伊東祐親は、東国における親平家方豪族として平清盛からの信頼を受け、平治元年(1159年)の平治の乱に敗れて伊豆に配流されてきた源頼朝の監視を任されます。
しかし祐親が大番役で上洛している間に、娘の八重姫が頼朝と通じ、子・千鶴丸を儲けるまでの仲になってしまいます。
祐親はこれを知って激怒し、安元元年(1176年)9月、平家の怒りを恐れて千鶴丸を松川に沈めて殺害し、さらに頼朝自身の殺害を図りました。
頼朝の乳母・比企尼の三女を妻としていた次男の祐清が頼朝に知らせ、頼朝は夜間馬に乗って熱海の伊豆山神社に逃げ込み、北条時政の館に匿われて事なきを得たとのことです。
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