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都会の春を求めて新宿副都心を歩く (H25.3.15)


新宿副都心の高層ビル



新宿駅新南口 お初です!

JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「都会の春を求めて新宿副都心を歩く」に参加しました。サブタイトルは「都会の春を感じながら、水にまつわる見所を巡ります」です。

コースの概要は次のとおりです。


JR新宿駅→新宿駅新南改札口「GOOD TIMES新宿店」(受付)→馬水槽→新宿御苑→玉川上水水番所跡・水道碑記・四谷大木戸跡碑→抜弁天・厳島神社→稲荷鬼王神社→熊野神社→エコギャラリー新宿(チェックポイント)→新宿中央公園→策の井跡→淀橋浄水場跡→JR新宿駅びゅうプラザ新宿新南口(ゴール)


コースの歩行距離は約10km、歩行時間約2時間30分(施設での見学時間等を除く)、所要時間約3時間30分(施設での見学時間を含む)です。

写真を撮りながらの散策でしたので、所要時間3時間45分、約1万6500歩でした。


新南口から左に進むとすぐに高島屋



こんなところにエスカレーターが

今回の「駅からハイキング」のスタート地点の新宿駅新南改札口は、新宿駅南口よりも新宿駅ホームを代々木方向に進んだサザンテラス入口から、さらに南東に進んだところにあります。

新宿駅新南改札口の傍の「GOOD TIMES新宿店」前に設けられた臨時受付で手続きをすませ、左方向(東方向)に50mほど進むと「タカシマヤタイムズスクエア本館」です。



エスカレーターで1階に下りると


タカシマヤの傍のエスカレーターで1階に降りて左折して甲州街道のガードを潜ると新宿駅東南口で、さらに100mほど進むと新宿駅中央東口です。

新宿駅を通り過ぎた右手に小さな公園があります。

新宿通りに面した公園で、ここに「馬水槽」があります。

新宿駅東南口



新宿駅東口



馬水槽

この「馬水槽」は、明治30年代半ばにロンドン水槽協会から東京市に寄贈されたものです、

全面の上部が馬用の水飲み場、下部が犬猫用、裏面が人間用になっています。

明治39年(1906年)に東京市役所(現・東京国際フォーラム)前に設置され、大正初期までは荷車を引いた馬車が利用する光景が見られました。

各地を転々とした後、昭和39年(1964年)に現在地に設置されたものです。



新宿通り



新宿通り


「馬水槽」から新宿通りを東方向に500mほど進んだ「新宿2丁目」の交差点を右折して100mほど進むと、左前方が「新宿御苑」の新宿門です。


新宿通り 伊勢丹



新宿御苑散策路 新宿門側入口

「新宿御苑」は、江戸時代は内藤氏の下屋敷で、その後、皇室の庭園となり、戦後に国民公園として一般に公開されました。

フランス式整形庭園、イギリス式風景庭園、日本庭園の3つが巧みに組み合わされた、明治時代の代表的な近代庭園です。



修善寺寒桜


今回の散策コースでは、新宿御苑に沿った「新宿御苑散策路」を散策するようになっていましたが、今年は桜の開花が早いとの情報がありましたので、開花状況のチェックを兼ねて新宿御苑の中を散策し、「大木戸門」からコースに戻りました。


枝垂れ桜



ハクモクレン

今年は、東京では3月16日に開花宣言がありました。

「駅からハイキング」に参加したのが3月15日でしたので、新宿御苑内の早咲きの桜が随分咲いていました。

中の池のそばにある「修善寺寒桜」はすでに満開で、見頃を過ぎつつありました。

枝垂れ桜も1本は5分咲きで見頃が近い感じでした。


大木戸門を出たところが「新宿御苑散策」の大木戸門側の入口ですから、ここで予定のコースに合流です。

「新宿1丁目」の交差点で新宿通りの戻り、右折して「四谷区民センター」に沿って100mほど進んだところに「玉川上水水番所跡・水道碑記・四谷大木戸跡碑」があります。


新装なった大温室



新宿御苑大木戸門



新宿御苑大木戸門

「四谷大木戸」は甲州街道を通って江戸に出入りする通行人や荷物を取り締まるための関所で、元和2年(1616年)に設けられました。

現在は石碑が立っています。

新宿御苑の大木戸門は、四谷大木戸に因むものです。


「四谷大木戸」のすぐ近くに「四谷水番所」が設けられていました。

玉川上水はここで水量を調節され、石樋や木樋で城下へと配分されていました。

江戸時代の水道施設ですが、明治以降も近代水道設備に衣がえしながら使用され続けてきました。

地下鉄工事などで出土した石樋や木樋が新宿歴史博物館に保存されています。


四谷大木戸跡の石碑



水道碑記

この場所に「玉川上水四谷水番所跡」の石碑とともに、明治28年(1895年)に「水道碑記」の石碑が明治28年(1895年)に建てられました。

高さ4.6mにもおよぶ大碑で、碑文は漢文です。

玉川上水建設の理由や請け負った玉川兄弟の事績をたたえた内容が記されています。



外苑西通り


3つの石碑の傍の「四谷4丁目」の交差点で新宿通りを横切り、外苑西通りを400mほど進んだ「富久町西」の交差点を左折し、靖国通りを200mほど進んだ「四谷郵便局前」の信号を右折します。

細い路地を400mほど進んだ丁字路を左折し、50mほど進むと左手に「東京医科大」の通常閉鎖されている入口があります。

この前を右折すると「まねき通り商店街」です。


東京医科大



まねき通り商店街



まねき通り商店街

「東京医科大」の裏から「抜弁天」交差点の近くまでほぼ一直線に400mほど伸びている商店街です。

道幅は狭く、路地や家屋のたたずまいも古く、散策にはなかなか良い雰囲気です。

駅前ではありませんが、お昼時には会社員や学生で賑わうとのことです。


「まねき通り商店街」を通り抜けたところに「抜弁天・厳島神社」があります。

応徳3年(1086年)、八幡太郎源義家が後三年の役(1083〜1087年)で奥州平定に向かう途中でここに宿営しました。

この地はこの地域で一番高い場所であり、かつては富士山もよく見えたようで、義家も遠く富士山を望み、さらにその先の安芸に鎮座する厳島神社に戦勝を祈願しました。


厳島神社



南北に通り抜けできます

そして義家は奥州平定を成し遂げ、その帰途、戦勝のお礼のためこの地に神社を建立し、厳島神社を勧請したと伝えられています。

境内を南北に通り抜けられることから、苦難を切り抜くことができる、「抜弁天」として信仰されました。

不忍池、冬木、木場などとともに江戸の六弁天に数えられています。



稲荷鬼王神社


「抜弁天・厳島神社」から抜弁天通を西方向に500mほど進んだ「鬼王神社前」の交差点を左折して50m程のところが「稲荷鬼王神社」です。

天保2年(1831年)、大久保村の氏神であった稲荷神と、熊野から勧請されていた鬼王権現を合祀し、稲荷鬼王神社となりました。

熊野の鬼王権現は現存していないため、全国唯一の鬼の福授けの社として信仰を集めています。


稲荷鬼王神社の天水琴



稲荷鬼王神社の天水琴

祭神は、稲荷神の宇迦之御魂神、鬼王権現の月夜見命・大物主命・天手力男命です。

また、大久保村が祀っていた神々(火産霊神など)も明治時代に合祀されています。

湿疹、腫れ物などの諸病にご利益のある「撫で守り」の授与で有名です。

境内の三島神社に祀られている恵比寿神は新宿山ノ手七福神の一つです。



新宿大ガード西交差点からの展望 前方が損保ジャパンビルと新宿野村ビル


「稲荷鬼王神社」から「鬼王神社前」の交差点に戻り、抜弁天通りを西方向に500mほど進んだ「北新宿百人町」交差点を左折し、500mほど進んだ「新宿大ガード西」交差点を右折し、200mほど進んだ「新都心歩道橋下」交差点を右折します。

「新宿大ガード西」「新都心歩道橋下」という交差点の名称からも推察されるように、新宿駅西口に張り巡らされている歩道橋の下です。


新都心歩道橋下交差点 右前方が新宿駅



東京医科大学病院付近

「新都心歩道橋下」交差点を右折した道路は、損保ジャパンや新宿野村ビルの北側の道路です。

東京医科大学病院や高層ビルを眺めながら700mほど進んだ「成子天神下」交差点を左折し、300mほど進んだ「新宿中央公園北」交差点の右前方が新宿中央公園です。



熊野神社



熊野神社


右折して新宿中央公園に沿って200mほど進んだ「熊野神社北」の交差点を左折し、100mほど進んだ左手が「熊野神社」です。

「熊野神社」は、室町神社の応永年間(1394〜1428年)に、紀伊国からきて中野一帯を開拓し、中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、郷土の熊野三山の十二所権化を勧請して祀ったのが起源と伝えられています。


熊野神社



熊野神社

明治維新後は、現在の櫛御気野大神・伊邪奈美大神を祭神とし、熊野神社と改称し現在に至っています。

新宿の総鎮守で、氏子町の範囲は西新宿、新宿駅周辺及び歌舞伎町に及んでいます。

拝殿内に掲げられている「七人役者図絵馬」「熊野三山絵馬」など多くの文化財を有しています。


「熊野神社」の東側の、新宿中央公園の北西端に「エコギャラリー新宿」(チェックポイント)があります。

「エコギャラリー新宿」は、新宿区立環境学習情報センターと新宿区立区民ギャラリーの複合施設の愛称です。


エコギャラリー新宿



エコギャラリー新宿

1階は区民ギャラリーとして、区民の創作作品発表の場となっています。

2階は環境情報センターとして、環境活動の成果等を展示しており、環境に関するイベントも開催しています。



新宿中央公園ナイアガラの滝



東京都庁と高遠コヒガンザクラ



新宿中央公園からの展望


東京都庁


「新宿中央公園」は、淀橋浄水場だった場所に、新宿副都心建設事業の一環として計画され、昭和43年に都立公園として開園しました。

昭和50年に東京都から新宿区に移管され、その後数回にわたり大規模な改修工事が行われています。面積は約8万8千平方メートルで、区立公園としては最大です。


虹の橋からの展望



東京都議会議事堂

ちびっ子広場やジャブジャブ池があり、夏には多くの子供達の遊ぶ姿が見られます。

水の広場にはナイアガラの滝が流れ(滝の裏側は新宿白糸の滝)るなど、そびえ立つ高層ビル群に寄り添い、大都会のオアシスとして多くの利用者に親しまれている、緑豊かな公園です。

早咲きの高遠コヒガンザクラが見頃を迎えていました。


「新宿中央公園」から「虹の橋」を渡ると「東京都庁」です。

今回の散策コースには、東京都庁の見学は入っていませんので、都庁第一庁舎前を通過し、東京都議会議事堂との間を左折し、新宿住友ビルを見上げながら200mほど進んだ「都庁北」交差点を右折します。

道なりに500mほど進んだ正面が「新宿エルタワー」です。左手前が新宿野村ビル、損保ジャパンビルです。


東京都庁前からの展望



策の井跡

「新宿エルタワー」の手前側の歩道に沿って「策の井跡」「淀橋浄水場跡」です。

「策(むち)の井跡」は、徳川家康が鷹狩りの帰途、汚れた策を洗ったとされる井戸があった場所です。

松平摂津守の下屋敷の庭内にあったもので、「名井」「名湧水」との評判を聞きつけ、家康がわざわざ立ち寄ったとも伝えられています。


「淀橋浄水場跡」は、玉川上水によって導かれた玉川の水を浄化して東京市民に供給した、東京水道発祥の地です。

昭和40年(1965年)にその機能を東村山浄水場に移し、約60年の歴史を閉じました。

「新宿エルタワー」駐車場入口に、赤御影石の「淀橋浄水場跡」の碑が立っています。


淀橋浄水場跡



新宿副都心の高層ビル


新宿副都心の高層ビル



新宿副都心



甲州街道 前方が新宿駅南口



甲州街道から東京都庁を望む

「新宿エルタワー」前を右折して500mほど進んだ丁字路を左右に走っているのが甲州街道です。

丁字路を左折して300mほど進むと新宿駅南口です。



西新宿1丁目交差点


右折して新宿サンテラスを経由してゴールの新宿駅びゅうプラザ新宿新南口に到着です。

「都会の春を求めて・・・・」がテーマの散策でしたが、新宿御苑と新宿中央公園以外は、ビルの谷間の散策でした。


        風来坊


ゴールのびゅうプラザ


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