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戸田散策 (H25.3.9)


戸田ボートコース



北戸田駅

JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「古刹を巡り、水面きらめく戸田ボートコースを歩く」に参加しました。

サブタイトルは「水と緑が調和した町、戸田を歩きます。競艇場の迫力も必見です」です。


細部説明は「荒川を挟んで東京に隣接する戸田市は、水と緑を身近に感じられるまちです。歴史と文化に触れて、ボートの聖地戸田競艇場周辺を歩く平坦なコースです」となっています。


コースの概要は次のとおりです。

JR埼京線北戸田駅(受付・スタート)→笹目川遊歩道→図書館・郷土博物館→観音寺→妙顕寺→新曽根氷川神社→戸田公園大橋→戸田競艇場→戸田ボートコース・東京オリンピック聖火台→戸田公園駅(ゴール)


受付は長蛇の列 本日の参加者1500名超



笹目川遊歩道の彫刻

コースの歩行距離は約8km、歩行時間約2時間30分(施設での見学時間等を除く)、所要時間約3時間30分(施設での見学時間を含む)です。

競艇場で休憩を兼ねて1レース見学しましたが、所要時間2時間45分、約11,500歩でした。


「戸田ボートコースを歩く」は定員2000名のイベントでした。

定員に達しなかったものの1500名を超える参加者があったとのことで、受付には長い行列が!

ハイキングコースも切れ目なく人が続いていました。

また、コースの要所要所には案内係もおられましたので、コースの細部に関する説明は省略します。


笹目川



笹目川遊歩道



笹目川遊歩道

北戸田駅で受付を済ませ、参加者の流れに混じって約400mで「笹目川遊歩道」です。

笹目川は荒川の支流で、農地改善のための大規模排水の必要性から造られた全長約5Kmの人口河川です。

笹目川の沿岸の北部橋から芦原橋の間を整備してつくられたのが、この笹目川遊歩道です。

川沿いには数々の美しい花々が植えられ、また彫刻家の中岡慎太郎による不思議な彫刻像の数々が居並んでいます。



笹目川遊歩道の彫刻


笹目川遊歩道の彫刻


地元の人たちからは憩いの場所や散歩道として親しまれ、人気を博している遊歩道です。

今回は北部橋から笹目川遊歩道を300mほど歩いた後、谷口橋で左折しました。

北部橋から500mほど進み、戸田市スポーツセンターの手前を右折して300mほど進んだ右手が「戸田市立図書館・郷土博物館」です。


戸田市スポーツセンター



戸田市立図書館・郷土博物館

戸田市立図書館はこの場所にある本館と、市内各地に点在する4つの分室で構成されています。

また、本館の3階が郷土資料館となっています。

常設展示室では、テーマを荒川の流れと収穫の日々−低湿地のくらし−として、低湿地である戸田市の自然や歴史が展示されています。



観音寺



観音寺


「戸田市立図書館・郷土博物館」から道なりに500mほど進んだところが「観音寺」です。

「観音寺」は、真言宗智山派の寺院で龍寶山愛染院と号し、開基については史実を伝える適確な記録はありませんが、室町時代に末に庄(荘)和泉守秀永という人によって中興されたと伝えられています。

江戸時代にはご朱印十五石が下付されています。


観音寺



観音寺

本尊は、如意輪観音菩薩で、阿弥陀如来のほか、大日如来、十一面観音菩薩、不動明王、地蔵菩薩、妙見菩薩など多数の仏像が安置されており、何れも優れた彫刻ですが、年代は不詳です。

現在の本堂は明治13年(1880年)の建立ですが、後に改修を重ねています。


仁王門は正徳2年(1712年)の建立で、仁王尊は元禄11年(1698年)造立と記録されています。

また、境内には阿弥陀堂があり、千体の小阿弥陀如来立像が安置されています。

このほか建長5年(1253年)の板碑(戸田市内最古)や文禄4年(1595年)の石灯籠など多数の戸田市指定文化財があります。


観音寺



妙顕寺



妙顕寺



妙顕寺

「観音寺」から案内にしたがって500mほど進んだところが「妙顕寺」です。

「妙顕寺」は、長誓山安立院と号し、日蓮宗身延山久遠寺の末で、江戸時代には寺領十八石の御朱印を下付されていました。


日蓮上人が佐渡へ流刑になる途次、武州新倉(和光市)の辺りを通るとき、新倉の領主隅田五郎時光が難産に苦しむ妻のために、日蓮上人に安産の護符を乞いました。

そのかいあって一子徳丸を無事に得たため、日蓮に帰依して一寺を起立し、日蓮上人の高弟日向上人を招請して弘安4年(1281年)に開山したのが始まりと伝えられています。


妙顕寺



妙顕寺



妙顕寺

本尊は、日蓮上人自筆の題目曼荼羅で、「子安曼茶羅(弘安二年銘)」「建治大本尊(建治元年銘)」などとよばれるものがあります。

そのほか寺宝として、日向上人が日蓮上人の法話を筆録したと伝える「日向記」などがあり、日蓮上人の墨跡とともに埼玉県指定文化財となっています。


本堂には、縁起由緒や子供の遊ぶ様子などを色彩豊かに描いた多くの大絵馬が奉納されており、戸田市指定文化財です。

本堂の脇には、縁起に題材を得たレリーフのある供養塔(明治十三年銘)などがあります。


「妙顕寺」の塀には、線が5本入っていました。

これを筋塀といい、筋は定規筋といいます。

寺の格の高さを表すもので、5本線が最高とのことです。

観音寺の塀にも線が5本入っているとのことですが、見落としました。

また、境内では河津桜が見頃を迎えつつありました。


河津桜



ファンシーフーズ戸田工場

「妙顕寺」から500mほど進んだところが、「ファンシーフーズ戸田工場」です。

わけありスイーツ、スイーツアウトレット、ロールケーキ、焼き菓子など、工場直売のお菓子が販売されていました。

また、湯茶の接待も行われていました。



新曽氷川神社


「ファンシーフーズ戸田工場」のすぐ傍が「新曽氷川神社」です。

「新曽氷川神社」の創立は永享元年(1429年)と伝えられており、古くから旧新曽村の鎮守として祀られてきました。

祭神は素戔嗚尊、奇稲田姫命ほか四柱です。

明治6年(1873年)に村社となり、明治40年(1907年)に新明社、八幡社、稲荷社などを合祀して現在に至っています。


新曽氷川神社



夫婦柿

また、境内には高さ10mを超える大きな柿の木があります。

これは、俗に「夫婦柿」といって、1本の木に雌型(丸形)と雄型(細形)の柿が実る珍しいものです。

柿は雌雄異花といって1本の木に雌花と雄花とができて授粉し、雌花に結実するようになっていますが、この夫婦柿は雄花にも実がなるものです。

雄花の結実は、退化したはずのめじべが突然変異によって不完全ながらその役を取り戻したためと考えられています。



戸田公園大橋


新曽氷川神社から案内にしたがって1Kmほど進むと戸田公園大橋です。

戸田公園大橋の左右が戸田ボートコースです。

ボートコースは開催が内定していた昭和15年(1940年)の第12回オリンピック東京大会のために造成されました。

日中戦争激化のためオリンピック開催は返上しましたが、その後も造成は継続して完成し、昭和39年(1964年)に開催された東京オリンピックの会場として利用され、隣接する道路にはオリンピック通りという名前がつけられています。


戸田公園大橋



戸田ボートコース



戸田ボートコース



戸田ボートコース

ボートコースの水は、もともとコース西端の笹目川から引いていましたが、そのための水門は東京オリンピック以降開いていないとのことです。

したがって、現在のボートコースの水は、雨水と湧水でできています。


水面の長さは、2.5Kmに及ぶ長大なもので、西端から500mの地点に歩行者用の吊り橋・戸田公園大橋が架かっており、その橋から西側については、競艇場としても利用されています。

水面の東橋には、国立スポーツ科学センター戸田艇庫、埼玉県立戸田艇庫があり、そのほかに各大学や実業団チームの艇庫が並んでいます。


戸田ボートコース



戸田ボートコース

戸田ボートコースは、北側から1〜6、回漕レーン(0レーンなどと呼ばれることもある)となっています。

通常は1〜3レーンが往路、4〜6及び回漕レーンが復路となり、内側のレーンを早い艇が、外側のレーンを遅い艇が進むことになっています。

コース内でレースが行われる場合は、回漕レーンが往路となり、1〜6レーンが復路(レースコース)となります。



戸田競艇場



戸田競艇場


戸田競艇場は、戸田ボートコースの戸田公園大橋の西側部分にあります。

戸田競艇場のある水面は、1940年の幻の東京オリンピックのために整備されたものです。

1964年の東京オリンピックでボートの競技会場となったため、1962年から競艇開催は休止となりましたが、1965年から再開されています。


戸田競艇場



戸田競艇場

利用客は住之江競艇場や尼崎競艇場、平和島競艇場に匹敵するくらい多く、関東の競艇場では売上・利用客共に一番多いとのことです。

戸田競艇場は、元々ボートコースとして人工的に開削された水面であるため、ボートコースとしては十分な幅をもっていますが、競艇場として見た場合は、水面の横幅107.5mは日本で一番狭くなっています。


このため、ホームストレッチ側では観客の目の前を艇が通り、艇がバックストレッチ側を通っていても水面際から非常に見やすいというメリットがあります。

その反面、コース幅が狭いため、水面に慣れていない選手がターンマークの近くでエンストや転覆を起こすケースが散見され、「抜き」の醍醐味が失われるケースも見られるとのことです。

休憩を兼ねて1レース見学しました。


戸田競艇場



戸田ボートコース聖火台



戸田ボートコース

競艇場からボートコースに戻ると、多くのチームが熱心に練習していました。

ボートコースのゴールの近くに「戸田ボートコース聖火台」があります。

この聖火台は、昭和39年(1964年)10月に開催された、第18回オリンピック東京大会のボート競技場の聖火台として使用されたものです。

鋳物製で大きさは、上部直径1.4m、高さ1.4mです。

国立競技場に設けられた聖火台の2/3の大きさですが、同じデザインです。


10月10日の開会式に国立競技場聖火台に灯された聖火から分けられた炎が、当時の戸田町役場前から3人の走者によってリレーされ、11時午前9時30分に聖火台に点灯されました。

このきらめく聖火のもと、同日から5日間にわたり、27カ国、101クルーが7種目のボート競技を熱く繰り広げました。


戸田ボートコース



JR戸田公園駅近傍 右は新幹線&埼京線



JR戸田公園駅(ゴール)

戸田ボートコースから案内板にしたがって、約1.5KmでJR戸田公園駅(ゴール)です




       風来坊


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