散策スポット目次

HOME

前ページ

次ページ

熱海散策その1 (H26.12.14&12.27)


伊豆山神社からの展望 左前方は伊豆大島



伊豆山神社からの展望



伊豆山神社からの初島

JR東日本の「駅からハイキング&ウォーキングイベント」の「紅葉とパワースポットと湧き出る大地の力を巡るハイキング」に参加しました。

細部説明は「見頃を迎える熱海の紅葉、パワースポットとして名高い来宮神社と伊豆山神社、数多くの文豪に愛された起雲閣など熱海を満喫できるコースです」となっています。


コースの概要は次のとおりです。

JR熱海駅熱海駅観光案内所コンシェルジェ(スタート)池田満寿夫・佐藤陽子創作の家伊豆山神社・伊豆山郷土資料館走り湯小沢の湯(熱海七湯)大湯間欠泉(熱海七湯)湯前神社來宮神社熱海梅園(澤田政廣記念美術館)来宮駅起雲閣熱海市観光協会(わかがえるステーション)(ゴール)熱海駅


熱海駅



熱海駅観光案内所

歩行距離約9.5km、所要時間約5時間(施設での見学時間を含む)です。

今回はコミュニティーのイベントで、十数名のグループで歩きましたので、所要時間約6時間(昼食1時間)、約1万3千歩でした。

坂の多いコースですから、一部路線バスを利用しました。このため、距離に比較し歩数が少ないです。



池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家


熱海駅から左方向の進み、バスターミナルの傍を抜けて200mほど進むと信号のある三叉路です。右手前に東横インがあります。

三叉路を右手に進むと坂道を下って熱海の海岸に出ることができます。

左手の急な上り坂を道なりに500mほど進んだ右手が「池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家」です。


池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家



池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家



池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家

版画、油彩、陶芸、書、小説などマルチアーティストの名をほしいままにした芸術家・池田満寿夫。

幼い頃から才能を認められ世界を舞台に活躍したヴァイオリニスト・佐藤陽子。

天才と呼ばれた二人が1982年12月から1997年3月に池田満寿夫が亡くなるまでの間、住居兼アトリエとして過ごしました。


この家は1997年12月佐藤陽子から熱海市に寄贈され、「池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家」として2005年11月に開館しました。

創作の家では、池田満寿夫の版画や油絵、陶などの芸術作品を始め、佐藤陽子が演奏活動で使用したドレスや楽譜、そして、池田満寿夫さんの直筆原稿などを展示しています。

館内は撮影禁止ですので、展示品等は紹介できません。


池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家



伊豆山神社への階段



伊豆山神社への階段



伊豆山神社への階段

「池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家」から坂道を200mほど登ったバス停「前山田」から「伊豆山神社」行きの路線バスに乗車し「伊豆山神社前」で下車しました。

最初の上り坂で疲れましたのでバスを利用しましたが、バスを降りると目の前に長い石段が続いています。

この石段を登ったところが「伊豆山神社」「伊豆山郷土資料館」です。



伊豆山神社の紅葉


伊豆の地名発祥の地でもある「伊豆山(いずさん)神社」。

源頼朝が源氏の再興を祈願、また、頼朝・政子が結ばれた場所であるため、縁結びの神社としても有名です。

毎年4月14日〜16日の3日間、例大祭が行われます。


伊豆山神社の紅葉



伊豆山神社



伊豆山神社



伊豆山神社

流人・頼朝は伊豆山権現の住僧覚渕に学び、やがて北条政子と劇的な出会いを果たします。

治承2年(1178年)の夏、北条政子は親の定めた山木兼隆との縁談を嫌い、 婚礼の夜、宴席を抜け出し約七里の道のりを超え、かねて想いを寄せていた伊豆山の頼朝の元へ。

頼朝は政子を逢初橋(あいぞめばし:国道135号)の上で出迎えたと伝えられています。

頼朝が鎌倉幕府を開いた後にも、伊豆山神社は源頼朝と政子に崇拝されました。

僧兵3800人を有し、絶大な勢力を誇りました。


江戸時代には伊豆大権現と呼ばれ、徳川家康も参拝に訪れています。

古くから縁結びの祈願所として名高い伊豆山神社には、もちろん恋にまつわるパワースポットがあります。

頼朝と政子が愛を育んだとされる、ちょうどふたり掛けサイズの腰掛け石もその一つです。


腰掛け石



伊豆山郷土資料館

伊豆山神社の本殿の右手に、「伊豆山郷土資料館」があります。

伊豆山郷土資料館は、伊豆山神社の宝物を中心に伊豆山地区に伝わる、郷土資料を展示しています。特に、県指定文化財の走湯権現立像や宝冠阿弥陀如来像など、往時の信仰を考えるうえで貴重な資料を展示しています。

また、「頭髪曼荼羅」(複製展示)は、源頼朝の夫人北条政子が、正治2年(1200年)1月13日頼朝の一周忌の日に、自らの髪の毛を除髪してこれを刺繍し、伊豆山権現の法華堂の本尊として阿字一幅を奉納したと鎌倉幕府の記録著「吾妻鏡」に記録されている蔓荼羅です。



伊豆山神社前バス停から伊豆山浜に向かう石段


伊豆山神社から石段を降りてバスの停留所まで戻ると、さらに下方に石段が続いています。

この石段を降りたところが「伊豆山浜」です。

伊豆山浜に「伊豆山神社参道」に関する案内板が立っていました。


伊豆山神社前バス停から伊豆山浜に向かう石段



伊豆山浜



伊豆山神社参道に関する案内板



伊豆山神社参道のスタート地点

この案内板に、平成22年2月14日に行われた神社参道の段数調査の結果が表示されていました。

神社参道を、伊豆山浜から神社本殿前までとする。平成22年2月14日に神社参道の段数調査を行い、踊り場の長短に関わりなく一段、段の高低にかかわらず段のあるところは一段とする。宮下で横断する市道の段差は、階段としない」との段数調査の条件が示されていました。


段数調査結果は、伊豆浜から本殿前までが837段です。バスの停留所から本殿まで随分登った感じですが、僅か189段でした。

本殿前から伊豆山浜まで降りてきましたので、837段を下ったことになります。



走り湯



走り湯温泉の碑


伊豆山浜に「走り湯」があります。

相模の海に臨む「走り湯」は、日本でも珍しい横穴式源泉で、日本三大古泉の一つです。

今から約1300年前に発見され、山中から湧き出した湯が海岸に飛ぶように走り落ちるさまから「走り湯」と名づけられました。


走り湯温泉



走り湯神社

「伊豆の国山の南に出づる湯の早きは神のしるしなりけり」と源実朝が詠んだように、 明治以前は伊豆山神社の神湯として信仰されていました。

奥行5mの洞窟からは、現在でも70度の湯が1日7000トンも湧き出ており、源泉は神秘的な光景が広がります。

「走り湯」の周囲は「伊豆山温泉」となっています。



宮下の交差点


「走り湯」から16段上った「走り湯」の傍に「走り湯神社」があります。

「走り湯」から178段上った市道・宮下の交差点を左折し、100mほど進んだ右手に鈴屋薬局があります。

鈴屋薬局の手前を右折し、すぐに左折して鈴屋薬局の裏の道を進み、JRのガードを潜って急な坂道を400mほど進むと先ほどバスに乗った「前山田」のバス停です。


目印の薬局 薬局の右側を左折します



ガードを潜って急坂を上ります

バス停から150mほど坂道を下った三叉路を左折すると「池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家」です。

そのまま道なりに坂道を500mほど下っていくと熱海駅の北側でます。熱海駅の手前でガードレールを潜ると熱海駅バスターミナルです。


バスターミナルの手前を右折すると熱海駅に戻ります。



平和通り名店街



平和通り名店街



福福の湯


熱海駅を右手に見てそのまま進むと「平和通り名店街」です。

「平和通り名店街」の中央付近に手湯「福福の湯」があります。

足湯はあちこちで見かけますが、手湯は珍しいですね。

次の案内がありました。

「福福の湯」に手を浸し温泉の暖かさを感じて幸せになって下さい。この温泉の源泉名は「福福温泉」で地中300mから湧出しており温泉の温度は76.6度です手湯は40度に調節してあります


福福の湯



福福の湯

また、「福福の湯」の傍に可愛い夢掛け地蔵がいました。

「お湯掛けて夢が叶って幸せに夢掛け地蔵さん」と書かれていました。

多くの方がお湯を掛けていました。



熱海市街


「平和通り商店街」を抜けて車の通行する道路に出て、道なりに坂道を下り、大江戸温泉を過ぎてさらに200mほど進んだ信号のない三叉路を右折します。左手に「開運堂」があります。

そのまま進むとUターンのある坂道になり右手に「風呂の湯」があります。ここまで行ったら間違いです。


「開運堂」前の三叉路を右折して道なりに100mほど下った左手が「小沢の湯(平左衛門の湯)」です。


開運堂 この前の三叉路を右折



小沢の湯



丹那湧水

小沢の湯は熱海七湯の一つです。

沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯を「平左衛門の湯」と称していました。また、土地の人は小沢にあったので「小沢の湯」とも称しました。

「清左衛門の湯」と同様、人が大きな声で呼べば大いに湧き、 小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。

この「小沢の湯」では温泉たまごも作ることができます。

すぐ傍に、熱海市の水道水源の一つである丹那湧水の飲用水栓もあります。



大湯間欠泉


小沢の湯から100mほど坂道を下った変則四叉路を右折して、50mほど進んだ左手が「大湯間欠泉」です。

大湯間欠泉も熱海七湯の一つです。
大湯は、古来から間歇泉で世界的にも有名な自噴泉です。

大湯の噴出は昼夜6回で、湯と蒸気を交互に激しい勢いで吹き出し、地面が揺れるようであったと伝えられています。

明治中頃から次第に減少し大正12年(1923年)に止まってしまいましたが、昭和37年(1962年)に人工的に噴出する間歇泉として整備、市の文化財として保存し、現在に至っています。


大湯間欠泉



湯前神社



湯前神社

「大湯間欠泉」から100mほど北方向に進むと「湯前神社」です。

熱海の温泉街に鎮座する湯前神社は、平安時代からの古社です。

社伝によると、天平勝宝元年(749年)6月、小児に神託が下り、諸病を除く効果があるので温泉を汲み取って浴せよとの神教があり、その報恩として里人が祠を建てて少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀ったのが始まりとのことです。

また、熱海の海中に湧いていた熱湯を、高僧万巻上人が山腹に移し、その近くに祀った祠が湯前神社の始まりという説もあります。


湯前神社の鳥居の右手には温泉の湧き出し口があります。

熱湯ですが、このお湯はたいへん塩辛いとのことです。

鎌倉時代に、源頼朝を初めとする歴代将軍や幕府の要人が、伊豆山権現(走湯権現)、箱根権現の二所権化に盛んに参詣するようになると、広く湯治の神として喧伝されたとのことです。


湯前神社



湯前神社

境内に源実朝の歌碑があります。

この歌は二所詣を真摯に受け継いだ実朝が、建保2年(1214年)正月、4回目の二所詣の時、箱根権化から三島社を経て伊豆山権化に向かう途中、熱海のこの地にさしかかり、海岸に湧出する温泉(大湯)を見て、崇め讃えて詠んだものと思われます。

天和元年(1681年)に描かれた「豆州熱海絵図」にも湯前神社を示す絵図とともに実朝のこの歌が記されています。



大湯


湯前神社の隣に大湯があります。

大湯は徳川家康が入浴したこともあり、「出世の湯」ともいわれています。

4代将軍の徳川家綱の頃から御汲湯と称されて、毎年数回このお湯を江戸に運んでいたとのことです。

日航亭大湯は大湯の位置にある日帰り温泉です。昔は温泉旅館だったとのことです。入り口には面白い石の門があります。


大湯



大湯



 熱海散策 その2へ




      風来坊


目次  TOP HOME