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三社祭 (H25.5.18)


三社祭



三社祭



三社祭



担ぎ手に外人も

飛鳥時代の推古天皇36年(628年)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成の兄弟が江戸浦(隅田川)で漁撈中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得しました。

土地の文化人である郷司の土師中知(名前には諸説あり)はこれを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依し、その後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝供養に生涯を捧げました。


これが浅草寺の起源であり、後世この3人が浅草の開拓者として、三社大権現の尊称を奉られ祭祀されるようになりました。

それは権現思想(仏が神の姿をかりてあらわれる神仏同体説)の流行しだした平安末期だろうといわれています。


三社祭



三社祭



三社祭



三社祭

明治維新の神仏分離令により浅草寺との袂を分かち、明治元年に三社権現社と改められ、さらに明治6年に浅草神社と改められました。

現在でも「三社さま」として親しまれている浅草神社ですが、元来三人の神様をお祀りしていることからそのように呼ばれています。

現在の社殿は徳川3代将軍家光が慶安2年(1649年)に建立寄進した、江戸初期の代表的権現造り建築で、幾多の災厄を逃れて現在に至っています。


三社祭は、毎年5月に行われる浅草神社の例大祭です。

昔の祭りは3月17日、18日の両日に行われ、丑、卯、巳、未、酉、亥の1年おきに本祭が行われました。

正和元年(1312年)から三社の神話に基づき船祭が始められたと伝えられています。


三社祭



三社祭



三社祭



三社祭



三社祭

かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていたが、明治5年(1872年)から5月17日、18日に行われるようになりました。

しかしながら、交通事情や各町の情勢の変化で、慣例通り5月17日、18日の大祭執行が不可能になり、現在は17日、18日に近い金・土・日の3日間で斎行されています。



三社祭



三社祭


初日の金曜日は、お囃子屋台・金棒・鳶頭木遣り・総代・各町役員・びんざさら舞・芸妓連の手古舞・組おどり・白鷺の舞・屋台で編成された「大行列」が浅草の町を歩きます。

また、浅草神社の社殿と神楽殿で、東京都無形文化財に指定されている「びんざさら舞」の奉納が行われます。


三社祭



三社祭



三社祭



三社祭

中日の土曜日には、「例大祭式典」のあと、正午より「町内神輿連合渡御」が行われます。

浅草氏子四十四ヶ町の町内神輿約100基が浅草寺裏広場に参集、一基ずつ発進し、浅草神社でお祓いを受けた上で各町会に渡御します。



子供も元気に



子供神輿


最終日の日曜日は、朝6時に浅草神社の本社御輿三基が神社境内から発進する「宮出し」から始まります。

その後、本社御輿が各町会を渡御する「本社神輿各町渡御」を経て、夕刻に浅草神社へ戻る「宮入り」となります。


子供神輿



三社祭



三社祭

3日間で150万人の人出が見込まれる三社祭は、東京の初夏を代表する風物詩の一つになっています。

今年は5月17日(金)〜19日(日)の3日間に行われました。



三社祭


今年は「お散歩写真隊」のオフ会「三社祭・スカイツリー・浅草散策〜お散歩撮影会」が18日(土)に開催されました。

町内神輿約100基が各町内を渡御する日です。


三社祭



神輿通過後の伝法院通り



高見の見物


高見の見物



仲見世通り



神輿の通過に備えて

大勢の人出ですから写真撮影は無理だろうと思いつつ、仲見世通り・伝法院通りに出かけたところ、意外に空いていて写真を撮ることができました。

町内神輿はそれぞれ渡御するコースが異なるようで、町内神輿の関係者はそれぞれの神輿と一緒に行動しますので、神輿の通過後は人の流れが一時的に途絶えるのです。

したがって、比較的容易に撮影場所を確保できました。



仲見世通り



東京スカイツリー



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     風来坊


浅草寺五重塔


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