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初代群馬県令楫取素彦と妻文・春花萌ゆるレトロ散歩 (H27.5.1)


前橋駅



前橋駅

JR東日本の「駅からハイキング&ウォーキングイベント」の「初代群馬県令楫取(かとり)素彦と妻文(ふみ)春花萌ゆるレトロ散歩」に参加しました。

細部説明は「風は日に日に温かく、花爛漫。春の前橋レトロさんぽと、大河ドラマの世界をお楽しみください」となっています。


コースの概要は次のとおりです。

JR両毛線前橋駅前橋駅観光案内所(受付)龍海院前橋カトリック教会ぐんま花燃ゆ大河ドラマ館臨光閣るなぱあく旧安田銀行損保倉庫弁天通アーツ前橋前橋駅観光案内所(ゴール)前橋駅


前橋駅



前橋駅から西方向に進みます



龍海院



龍海院

歩行距離約4.5Km、所要時間約3時間(施設での見学時間を含む)です。

初めての前橋訪問でしたから、寄り道をしながらゆっくり散策したこと、「花燃ゆ」関連の場所をゆっくり見学したことから、所要時間約4時間、1万4千歩でした。



龍海院


前橋駅北口を左折し、500mほど進んだ3つ目の信号を右折し、300mほど進んだ信号のない四叉路の左方向が「龍海院」です。四叉路から200mほど進んだ正面です。

龍海院は、慶長6年(1601年)、川越から移封となった酒井重忠が徳川家康の命により建て、前橋酒井氏の菩提所とした曹洞宗の寺で、是字寺とも言います。

寺は愛知県岡崎市明大寺町の岡崎龍海院の別院とされており、岡崎龍海院は享禄年間に(1528年〜1532年)に徳川家康の祖父松平清康が創建したものと伝えられています。


龍海院



前橋藩主酒井氏歴代墓所



前橋藩主酒井氏歴代墓所



二代前橋藩主酒井忠世墓所

前橋龍海院の境内には、幕府大老職を勤めて「下馬将軍」といわれた四代忠清の建立と伝えられる本堂のほか、山門、鐘楼、位牌堂、禅堂、開山堂などがあります。

また境内南西隅には、酒井氏初代重忠から九代忠恭までの広い墓所があります。

酒井家は寛延2年(1749年)に姫路へ転封となりましたが、15代の幕末まで墓参に訪れたと伝えられています。



前橋カトリック教会



前橋カトリック教会


龍海院から北の方向に500mほど進んだ左手が「前橋カトリック教会」です。

ヨーロッパの本格的な教会建築様式を継承しており、天井は尖頭アーチ型、外壁は石の仕上げに似た感じを出すために用いた、「人造石塗り洗い出し仕上げ」となっています。

また、ステンドグラスは、ティファニーが考案したオパールセントグラスと呼ばれる乳白ガラスになっています。

平成13年より国の有形文化財として文化庁に登録されています。


前橋カトリック教会



群馬県庁



群馬県庁昭和庁舎



群馬県庁昭和庁舎

前橋カトリック教会から北に100mほど進んだ「大手町二丁目」の交差点を左折して、300mほど進むと群馬県庁です。

群馬県庁舎は前歯市場の跡地にあり、県民広場を中心に、県庁舎、昭和庁舎(旧本庁舎)、警察本部、県議会、群馬会館(旧公会堂)からなる公共施設の複合体を形成しています。

昭和庁舎は昭和3年(1928年)に建設され、平成11年(1999年)まで県庁本庁舎として使用されてきました。

この群馬県庁昭和庁舎2階に「初代県令・素彦と文 ぐんま花燃ゆ大河ドラマ館」が開館しています。


初代群馬県令を勤めた楫取素彦は、現在の山口県萩市の出身で、大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロイン「文」の夫です。楫取素彦を一言でいえば「幕末維新の志士から名県令」ということができます。

また、妻の兄である吉田松陰とも親しく、互いに深く尊敬しあう間柄でした。吉田松陰の松下村塾は、塾生の中から明治維新を進めた多くの人材を輩出したことで有名ですが、松陰が、安政の大獄により江戸に送られた際も、松陰から松下村塾のすべてを任されるほど信頼されていました。この他にも、坂本竜馬と薩長同盟の端緒を開き、近代群馬の礎を築いた人物ということができます。


群馬県庁昭和庁舎



大河ドラマ館案内

楫取は文政12年(1829年)に、長州・萩の藩医である松島家の次男として生まれ、12歳で藩校明倫館の儒者・小田村吉平の養子となりました。通称は伊之助で、長州の藩校明倫館で教えるとともに、吉田松陰の信頼を受け松下村塾の後事を託され「松門の柱石・小田村伊之助」と讃えられました。

尊王攘夷運動などへの幕府からの追及を逃れるため、藩命により慶応3年(1867年)に「楫取」と改名しました。「楫(かじ)を取る」としたのは、祖先が水軍であったことに因みます。また、一説には「お前は国の楫を取る人間になれ」との長州藩主・毛利敬親の意思も含まれていたと言われています。こうして楫取は、幕末維新の国事に藩主・毛利敬親の懐刀として東奔西走しました。


その後、楫取は明治維新政府に「参与」として仕えましたが、すぐに免官し帰郷しました。

これは、倒幕と明治新政府の樹立が成ったことにより、自らの役目が終わったと考えたのかもしれません。

しかし、新政府は楫取のような才能ある男を静かに野に置いておくことはできず、再び新政府に仕え、足柄県参事、熊谷県権令、熊谷県令を経て、明治9年(1876年)初代群馬県令となりました。


花燃ゆ関連展示



花燃ゆ関連展示

在任期間は熊谷県時代を含め10年に及び、産業、教育面などに力を注ぎ、群馬県の基礎を作り上げ、「名県令」と称されました。

明治17年(1884年)には元老院議官に転任し、明治20年(1887年)には男爵となりました。

その後、宮中顧問、貴族院議員などを歴任し、大正元年三田尻(山口県防府市)で亡くなりました。享年84歳です。


吉田松蔭の二人の妹、楫取素彦の二人の妻

吉田松陰は吉田家の養子で実家は杉家です。松陰には千代・寿・艶(夭折)・文の4人の妹がいました。寿(寿子)は楫取素彦に、文(文子)は久坂玄瑞に嫁ぎました。玄瑞・文夫妻は子供に恵まれなかったので、素彦・寿夫妻の次男・道明が養子となりました。したがって、松陰〜素彦〜玄瑞はまさに松陰ファミリーでした。

楫取と寿の結婚は、松陰が関わったものではありませんが、楫取との絆はさらに深まりました。松陰は楫取を正直で「気力・詩力・酒力」は自分より上だと敬愛していました。「江戸送り」のときには松下村塾の後事を託し、「至誠にして動かざる者未だ之れあらざるなり」とその思いを伝えたとのことです。群馬県令となった楫取は「至誠」をもって県政を行いました。

寿子は内助の功で夫を支えましたが、中風症から胸膜炎を併発し明治14年(1881年)1月に亡くなりました。すると母・滝子は、久坂玄瑞未亡人となっていた文子に楫取との再婚を促しました。文子は「貞女二夫にまみえず」と応じませんでしたが、滝子は「こうすることが、亡夫・玄瑞や亡姉・寿子、亡兄・松陰の願いであろう」と説きました。これで文子も再婚を決意。いったん杉家に復籍し、名前も美和子と改め、楫取と再婚しました。

寿子は明治9年から13年まで、文子は明治14四年から17年まで、前橋で過ごしました。

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」は、初代群馬県令・楫取素彦の妻、文(美和子)を主人公にしたドラマです。



前橋公園



前橋公園


群馬県庁のすぐ隣が前橋公園です。

前橋公園は、明治38年(1905年)日露戦役の記念を兼ねて建設された前橋市市内初の公園で、とうとうと流れる利根川を眼下にし、榛名山・浅間山・妙義山の山並みを望む絶景の場所にあります。

園内には昭和34年(1959年)、皇太子殿下のご成婚を記念して鶴舞う形の群馬県をかたどった「さちの池」をはじめ、芝生広場、中央児童遊園(るなぱあく)などがあり、市民の憩いの場として多くの方々に親しまれています。


前橋公園



臨江閣



臨江閣



臨江閣

前橋公演に隣接して臨江閣があります。

臨江閣は、初代群馬県令であった楫取素彦の提言で建てられた建物で、本館、別館、茶室からなる近代和風の木造建築物です。

本館は明治17年(1884年)9月、楫取素彦や市内の有志らの協力と募金により迎賓館として建てられました。完成後の建物で県令の任を終えた楫取の送別会も開催されています。現在は県の重要文化財に指定させています。



臨江閣



臨江閣



臨江閣


本館と渡り廊下でつながる比較的大きな建物が別館です。別館は明治43年(1910年)一府十四県連合共進会の貴賓館として建てられた書院風建築です。市の重要文化財に指定されています。


臨江閣



臨江閣茶室



臨江閣

臨江閣茶室は、明治17年(1884年)。本館建設に際し、市民の惜しみない寄付に感激した県令楫取素彦が当時の県庁職員の醵金により建設しました。

茶室の名前は、平成20年(2008年)の全国都市緑化フェア開催時に、市民の愛称として、楫取素彦の号をとって「畊堂庵」
(こうどうあん)と命名されました。揮毫は楫取素彦の曾孫・小田村四郎氏です。



臨江閣



るなぱあく


臨江閣のすぐ傍に「るなぱあく」があります。

るなぱあくは昭和29年(1954年)の開園で、正式名称は「前橋市中央児童遊園」です。

近代詩人萩原朔太郎ゆかりの公園ということで、平成16年(2004年)に市民公募で「るなぱあく」という愛称がつけられました。

朔太郎の詩集「遊園地にて」において、「遊園地」という言葉に「ルナパーク」とルビがふられていることに由来しています。


るなぱあく



旧安田銀行担保倉庫



旧安田銀行担保倉庫

るなぱあくから案内図にしたがって20分ほど進むと「旧安田銀行担保倉庫」です。

旧安田銀行担保倉庫は、大正2年(1913年)に建築された生糸担保倉庫で、大規模なレンガ倉庫として創建当初の姿を今に伝えています。製糸業が盛んであった「生糸のまち前橋」の歴史を伝える貴重な近代化遺産です。



弁天通り商店街



中央通り商店街


旧安田銀行担保倉庫から案内図にしたがって10分ほど進むと「弁天通り商店街」です。

アーケードに沿って進むと、「中央通り商店街」となります。


商店街にも ぐんま花燃ゆ



馬場川遊歩道



馬場川遊歩道



馬場川遊歩道

「中央通り商店街」のアーケードが終わったところを左折すると「馬場川通り」となります。

この通りは、アーケードはありませんが、小川に沿った風情のある町並みです、



アーツ前橋



本町2丁目交差点


「馬場側通り」を進んだところが「アーツ前橋」です。

「アーツ前橋」は、芸術・文化活動の支援や振興を行う施設として平成25年(2013年)に開館しました。

「アーツ前橋」という館名は、多様で上質な芸術文化をイメージする「arts」(アーツ)に地域名「前橋」を組み合わせたものです。

「創造的であること」「みんなで共有すること」「対話的であること」の3つを活動のコンセプトとしています。


本町付近



本町付近


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     風来坊


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