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佐倉散策 (H25.2.1)


高崎川沿いの散策路



JR佐倉駅と観光案内所

JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「サムライのまち 七福神・招福開運ウォーキング」に参加しました。

サブタイトルは「開運七福神を訪ねて、今年の気運をあげよう!」です。


細部説明は「情緒ある11万石の城下町佐倉をのんびり歩いて、江戸の要衝だった佐倉城とともに栄えた町並みを駆け巡ります。」となっています。


コースの概要は次のとおりです。

JR佐倉駅→JR佐倉駅前観光情報センター(受付)→佐倉城址公園→サムライの小径ひよどり坂大聖院武家屋敷麻賀多神社嶺南寺甚大寺宗圓寺松林寺妙隆寺旧堀田邸・さくら庭園(チェックポイント)→JR佐倉駅前観光情報センター(ゴール)佐倉駅


彫刻通り



高崎川

歩行距離約8.5km、歩行時間約2時間(施設での見学時間を除く)、所要時間約4時間(施設での見学時間を含む) です。

武家屋敷、旧堀田邸などを見学しましたが、所要時間3時間30分、約1万4千歩でした。


JR佐倉駅前観光情報センターで受付を済ませた後、駅前から前方に真っ直ぐ伸びている「彫刻通り」を進みます。

「彫刻通り」という名前のとおり、いろいろな彫刻が置かれています。

駅から200mほど進んだ城南橋を渡って左折し、高崎川に沿って桜並木を進みます。

1月28日に佐倉では8センチの積雪があったとのことですが、散策路のあちこちに雪が残っていました。


佐倉八景園



城南堤の桜並木



佐倉城址公園

川沿いの道を300mほど進むと広い道路に合流する形になります。

ここで広い道路を横断し、正面突き当たりの造園業「佐倉八景園」を左回りで半周して道なりに進むと城南堤の桜並木となります。

桜の時期には素晴らしい景観を楽しむことができそうです。



佐倉城址公園


桜並木に沿って700mほど進むと佐倉城址公園の入口です。

佐倉城址公園は、佐倉城跡の中に設置されている公園です。

公園内には天守閣跡、空堀など城の遺構が多数残され、天守閣跡の樹齢約400年の「夫婦モッコク」(千葉県指定天然記念物)をはじめ、シイ、カシ、モミジなどの大木がいたる所にある、緑の多い歴史公園です。


佐倉城址公園



夫婦モッコク

佐倉城は、江戸時代初期の慶長15年(1610年)に佐倉に封ぜられた土井利勝によって、慶長16年(1611年)から元和2年(1616年)までの間に築造された平山城です。

北に印旛沼、西と南に鹿島川・高崎川が流れる低地に西向きに突き出した、標高30m前後の台地先端に位置しています。


佐倉城はこうした地勢を巧みに利用し、水堀、空堀、土塁を築いて守りを固め、東につながる台地上に武家屋敷と町屋を配して、城下町としました。

以後、江戸の東を守る要として、有力譜代大名が城主となり、歴代城主の多くが老中など幕府の要職に就きました。なかでも、幕末期の藩主・堀田正睦は、日本を開国に導いた開明的な老中として有名です。


正岡子規句碑



堀田正睦像

公園の本格的な整備は昭和54年(1979年)から始まり、水堀の復元、本丸跡、出丸跡、三逕亭((茶室)などが整備されました。

また、昭和58年、明治百年記念事業として、公園隣接地に国立歴史民俗博物館が開館しました。

三逕亭の前に、堀田正睦とタウンゼント・ハリスの銅像があります。

開国の父とよばれた堀田正睦は、佐倉藩に西洋の学問を奨励し、幕末期の老中として、動乱の日本を開国に導いた佐倉藩主として知られています。


安政3年(1856年)、タウンゼント・ハリスは、アメリカ大統領の親書を携え下田に到着。来日の目的は、アメリカ初代駐日領事として他国に先駆け日本と通商条約を結び、開国を実現させることでした。

こうした動向が、当時幕府で老中を務めていた開明派の佐倉藩主堀田正睦を外交の舞台に登場させることとなりました。

ハリスと正睦により、幾度にもわたる直接交渉が行われた結果、安政5年(1858年)6月19日、日米修好通商条約が締結されました。


タウンゼント・ハリス像



くらしの植物苑

国立歴史博物館は、日本の考古学、歴史、民族について総合的に研究・展示する博物館です。

東洋一の規模を誇り、広大とのことですのでパスしました。

佐倉城址公園を出て南東方向に進むと、「くらしの植物苑」があります。国立歴史博物館の付属施設で、生活や産業など、人の暮らしに近い植物が展示されています。

園内はこじんまりとしているとのことですが、ここもパスしました。



サムライの小径・ひよどり坂


「くらしの植物苑」から300mほど進むと右手に市民体育館があります。

市民体育館の手前を右折し、案内板にしたがって坂を下ったところに「サムライの小径・ひよどり坂」の入口があります。


サムライの小径・ひよどり坂



サムライの小径・ひよどり坂

「サムライの小径」は、江戸時代の書物「古今佐倉真佐子」に登場する小径で、当時よりその名が残る坂です。

長さ約160m、幅2mの坂ですが、竹林に囲まれており、これまでの散策とはがらっと雰囲気が変わります。


「サムライの小径・ひよどり坂」を上ったところが、「大聖院」です。

大聖院は、鎌倉時代に開山された真言宗豊山派の寺院です。

本尊は大日如来です。

佐倉七福神の大黒天、布袋尊が祀られています。


大聖院



宮小路の武家屋敷通り



旧河内家住宅



旧河内家住宅

「サムライの小径・ひよどり坂」から「大聖院」の前を通って南東に延びる通りが「宮小路の武家屋敷通り」です。

初代佐倉藩主土井利勝が鹿島台に築城し東方に城下町を配しました。

武家屋敷は城内及び城外の地元で尾余(びょう)と呼ぶ台地の先端部に屋敷割されていました。


「宮小路の武家屋敷」は、なかでも往時の面影が良く残っているところで、通りに面したところに土手を築き、その上に生垣を巡らせています。

これは馬上から屋敷内を覗かれないようにするためだと伝えられています。

屋敷内には小さな畑があり、うしろは急な崖で、シイ・竹が生い茂り緑に囲まれた佇まいとなっています。


旧但馬家住宅



旧竹居家住宅

旧河内家住宅、旧竹居家住宅、旧但馬家住宅の3棟が公開されていました。

旧河原家住宅(県指定有形文化財)は、市内に残る武家住宅の中で最も古いものとされ、展示された調度品に佐倉の武士の生活様式を垣間見ることができます。

また、旧但馬家住宅(市指定文化財)は、休憩などに利用することもできます。

旧武居家住宅は武家屋敷関連の出土品の展示が見られます。


宮小路の武家屋敷を通り抜け突き当たりを左折して、道なりに300mほど下り坂を進んだ正面が「麻賀多神社」です。

市民体育館から200mほど東に進んだ場所です。

麻賀多神社は、佐倉藩の総鎮守で祭神は稚産霊命を祀っています。

境内には本殿、幣殿、拝殿、社務所があり、境内の神社として、稲荷神社他五社を祀っています。


麻賀多神社



麻賀多神社

はじめは、この地方に移り住んだ国造多氏の氏神としてまつられました。

その後、慶長年間に神社の西方に佐倉城が築かれてからは、城地鎮護の神として代々の藩主や家臣にあつく崇敬され数々の寄進が続きました。

現社殿は天保14年(1849年)、藩主堀田正睦により再建されたものです。

佐倉七福神の恵比寿、福禄寿が祀られています。



新町商店街



新町商店街


麻賀多神社に東に50mほど進んだ「新町」の交差点を左折し、20mほど先の交差点を右折すると新町商店街です。この商店街には、老舗のお店が数多く見られます。

新町商店街には、「佐倉市立美術館」「佐倉一里塚(町並み情報館)」「佐倉新町おはやし館」「佐倉歴史生活資料館」などの観光情報の建物もあります。


佐倉市立美術館



佐倉歴史生活資料館

佐倉市立美術館のエントランスは、「旧川崎銀行佐倉支店」の建物で、大正7年(1918年)に建設されたものです。

ルネッサンス様式のレンガタイル張り建物です。

また、「佐倉歴史生活資料館」には、新町界隈の商家や民家から提供された家具や道具類が展示されています。


「佐倉歴史生活資料館」の前方の路地を100mほど進むと「嶺南寺」「甚大寺」「宗圓寺」があります。

「嶺南寺」は、曹洞宗の寺院で、寛永19年(1642年)に当時の信濃松本藩主、堀田加賀守正盛の佐倉移封と共に松本より佐倉に移り建立された古刹です。

本尊は釈迦牟尼佛で、開山は陽南良雪大和尚です。本堂内には閻魔大王を安置しています。

境内には作家・吉川英治の母方である山川家の墓があります。

佐倉七福神の弁財天が祀られています。


嶺南寺



甚大寺

「甚大寺」は、天台宗比叡山・延暦寺の末寺で、元和元年(1615年)の建立で、堀田家の菩提寺でもある古刹です。

本尊の十一面世音菩薩をはじめ、金毘羅尊、不動明王、毘沙門天、仁王尊、健康を願うお身ぬぐい観音が奉られています。

毎月10日は、招福祈願の縁日が開かれます。

佐倉七福神めぐりの毘沙門天が祀られています。


「宗圓寺」は、寛永16年(1639年)に松本城主、堀田加賀守正盛が弟堀田佐兵衛安利の冥福を祈り松本に建立した塔頭の寺を、寛永19年(1642年)に佐倉の現地に移築したものです。

墓地には家老・渡辺弥一兵衛の墓(東山千恵子の実家)、執政、香宗我部家の墓、順天堂創立者・佐藤泰然の墓などがあります。

佐倉七福神の寿老人が祀られています。


宗圓寺



この路地を下がって登ります

新町商店街に戻り、左手に少し進むとメインの道路は右方向に直角に曲がります。

曲がり角にある「佐倉新町郵便局」の左側の路地を入り、案内板にしたがって坂道のある細い路地を進み、丁字路を左折すると左手が「松林寺」です。

松林寺は、佐倉藩主、土井利勝が慶長15年(1610年)に、土井家の菩提寺として建立した寺です。


本堂は、土井利勝が春日局に譲り受けた「聖観音像」を、安置するために建てた観音堂です。

境内には、土井利勝の両親と妻の墓があります。

本堂は千葉県の有形文化財に指定されています。

毘沙門像は、徳川家康の五男・武田信吉を大佐倉の陣屋に祀ったのを最後に、松林寺に奉納されたと伝えられています。

佐倉七福神の毘沙門天が祀られています。


松林寺



成田街道



成田街道

松林寺を出て、右手に200mほど進んだ交差点を右折すると古い民家が散見されます。

この道路は新町商店街の延長上の道路で、成田街道です。



道路は直角に右方向へ 前方の路地を進みます


右折して200mほど進むと道路が右方向に直角に曲がっています。

右方向に200mほど進むと「佐倉新町郵便局」です。

この直角のカーブを曲がらずに、真っ直ぐに進むことのできる路地があります。

路地に入るとすぐに三叉路になっており、左方向に50mほど進むと右手が「妙隆寺」です。


路地に入るとすぐに三叉路が ここを左折です



妙隆寺



妙隆寺


山内に子安鬼子母神、大黒天、加藤清正公、稲荷尊をまつり毎年、立春に祈祷祭が行われます。

日本で初めて種痘をしたとされる医師、鏑木尚安・仙安、日本地図を作成した探検家・佐波通任などが墓があります。

佐倉七福神の大黒天が祀られています。


細い坂道を下ります!



中央公民館

妙隆寺を出て右方向に進み、案内板にしたがって石段の続く道を進むと中央公民館の横に出ます。



目的地は前方の丘の上です


緩やかな坂を上ります 雪が残っていました


中央公民館の前を通り、案内板にしたがって左手方向の坂道を上り、頂上付近の信号を右折すると「ゆうゆうの里」です。

「ゆうゆうの里」を通り抜けたところに「旧堀田邸・さくら庭園」(チェックポイント)です。


ゆうゆうの里



旧堀田邸



旧堀田邸



旧堀田邸

旧堀田邸は、佐倉市の市街地に隣接する高台にあります。

佐倉藩最後の藩主堀田正倫が明治23年(1690年)に建てた邸宅です。

明治44年(1911年)の東宮殿下(後の大正天皇)の来訪に伴い、主屋に湯殿が増築されました。

現在では主屋・冠木門・離れ屋・土蔵・門番小屋といった建物と庭園が残されています。


主屋は木造平屋建て一部2階建てで5棟で構成され、伝統的な和風洋式で建築されています。

現存する明治期の旧大名家の邸宅として数少ない貴重なものです。

庭園は、眼下の高崎川や対岸台地を借景にし、芝を中心にマツやサルスベリなどの樹木と景石や石塔が配されています。

千葉県下でも有数の名園とされ、さくら庭園として市民の憩いの場となっています。

建物は、国の重要文化財に指定され、庭園は千葉県指定の名勝となっています。


旧堀田邸



さくら庭園

さくら庭園から下の道路に降りて、案内板にしたがって、「印旛合同庁舎」の傍を通り、西方向に500mほど進んだ「JR佐倉駅入口」の信号を左折して300mほど進むと「JR佐倉駅(ゴール)」です。

「印旛合同庁舎」傍の「鏑木交差点」を左折し、高崎川に沿って300mほど進んだ「城南橋」を左折してJR佐倉駅の戻る方が散策コースとしては良いかも知れません。



印旛合同庁舎


関連のホームページ

 佐倉市観光ガイド

 佐倉市観光協会



     風来坊


印旛合同庁舎


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