別所薬師堂の日田約200mのところに曽我別所公民館があります。
皇国地誌残稿(明治中期に政府が編纂した地誌)には、別所の字防田に溜池と大屋敷があったと記されています。その大屋敷が、満江御膳が居住していた曽我氏の下屋敷であったと伝えられています。
曾我兄弟は、源頼朝の巻狩に随行して随行している仇敵工藤祐経を討つために、いよいよ富士の裾野に向かおうとする時、今生の別れに母の満江御膳から小袖を乞い受けました。曽我物語の「小袖乞い」の一節は、謡曲や幸若舞においても「小袖曽我」として代々語り、舞継がれ、人々の涙をそそってきました。
下屋敷の前にかつては大池があり、そこに祀られていた水神碑が現存しています。
また、屋敷内の東南に隣接する武藤・安池両家の祖先は、伊豆から満江御膳に随行してきた家臣であったと伝えられています。
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