散策スポット・横浜

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横浜のバラ巡り その3 (H25.5.14)


横浜イギリス館



ローズガーデンと横浜イギリス館



横浜イギリス館

ローズガーデンのバラを見た後、山手西洋館を巡りました。

ローズガーデンのバラに包まれるように建っているのが「横浜市イギリス館」です。

昭和12年に英国総領事公邸として建築された建物で、近代主義を基調としたモダンな形と伝統を加味した重厚な美しさは、当時の大英帝国の風格をよくあらわしているといわれています。


横浜市指定文化財に指定されています。



マルチダ


マルチダ



山手111番館


バラを見ながら「横浜市イギリス館」の裏手に廻ると「山手111番館」があります。

「山手111番館」は、J..モーガンの設計により、大正15年(1926年)アメリカ人 J.. ラフィン氏の住宅として建てられました。赤瓦の屋根と白い壁が美しいスパニッシュスタイルの洋館です。

横浜市指定文化財に指定されています。


山手111番館



山手111番館

「山手111番館」の周囲にも、いろいろのバラが植えられていますが、ここもローズガーデンの一角のようです。

また、「山手111番館」の周囲には、バラのほかにも数多くの花が植えられています。

この時期、「山手111番館」の喫茶室からは色とりどりの花を楽しむことができます。



山手資料館


港の見える丘公園から外国人墓地の傍を通って道なりに進むと左手にハイカラなレストラン山手十番館があり、その隣に童話の世界に出てくるような印象の山手資料館があります。

山手資料館は、横浜に現存する明治時代の唯一の木造西洋館です。

この建物は、明治42年(1909年)に、横浜・戸部の大工によって中澤邸として本牧に建てられ、昭和4年(1929年)に横浜・諏訪町の園田邸に移された後、 昭和52年(1977年)にレストラン山手十番館の庭内に移築されました。


山手資料館



山手資料館



ゴールドバニー

以来、30年余にわたり歴史的景観の保存に寄与するとともに、古き良き横浜の面影を残す山手地区のランドマークとして親しまれています。

また、横浜開港当時の資料等が展示される資料館として公開されています。

山手資料館の庭園には36種、約90本のバラが植えられています。

ここのバラは少し開花が遅れている感じでした。



イントゥリーグ


???



山手234番館


「山手資料館」から100mほど進んだところが「山手234番館」です。

「山手234番館」は、昭和2年頃に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、民間業者によって建設されました。

関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして建てられ、設計者は、隣接する山手89−6番館(現在のえの木てい)も設計した朝香吉蔵です。


山手234番館



山手234番館

建設当初の施設は、4つの同一形式の住宅が中央の玄関ポーチを挟んで、左右対称に向かい合い、上下に重なる構成になっていました。

また、各住戸の3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられ、往時の「モダン」な生活様式が伺えます。

平成元年に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得しました。平成9年から保全改修工事を行い、平成11年から一般公開しています。



エリスマン邸


「山手234番館」から50mほど進んだ右手が「エリスマン邸」です。

平成2年、元町公園に移築された「エリスマン邸」は、大正15年(1926年)にスイス人貿易商エリスマン氏の私邸として建てられました。


アイスバーグ



フェリシア

木造2階建ての白く美しい洋館は、近代建築の父、アントニン・レーモンドの設計です。

1階各室には、彼の設計した家具が復元展示され、2階は「横浜山手地区」の資料館となっています。

横浜市認定歴史的建造物に指定されています。

木立に囲まれた眺めのよい喫茶室があります。



ベーリック・ホール



ベーリック・ホール


「エリスマン邸」の隣が、「ベーリック・ホール」です。

「ベーリック・ホール」は、J.H.モーガンの設計により、昭和5年(1930年)に建てられたイギリス人貿易商・ベーリック氏の邸宅です。

1956年〜2000年までセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎としても使用されました。


ベーリック・ホール



セブタード アイル


アイスバーグ



ベーリック・ホール

戦前の山手の個人邸としては最も規模の大きいもので、多彩な装飾など建築学的にも充実した価値ある建物です。

横浜市認定歴史的建造物に指定されています。



はまみらい


フリージア



外交官の家



外交官の家


「ベーリック・ホール」から横浜山手の家並みを見ながら案内図にしたがって700mほど進んだところが「山手イタリア山庭園」です。

明治13年(1880年)から明治19年(1886年)にかけてこの場所にイタリア領事館があったことから、「イタリア山」と呼ばれるようになり、公園の名前の由来となっています。


外交官の家



マルチダ


はまみらい



山手イタリア山庭園



外交官の家

「山手イタリア山庭園」はその名前のように西洋風庭園に仕立てられており、その敷地内に「外交官の家」「ブラフ18番館」が移築されており、横浜山手観光には欠かせない場所の一つとなっています。

「外交官の家」は明治から大正にかけて外交官だった内田定槌の私邸として明治43年に渋谷の南平台に建てられたもので平成9年に移築されました。


「外交官の家」の北側の一段低い場所に、「山手イタリア山庭園」のメインともいえる洋風庭園が横たわっています。

幾何学的なデザインの庭園を花壇の花々が彩る様子はとても美しく、中央に水路があり、それを取り囲むように花壇が配されている。

この公園からの展望も素晴らしいものがあります。


外交官の家



ブラフ18番館



ブラフ18番館

洋風庭園の東側のさらに一段下がった場所にあるのが「ブラフ18番館」です。

大正末期に山手町45番地に建てられた外国人住宅です。

戦後は天主公教横浜地区(現カトリック横浜司教区)の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として平成3年まで使用されてきました。


建物は木造2階建てです。1、2階とも中廊下型の平面構成で、フランス瓦の屋根、暖炉の煙突、ベイウィンドウ、上げ下げ窓と鎧戸、南側のバルコニーとサンルームなど、震災前の外国人住宅の特徴がみられます。

平成3年に横浜市が部材の寄付を受け、現在地に移築復元しました。

平成5年から一般公開されています。


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ブライダルピンク


アイスバーグ



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山手イタリア山手庭園入口のバラ

アクセス

山下公園 みなとみらい線元町中華街駅から徒歩5分

港の見える丘公園 みなとみらい線元町中華街駅から徒歩10分

イタリア山庭園 JR根岸線石川町駅から徒歩5分


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       風来坊


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