散策スポット目次
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武家屋敷通り
「大宝寺」から「ガンバーナホテル」に到着して、マイクロバスによる島内見学を終了しました。 夜の懇親会まで時間があったため、ホテル付近の散策に出かけました。 最初に、島内見学時にマイクロバスから眺めた、「武家屋敷通り」を訪ねました。
福江城(石田城)跡の南にあたる仲町、南町には藩政時代の武家屋敷が残っています。 石垣塀の上にのっている拳大の石は、合戦の際に石つぶてに用いる「こぼれ石」というものです。 石垣塀に登ろうとすると、石垣が崩れるため、賊の侵入防止の役割も果たしています。 近世の名残りを見せる通りです。
福江城(石田城)趾
「武家屋敷通り」から徒歩5分程度で「福江城(石田城)趾」に到着です。 福江城跡は、五島藩主の居城跡で、第30代盛成公の時に黒船の来航に備えて造られました。 城は寛永2年(1849年)8月から15年の歳月2万両の公費を使って、文久3年(1863年)6月に完成しました。 城郭は東西291m、周囲1346mで、城壁の三方を海に囲まれた海城です。
江戸幕府最後に築かれた我が国で最も新しい城ですが、まもなく明治維新となり築城9年にして解体されました。 城の裏門である蹴出門は修復を重ねながら現存しています。 また石橋や自然石を積み上げた石垣も当時の面影を残しています。 現在は本丸跡に県立五島高校、二の丸跡には五島観光歴史資料館や文化会館、図書館が建ち並び、五島市の代表的な文化ゾーンになっています。 城壁には矢を放つためと、監視用に作られた三角の矢狭間があります。広角に攻められるように、外に向かって開いているのが特徴です。
県立五島高等学校
五島氏庭園入り口
二の丸跡には五島氏庭園があります。 五島家第30代盛成の隠殿(隠居所)として、福江城の一郭に建てられました。京都の僧・全正に命じて造らせたという庭園は情緒豊かで、心を和ませてくれます。周囲の庭石と築山はすべて鬼岳の溶岩を用いており、多くの亜熱帯植物を配しているのも特徴です。 作庭時期が明確で、建物も一体となって保存されていることや、例の少ない城郭内での庭園であることから国の名勝に指定されています。 見どころのひとつである心字が池は、その名の通り「心」の文字をかたどっており、大変珍しいものです。
五島観光歴史資料館
五島観光歴史資料館は、石田城(福江城)二の丸跡にある天守閣を模した資料館です。 旧福江市制施行35周年を記念して建設されました。 3階建ての館内には古代の暮らしや遣唐使、倭寇、キリシタン信仰、五島藩の形成、観光名所、祭りなど五島の歴史文化が時代順に、分かりやすく紹介されています。 また、1階のハイビジョンシアターでは、「バラモンの空」を随時上映しているほか、ロビーでは五島市の観光名所の検索や歴史ゲームなどを楽しむことができます。
外濠公園
福江城趾の東側に「外濠公園」があります。 濠に沿って200mほど続く公園ですが、蘇鉄が植えられていて、南国情緒が漂っている公園です。
常灯鼻
常灯鼻からの景観
市街地から福江港のフェリ発着場の方に向かって常灯鼻が伸びています。
常灯鼻は第30代藩主五島盛成が福江城(石田城)を築く際に城の北東から吹き寄せる大波を防ぎ、築城工事を容易にするため築かせたものといわれています。 防波堤としての役割のほか、灯台としての役目も持っていました。
香珠子椿茶屋からの展望
福江城の築城にあたった石工は滋賀県の大津の集団であるとされており、常灯鼻も同じ石工によって造られたと考えられています。石工技術の発達した江戸末期の造りだけあって、160年経過した現在でも激しい波や風に耐え、出入りの船舶を見守り続けています。 城下町にふわさしい美しい佇まいです。昭和58年に市指定文化財となっています。
香珠子椿茶屋
五島での夕食は「香珠子椿茶屋」での炉端焼きでした。 香珠子椿茶屋は、香珠子海水浴場の傍の風光明媚な高台にあります。 丁度夕暮れ時でしたので、素晴らしい景観を楽しむことができました。 香珠子椿茶屋での炉端焼きでは、ふぐを始めとして新鮮な魚介類を堪能することができました。
ジェットホイールからの五島列島
上五島・奈良尾港
クラス会の3日目は、福江港9時20分発のジェットホイール「べがさす」に乗船し、海上から五島列島の島並を眺めながら、上五島の奈良尾港を経由して11時10分に長崎港に到着しました。 長崎港到着でクラス会は終了し、以後は、自由散策となり、風来坊は龍馬ゆかりの地を巡ることにしました。
ベガサス
乗船券には団体名が
長崎港内
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風来坊
ながさき女神大橋