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ここを左折です
宮城ふるさとプラザ
豊島区役所から左に進み、2つ目の信号を左折して300mほど進むと「東口五差路」の交差点です。 交差点の右手前に「宮城ふるさとプラザ」があります。 「宮城ふるさとプラザ」は宮城の魅力を首都圏の人々に伝えるアンテナショップです。 牛タンや笹かまぼこ、ずんだ饅頭などに代表される宮城県各地の特産品、地酒、伝統工芸品などを販売しています。
東口五差路 正面の方向に進みます
「東口五差路」を左折し、300mほど進んだ「東池袋交差点」の少し先を右斜め方向に300mほど進むと都電荒川線にぶつかります。 右折して都電荒川線に沿って500mほど進むと「鬼子母神前」の停留所です。 停留所前を右折し、50mほど進んだY字路を右手に50mほど進んだ右手が「雑司ヶ谷案内処」(チェックポイント)です。
この先を右折です
都電荒川線
雑司ヶ谷案内処
「雑司ヶ谷案内処」では、地元の観光情報を提供するほか、郷土玩具の「すすきみみずく」なども展示販売しています。 「雑司ヶ谷案内処」から100mほど進んだ丁字路を左折すると「雑司ヶ谷鬼子母神堂」です。
雑司ヶ谷鬼子母神堂
鬼子母神堂は、安産・子育(こやす)の神様である鬼子母神をお祀りするお堂です。 鬼子母神は安産・子育の神様として広く信仰の対象となっていますが、もともとの来歴には深いいわれがあります。
武芳稲荷
その昔、鬼子母神はインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供を産みました。 しかしその性質は暴虐この上なく、近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。 お釈迦様は、その過ちから帝母を救うことを考えられ、その末の子を隠してしまいました。
その時の帝母の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は、 「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。 そこで帝母ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされています。
上川口屋
現在のお堂は、本殿が寛文4年(1664年)に加賀藩主前田利常公の息女で、安芸藩主浅野家に嫁した自昌院殿英心日妙大姉の寄進により建立され、その後現在の規模に拡張されています。 昭和35年に東京都有形文化財の指定を受け、昭和51年から54年にかけ、江戸時代の姿に復する解体復元の大修理が行われました。
「雑司ヶ谷鬼子母神堂」から北方向に出て、100mほど進んだ法明寺の前を左折します。 100mほど進むと「明治通り」にぶつかります。 「明治通り」を横切って左前方のコンビニの傍の細い路地を400mほど進むと、西武池袋線のガードがあり、その先がJR山手線です。
この路地を入ります
ガードの手前を左折です
右の階段を上ります
階段の上は立派な歩道橋です 右は西武池袋線
ガードの手前を左折すると右手に階段があります。 階段を上るとJR山手線の上に出ます。
JR山手線を横切って階段を下り、ガードを潜って線路に沿って進みます。 100mほどで道路が斜め左方向に曲がり、線路から離れます。 道なりに200mほど進んだ左手が「自由学園明日館」です。
線路沿いに進みます
細い路地を進みます
自由学園明日館
自由学園明日館(みょうにちかん)は、大正10年(1921年)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、アメリカが生んだ巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により建設されました。 夫妻の目指す教育理念に共鳴したライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希いを基調とし、自由学園を設計しました。
木造で漆喰塗の建物は、中央棟を中心に、左右に伸びた東教室棟、西教室棟を配しており、高さを抑えた、地を這うような佇まいが特徴です。 道路を隔てた南西には、300人収容できる講堂があります。 昭和9年(1934年)に自由学園が東久留米市南沢に移転してからは、明日館は主として卒業生の事業活動に利用されてきました。
その後、明日館の歴史的、芸術的価値が評価され、平成9年(1997年)に、国の重要文化財に指定されています。 関東大震災や第2次世界大戦の空襲からも免れた明日館ですが、80年の歳月のなかで老朽化が顕著になったため、平成11年(1999年)から平成13年(2001年)にかけて保存修理工事が行われています。
「自由学園明日館」から道なりに150mほど進むと幅広い道路に出て、正面が「ホテルメトロポリタン」です。 右折して50mほど進んだ信号で幅広い道路を横断して「ホテルメトロポリタン」を左に見ながら150mほど進んだところに「元池袋史跡公園」があります。
ホテルメトロポリタン
元池袋史跡公園
弦巻川の水源の池である丸池(袋池とも呼ばれた)を擁した元池袋公園が、現在の池袋デュープレックスタワーの敷地内にありましたが、下水道工事のための土地交換により廃止され、それに伴い丸池も完全に埋められました。 しかし、池袋の地名の由来とされる丸池が存在したことを後世に残すため、東に接する現在の地に「元池袋史跡公園」として、平成10年(1998年)に開園したものです。
「元池袋史跡公園」の向かい側にある「ルミネ池袋店」の1階が今回のゴールです。 「ルミネ池袋店」から池袋駅までは約200mですが、この間に「池袋西口公園」があり、その傍に「東京芸術劇場」があります。
「池袋地名ゆかりの池」の碑
ルミネ
ルミネ(ゴール)
「池袋西口公園」は、豊島師範学校跡地にできた公園です。 平成2年(1990年)に、隣接する東京芸術劇場と一体的に再整備され、かつてのイメージを一掃し、駅前らしい明るさと高級感を備えた公園として生まれ変わりました。 公園は開放的で広々としています。 園内の平和の像に代表される作品が、芸術劇場との一体的な雰囲気をかもし出し、芸術の香りをただよわせています。
池袋西口公園
東京芸術劇場
駅からの入り口付近には美しい噴水があり、清涼感を演出しています。 公園の周囲に巡らされた背の高いオブジェは、品のいいアートを感じさせ、訪れる人々の目を楽しませます。 夜にはいずれもライトアップされ、とくに噴水はゴールドの光に彩られ、なんとも神秘的な表情を見せてくれるとのことです。 池袋西口公園は、景観的な美しさのため、ドラマやCMロケのメッカとなっているようです。
池袋西口
東京芸術劇場は、東京都が都民のための音楽・演劇・歌劇・舞踊等の芸術文化の振興とその国際的交流を図るため、芸術文化施設として、平成2年(1990年)10月に開館しました。 世界最大級のパイプオルガンを有するクラシック専用の大ホール(コンサートホール)、演劇・舞踊等の公演を行う中ホール(プレイハウス)と2つの小ホール(シアターイーストとシアターウエスト)を備えています。
加えて、4つの展示スペース、大小の会議室やリハーサル室も併せ持ち、展示や講座、ワークショップ等、上演以外の芸術活動も行うことができる複合的な芸術文化施設です。 ふくろうの街・池袋散策その1へ 風来坊