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平林寺の紅葉 (H25.12.3)


平林寺の紅葉



平林寺の紅葉

関東にその名を知られる平林寺は、武蔵野の一角、野火止台地に約13万坪の境内地を有する禅寺です。

正式には金鳳山平林禅寺といい、禅修行の専門道場を持つ関東の代表的な、臨済宗妙心寺派の禅刹です。



平林寺の紅葉



平林寺の紅葉


総門、山門、仏殿や川越城主・松平信綱夫妻の墓といった数々の埼玉県指定文化財と国指定天然記念物の境内林を有する平林寺は、開発されていく武蔵野にあって往昔のたたずまいを残しています。


平林寺の紅葉



平林寺の紅葉



平林寺の紅葉



平林寺の紅葉

平林寺は、南北朝時代の永和元年(1375年)、武蔵国騎西郡渋江郷金重村(現在の浦和市岩槻区)に、大田備中守の帰依によって建立されました。

開山は、当時鎌倉建長寺の住持だった石室善玖禅師です。


天正18年(1590年)5月、豊臣秀吉の岩槻城攻めの際、兵火によって伽藍の大半を焼失しました。

天正19年(1591年)、江戸入りした徳川家康は、鷹狩りで岩槻を訪れた際、焼け残った塔頭の聯芳軒に休息し、軒主乾叟から名僧石室禅師開山による平林寺の由緒を知り、伽藍再建のため朱印状を与えて、騎西郡内50石の土地を寄付しました。


平林寺の紅葉



平林寺の紅葉



平林寺の紅葉



平林寺の紅葉

天正20年(1592年)、家康の手習い同輩であった駿河国臨済寺の鉄山宗鈍禅師を迎えて中興開山としました。

続く雪堂禅師の代に山門、仏殿、衆寮等の伽藍を修造して旧観に復しましたが、これには中興された平林寺の檀那である大河内氏の外護に拠るところが大きかったと言われています。



平林寺の紅葉


元和4年(1618年)、大檀那である大河内秀綱が死去。平林寺が葬送の地となり、それ以降大河内氏の霊廟となりました。

秀綱の孫にあたる信綱が大河内家から長沢松平家へ養子に入り、のち別家して大河内松平家を興したことにより、平林寺は大河内松平家の祖廟となりました。


平林寺の紅葉



平林寺の紅葉



平林寺の紅葉

幕府の老中で川越藩主となった松平信綱は、江戸と川越の中間にある野火止の原野に平林寺を移し、先祖供養の地にしようとしました。

しかし当時の住持幽巌禅師は「池ができて澄んだ水があってこそ、月は来るものだ」と語り、「水の無い所に人が住めるであろうか、かような所に仏様は移転を喜ぶであろうか」と諭したと伝えられています。


承応4年(1655年)、信綱は玉川上水完成の功績により、玉川水からの分水が許され野火止用水を開削しました。


これによって、近隣の村々を潤すことができるとともに、幽巌禅師の憂いは払拭され、平林寺の野火止移建が実現することとなりましたが、寛文2年(1662年)、信綱は志半ばにして世を去りました。

開削から350年以上を経た今日でも、信綱が作った野火止用水を境内で見ることができます。


平林寺の紅葉



平林寺の紅葉



平林寺の紅葉



平林寺の紅葉



平林寺の紅葉

父信綱から平林寺移建を託された子の輝綱は、幕府の許可を得て、寛文3年(1663年)、岩槻平林寺の伽藍及び墓石に至るまで野火止に移しました。

これに伴い、幕府は岩槻の寺領に替えて新座郡西堀村と西屋敷の分、合わせ50石を野火止平林寺の寺領としました。

その後変遷はありましたが、最終的には平林寺は大河内松平氏の支配するところとなり、明治の世を迎え、現在に至っています。


武蔵野といえば平林寺、とまで言われるほどに、境内林はその名残を色濃く残しています。

国木田独歩の名作「武蔵野」の面影があり、田山花袋が「武蔵野の昔の匂いを嗅ごうとするには野火止の平林寺附近が好いね・・・・・」と言った詩情あふれる武蔵野がここにあります。

約56ヘクタールにも及ぶ広大な境内林すべてが、国指定の天然記念物です。


平林寺の紅葉



平林寺の紅葉

本堂の周囲をスギ、ヒノキを主体とする針葉樹林が取り囲み、さらにその外側を、武蔵野を代表するコナラ、クヌギ、エゴノキ、イヌシデを主体とする落葉広葉樹林がとりまいています。

また、林床にはアズマネグサやクマザサを環境の変化に応じて見ることができます。



平林寺の紅葉



平林寺の紅葉


また、ここは平野部における屈指の鳥類生息地で、カケス、アカハラ、ルリビタキ、アオゲラなど約60種類が、繁殖あるいは中継、越冬の地として利用しています。

雑木林の奥に踏み入れば、小径に沿った傍らに野火止塚や業平塚などが点在しています。

古くから武蔵野の古歌、詩の題材になって、多くの文学者たちを魅了しつづける自然がここには残されているのです。


平林寺の紅葉



平林寺の紅葉



平林寺の紅葉



平林寺の紅葉

平林寺は境内入口から総門、山門、仏殿、中門、本堂が一直線に並んでいます。

中門の手前を左折して放生池の傍を抜けて雑木林の道をたどると、見事な五輪塔と石灯籠が建ち並ぶ墓所に出ます。

ここが松平信綱をはじめとする大河内松平家歴代の廟所で、墓域は約3千坪を有しています。

松平信綱は川越藩主で三代将軍家光の老中を務めました。

幕府政治の確立に多くの功績を残しましたが、川越藩政においても武蔵野新田開発や野火用水の開削など見るべきものがあります。


平林寺が大河内氏により葬送の地となったのは、文禄4年(1595年)に大河内秀綱の祖母である寿参尼が死去し、家康によって復興された岩槻の平林寺に埋葬されたのが始まりです。

その後、祖父秀綱、実父久綱、養父正綱がいずれも平林寺に葬られました。

また相前後して秀綱、久綱、信綱などの子女も平林寺に葬られたため、大河内松平氏にとって、平林寺はおろそかにできない廟所となったのです。


平林寺の紅葉



平林寺の紅葉

平林寺は紅葉に名所としても有名です。

大河内松平家歴代の廟所から左手方向に進んだ一番奥にあるのがもみじ山です。

もみじ山のエリアは周囲を一周できますが、全体がもみじです。

見頃をやや過ぎつつありましたが、見事なもみじに出会うことができました。



平林寺境内


平林寺は境内が広いため、散策コースの案内も3種類あります。

紅葉を観賞しようと思えば、一番長いCコースを散策する必要があります。

Cコースは約2.3kmあり、徒歩約60分のコースですが、このコース全体にわたってもみじを観賞することができます。


平林寺山門



平林寺山門

紅葉は陽当たりなどの関係で、場所場所によって紅葉の時期が少し異なるようですが、それでも見事な紅葉を楽しむことができました。

1週間早ければさらに良かった感じです。


関連のホームページ

 平林寺



平林寺本堂



アクセス

徒歩

JR武蔵野線新座駅から約3kmです。

バス便

東武東上線志木駅、東武東上線朝霞台駅、西武池袋線東久留米駅から西武バスが出ています。


       風来坊


平林寺境内


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