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坂のまち 港区探訪 その1 (H25.3.22)


芝公園からの東京タワー



駅からハイキング受付

JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「坂のまち 港区探訪」に参加しました。

サブタイトルは「東風吹けばオシャレなかほりと癒しの空間」です。


コースの概要は次のとおりです。

JR浜松町駅南口みどりの窓口(受付)→芝東照宮→きみちゃん像→有栖川宮記念公園→愛宕神社→NHK放送博物館→東京タワー→増上寺→芝大神宮→世界貿易センタービルディング→JR浜松町駅みどりの窓口(ゴール)


コースの歩行距離は約11.2km、歩行時間約2時間50分(施設での見学時間等を除く)、所要時間約3時間50分(施設での見学時間を含む)です。

この日は都心で満開宣言があり、コースの桜を眺めながらの散策となりましたので、所要時間4時間35分、約17500歩でした。


浜松町駅金杉橋口



浜松町の街並み

JR浜松町駅南口のみどりの窓口前に設けられた「駅からハイキング臨時受付」で受付を済ませ、北側の階段を下りて「金杉橋口」から外に出ます。

浜松町駅には昼食会などのために毎月来ますが、いつもエスカレーターを利用して貿易センタービルに向かいますので、「金杉橋口」から外に出ると何か別世界に来た感じです。



芝東照宮


「金杉橋口」からJRの線路に沿って田町の方向(南の方向)に200mほど進み、突き当たりを右折して200mほど進むと「金杉橋北」の交差点です。

ここで第一京浜国道を横切り、さらに400mほど進むと「芝公園グランド前」の交差点です。

ここで日比谷通りを横切って右(北方向)に100mほど進んだ左手が「芝東照宮」です。


芝東照宮



芝東照宮

「芝東照宮」の北側には芝公園が広がっており、その北側が増上寺です。

北西方向には東京タワーが聳えており、東京タワーの撮影スポットです。

「芝東照宮」は、徳川家康を祀るため増上寺境内に造られた「安国堂」が、明治の神仏分離により増上寺から分離され、「東照宮」として祀られました。


太平洋戦争の戦災により殆どの社殿が焼失し、現在の社殿は昭和44年(1969年)に再建されたものです。

しかし、家康が自ら命じて彫刻させた御神体の寿像は戦火を免れ、東京都重要文化財に指定されています。

また、境内には徳川家光手植えのイチョウも残されています。


芝東照宮から赤羽橋に向かう途中の光景



赤羽橋交差点



赤羽橋の碑

「芝東照宮」から南方向に出て元の道路に戻り、200mほど進んだ「赤羽橋」の交差点を左折し、300mほど進んだ「三田1丁目」の交差点を右折します。


右折して100mほど進むと今回の散策のテーマ「坂のまち」の最初の坂となる「綱の手引坂」です。

平安時代の勇士・源頼光四天王の一人、渡辺綱にまつわる名称です。

姥坂とも呼びましたが、馬場坂の説もあるとのことです。


綱の手引坂



綱町三井倶楽部



オーストラリア大使館



オーストラリア大使館

なだらかな「綱の手引坂」を登りきった左手に「綱町三井倶楽部」があります。

数年前にここで夕食会をしたことを思い出しました。

「綱町三井倶楽部」の隣りが「オーストラリア大使館」です。

建物の正面上部左右に「カンガルーとダチョウ」が掲げられています。



善福寺



善福寺


オーストラリア大使館から少し進むと緩やかな下り坂の「日向坂」で、上方を首都高速道路が横断しています。

「日向坂」を下り「二の橋」交差点を横切って、そのまま真っ直ぐ200mほど進んだ「麻布山入口」の交差点を右折し、50mほど進んだ左手が「善福寺」です。


善福寺本堂



善福寺鐘楼

「善福寺」は浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は麻布山です。

天長元年(824年)に弘法大師・空海に開山したと伝えられ、東京都内では浅草寺につく古刹です。

当初は真言宗の寺院でしたが、鎌倉時代になって越後に流されていた親鸞が当寺を訪れ、浄土真宗に改宗しました。

その後、各時代の天皇や幕府などの保護を受けて発展を遂げました。


安政5年(1859年)には日米修好条約に基づき、善福寺は初代アメリカ公使館となり、タウンゼント・ハリス在留しました。

善福寺は明治8年(1875年)までアメリカ公使館として使用されましたが、この間に三井物産創始者の益田孝や福沢諭吉などが出入りしたとのことです。

現在の本堂は、慶長12年(1607年)に徳川家康が東本願寺八尾別院本堂として建立した建物を、移築・再建した由緒あるものです。


タウンゼント・ハリスの碑



天然記念物のイチョウ

境内の樹齢約750年のイチョウは、雄株で幹の上部が損なわれていますが、幹周りは10.4mあり、都内のイチョウの中で最大の巨樹です。

善福寺は、昭和20年の大空襲によって本堂が全焼した際、このイチョウもかなりの被害がありましたが、いまなお往時の偉観をうかがうことができます。

親鸞上人が自分の杖を根付かせたとの伝説から「杖イチョウ」との別名もあります。

国の天然記念物に指定されています。


善福寺の後方にある形の変わった建物は「元麻布ヒルズフォレストタワー」です。



パティオ十番ときみちゃん像


善福寺から300mほど進んだ交差点の右手に広場があり、そこに「きみちゃん像」があります。

野口雨情の童謡「赤い靴」は有名ですが、「きみちゃん像」はこの童謡の主人公である「赤い靴の女の子の像」です。

きみちゃんこと「岩崎きみ」は、3歳の時に諸事情で母親と別れて、アメリカ宣教師の養女となります。


きみちゃん像



アルゼンチン大使館

6歳で育ての親の宣教師とも別れて孤児院で暮らし、病気のため9歳で麻布十番の孤児院で亡くなりました。

きみちゃんと別れて北海道に渡った母親が、新聞社に勤めていた野口雨情と親交を持つようになり、その結果生まれたのが、童謡「赤い靴」です。実話に基づく童謡です。

麻布十番に眠ったきみちゃんを思い、平成元年2月に麻布十番商店街の手によってパティオ十番に「きみちゃん」の像が建てられました。


「きみちゃん像」のある交差点を左折すると「大黒坂」で引き続き「一本松坂」です。

坂を登ったところが「元麻布ヒルズフォレストタワー」で、少し進んだ右手にアルゼンチン大使館があります。

道なりに300mほど進んだ「仙台坂上」の交差点を右折して100mほど進むと、緑色の金網に囲まれた野球場があります。

野球場を右手に見て200mほど進むと「有栖川宮記念公園」です。


有栖川宮記念公園の野球場



有栖川宮記念公園



有栖川宮熾仁親王銅像

「有栖川宮記念公園」は、麻布台地の変化にとんだ地形を生かし、丘があったり、渓流や池があったりと、自然を大切にした趣きのある日本庭園です。

豊かな緑はもちろんのこと、春はウメやサクラ、ハナミズキなどがかわいらしい花を咲かせ、初夏にはハナショウブ、夏はアジサイ、秋は紅葉、冬は雪景色など四季折々の美しさを堪能することができます。


南東側のドイツ大使館に面した広場には、騎馬像の名作として知られる「有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたけひとしんのう)銅像」をはじめ、「笛吹き少年の像」、「新聞少年の像」があります。

また、野球場、テニスコート、都立中央図書館などの施設も充実しています。

「有栖川宮記念公園」の北側の入口から出て、道なりに700mほど進むと右手が「六本木ヒルズ」です。

今回の散策スポットには含まれていませんが、立ち寄ることにしました。


六本木ヒルズは桜まつりの準備中



六本木ヒルズ 毛利庭園



六本木ヒルズ森タワー


江戸時代には、長府毛利家(長州藩支藩の長門府中藩)の屋敷が置かれた場所で、長門府中藩出身の乃木希典もこの地で生まれています。

かつては広大な毛利家の庭園が残っていましたが、現存していません。

敷地内に約4300平方メートルの毛利庭園が設けられ、毛利池がありますがこれは本来の毛利池とは異なるものです。かつての庭園遺構は毛利池の下に埋土保存されています。

「六本木ヒルズ」は、高層オフィスビル「六本木ヒルズ森タワー」を中心に、集合住宅、ホテル、テレビ朝日本社、映画館等の文化施設、その他の商業施設などで構成されており、平成15年(2003年)に開業しました。

港区六本木6丁目の再開発として計画された六本木ヒルズですが、バブルの崩壊や反対派住民の抵抗などの紆余曲折があり、完成までに17年の歳月を要しています。




六本木ヒルズ森タワー



六本木ヒルズからの東京タワー


六本木の街並み ここからは東京タワーは見えないようです



六本木の街並み

六本木ヒルズから六本木通りに出て、右方向(東方向)に500mほど進むと六本木交差点です。

六本木交差点を左折して200mほど進むと東京ミッドタウンですが、今回は六本木交差点を右折します。

六本木交差点を右折すると前方に東京タワーが見え隠れします。


「飯倉片町」の交差点で高速道路の下を通過し、さらに100mほど進んだ左手が外務省飯倉公館で、その隣りが日本郵政グループ飯倉ビルです。

この建物は昭和5年(1930年)に竣工した旧逓信省貯金局庁舎で、昭和18年(1943年)から逓信本省庁舎、昭和24年(1949年)から郵政本省庁舎として昭和44年(1969年)まで使用されました。


外務省飯倉公館



日本郵政グループ飯倉ビル



日本郵政グループ飯倉ビル

郵政本省庁舎が霞ヶ関に移転後は、飯倉分館として長年にわたり使用されていましたが、民営化に伴い、現在は日本郵便株式会社の所有となっています。

このビルの中に麻布郵便局があります。

日本郵政グループ飯倉ビルから少し進んだ右手がロシア大使館です。

東西冷戦時代は厳しい警備が行われていましたが、現在は少し緩やかになっているようです。

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      風来坊


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