その後、官営工場の払い下げ令により、明治26年(1893年)に三井家に払い下げられ、明治35年(1902年)には横浜の生糸商原合名会社(経営者の原富太郎は横浜三渓園の創設者)に譲渡され、御法川(みのりがわ)式繰糸機による高品質生糸の生産や、蚕種の統一などで注目されていました。
昭和14年(1939年)、日本最大の製糸会社であった片倉製糸紡績株式会社(現・片倉工業)の所有となり、戦中・戦後と長い期間に亘り製糸工場として活躍を続け、昭和62年(1987年)3月に操業をやめるまで、115年の長きに渡り操業されました。
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