われました。

水源はこの場所から約2Km西方の水流で、全長約5.8Km(うち約4kmはトンネル)です。


大多喜水道



大多喜城本丸跡・中央博物館大多喜城分館



大多喜城本丸跡・中央博物館大多喜城分館



大多喜城本丸跡・中央博物館大多喜城分館

「大多喜水道」から300mほど進んだところが、大多喜城本丸跡です。

大多喜の中世の頃の地名は、史料の中に小田喜と見られますので、大多喜城もその頃は、小田喜城あるいは小田喜の城と呼ばれていたと思われます。

16世紀の前半代に武田氏が入城したといわれていますが、天文期(1532年〜1555年)に安房の里見氏の重臣であった正木氏が入り、以後4代にわたり、上総正木宗家の居城として発展します。


その後、天正18年(1590年)に北条氏の小田原城が豊臣秀吉に攻め落とされると、徳川家康は江戸城に入り、小田喜城を家臣の本多忠勝に与えて安房の里見氏の勢力を抑えようとしました。

当時の城の様子について、慶長14年(1609年)にここを訪れたスペイン人のドン・ロドリゴは、「城は高台にあって堀に囲まれ、城門は大きくすべて鉄でできており、厳重に警戒されている。また、城の内部は金や銀の配色で美しく、立派な武器庫もあった」(日本見聞録)と驚いています。


大多喜城本丸跡・中央博物館大多喜城分館



中央博物館大多喜城分館からの展望



中央博物館大多喜城分館からの展望



手前は大多喜高校

城主は本多氏3代のあと、阿部・青山・稲垣氏へと引き継がれ、元禄16年(1703年)松平正久となりました。

松平氏は9代続き廃藩置県を迎えます。


この歴史ある大多喜城本丸跡に、昔を偲んで城郭様式の千葉県立総南博物館を建設し、昭和50年(1975年)に開館しました。

平成18年から、千葉県立中央博物館大多喜城分館となっています。
常設展では、「房総の城と城下町」を主題とした展示を公開しています。

このほか、この地方に残されている優れた文化遺跡を紹介する役割も果たしています。


大多喜城本丸跡



大多喜町の風情ある町並み



夢相苑(お地蔵様)

大多喜城本丸跡から元の道を200mほど戻り、右折して坂道を降りると左手に夢相苑(お地蔵様)があります。

道なりに田園地帯を約1Km進むと丁字路にぶつかります。

途中にNTTの送受信所があります。


丁字路を左に1.5kmほど進むとベジタブルガーデンで、更に500mほど進むとハーフガーデンですが、今回はこの2つをパスしました。

丁字路を右折して200mほど進むといずみ鉄道のガードがあり、さらに200mほど進むと「大多喜駅入口」の交差点で、右折して300mほど進むと大多喜駅です。


NTT



四ツ門公園



四ツ門公園 この道を進むと大多喜駅



四ツ門公園

この交差点に「四ツ門公園」があります。

四ツ門の名前の由来は、城内から数えて4番目の門であることから名付けられ、本多忠勝の築城と城下町の都市計画のときに建てられたと伝えられています。

馬上の武士が通過できる高さの冠木門で、扉に大きな鋲をうった豪壮な構えであり、槍を持った武士が警備していました。


現在は四ツ門跡と刻んだ碑が残されていますが、平成14年にこの地に公園が整備され、四ツ門公園として地域の人々に親しまれています。

この公園から大多喜城を望むことができます。


四ツ門公園傍の民家



四ツ門公園傍の案内板




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      風来坊


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