散策スポット・北海道東北

散策スポット目次

HOME

前ページ

次ページ

とげぬき地蔵尊と大名庭園・情緒ある商店街を散策 その2 (H24.11.9)


滝野川公園



滝野川公園

旧渋沢庭園の傍から飛鳥山公園を出たところが「本郷通り」です。

左折して本郷通りに沿って500mほど進んだ左手が滝野川公園で、その傍に「東京都北区防災センター(地震の科学館)」です。



東京都北区防災センター(地震の科学館)


東京都北区防災センターは、国の「防災基地モデル建設事業」の一環として、昭和59年(1884年)11月に開館しました。

展示ホールにおける地震対策の学習、地震体験、煙体験、消火体験などの訓練・体験を実施しています。

また、応急手当講習会や防災講演会なども実施しています。


東京都北区防災センター(地震の科学館)



東京都北区防災センター(地震の科学館)

地震体験では、関東大震災、阪神淡路大震災など、過去に起こった地震を再現し、実際にその揺れを体験することができます。

初期消火訓練は、訓練用消火器を使用した初期消火の訓練です。

煙体験では、火災が発生し、室内が煙で充満した時、どのような状況になるのか体験できます。また、煙の怖さについて学ぶことができます。



旧古河庭園



旧古河庭園バラ園


東京都北区防災センターから本郷通りに沿って300mほど進んだ右手が「旧古河庭園」です。

洋館とバラの庭園で有名な旧古河庭園は、古河虎之助が経営した東京における大正初期の代表的な庭園です。

武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴です。


旧古河庭園のバラ



旧古河庭園のバラ

この庭園はもと明治の元勲・陸奥宗光の別邸でしたが、彼の次男が古河財閥の養子になった時、古河家の所有となりました。なお、この当時の建物は現存しておりません。

現在の洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア・コンドル博士です。

日本庭園の作庭者は、平安神宮神苑、円山公園などを作庭した、京都の著名な庭師・七代目小川治兵衛です。



旧古河庭園日本庭園



旧古河庭園日本庭園


戦後、国へ所有権が移りましたが、地元の要望などを取り入れて、東京都が国から無償で借り受け、一般公開されました。

数少ない大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在で、昭和57年8月4日に東京都の名勝に指定されています。


旧古河庭園日本庭園



旧古河庭園日本庭園

旧古河庭園では、洋館前に広がるテラス様式の整形花壇を中心に、約90品種180株のバラが植えられています。

バラの株数は少ないですが、洋館とバラのコントラストが人気を得ており、春と秋のバラが咲く時期には多くの観光客で賑わいます。


また、旧古河庭園には200本のカエデ類が日本庭園を中心に植えられています。

六義園や小石川後楽園は大名庭園ですから広大ですが、旧古河庭園はそれに比べるとコンパクトな庭園ですから、200本のカエデ類といっても密集している感じで、見応えがあります。


旧古河庭園日本庭園



ことぶき地蔵尊

「旧古河庭園」を出た右手は交差点ですが、本郷通りはここで右に大きくカーブしています。

交差点を渡らずに、本郷通りに沿って右にカーブすると下り坂になります。

「旧古河庭園」から300mほど進んだところが「霜降橋」交差点です。

「霜降橋」交差点を横断して20mほど進んだ右手の細い路地が「霜降銀座商店街」です。



霜降銀座商店街



霜降銀座商店街


霜降銀座は昭和31年(1956年)に発足した商店街です。

道幅は3〜4m、全長250mの商店街には、昔ながらの商店62店舗が軒を連ねています。

はかり売りやばら売りなど昔ながらの商いがいまだに残っている下町情緒の濃い商店街です。


霜降銀座商店街



霜降銀座商店街



霜降銀座商店街

北区と板橋区の2つの区にまたがって、霜降銀座、染井銀座、西ヶ原銀座、ふれあい通り商店街の4つの商店街が細長く連続しており、その周りを囲むよう住宅が隣接した、買いまわりの多い近隣型商店街です。

「霜降橋」交差点側から100mあまり進んだ左手に「しーちゃんコミュニティーサロン」があります。今回の「駅からハイキング」のチェックポイントです。



霜降銀座商店街



ここから染井銀座 豊島区です


「しーちゃんコミュニティーサロン」を過ぎると道幅が随分と広がります。

さらに100mあまり進むとアーケードの表示が「ようこそ染井銀座へ」となります。ここから豊島区です。

豊島区に入って30mほど進んだ4叉路を左折すると、相変わらず細い路地ですが、住宅街となります。


ここを左折です



門と蔵のある広場

細い路地を道なりに300mほど進むと左手に「門と蔵のある広場」があります。

この広場の所有者である丹羽家は、天明年間(1780年代)から明治後期まで、この地域を代表する植木屋として活躍していました。

代々「茂右衛門」を襲名して、造り菊、石菖、蘭、ツツジなどを得意とした植木屋でした。

津藩藤堂家や尾張藩などの大名屋敷にも出入りするなど、武家にも信用を得ていました。八代目茂右衛門の代で植木屋をやめましたが、当地域の旧家として知られています。


旧丹羽家の門は、腕木と呼ばれる梁で屋根を支える腕木門と呼ばれる形式で、簡素な構造ですが、格式の在る門です。

この門の建築年代を明らかにする記録はありませんが、古い伝えによれば、染井通りをはさんで向かい側にあった津藩藤堂家下屋敷の裏門を移築したといわれています。


旧丹羽家腕木門



旧丹羽家住宅蔵



山手線駒込駅

旧丹羽家住宅蔵は、丹羽家に残されていた記録から、昭和11年(1936年)の建築であることがわかっています。

もとは主屋の北側に木造2階建ての蔵が建っていましたが、八代目茂右衛門が九代目の結婚の際に主屋の増改築とあわせて、鉄筋コンクリート造りのこの蔵に建て直したものです。

蔵は出入口を東西に設け、増築した六畳間と廊下で主屋とつながっていました。出入口の観音開きの鉄製扉の内側に家紋(五三桐)が付いています。また扉上部と両脇の柱に大理石が貼られるなど、装飾に気を使っている点が注目されます。


「門と蔵のある広場」から道なりに50mほど進むと丁字路があり、正面が保善高校です。

丁字路を左折して500mほど進むと染井橋でJR山手線の上部を通過します。

さらに200mほど進んだところが六義園の染井門です。


六義園



六義園



六義園



六義園

六義園は5代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が元禄15年(1702年)に築園した、和歌の趣味を基調とする「回遊式築山泉水」の大名庭園です。

池をめぐる園路を歩きながら、移り変わる景色を楽しむことができる、繊細で温和な日本庭園です。

造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられておりました。


六義園は枝垂れ桜や紅葉に時期に詳しく紹介していますので、説明は省略します。

「六義園」の傍のJR駒込駅が、今回のコースのゴールです。


とげぬき地蔵尊と大名庭園散策その1へ



        風来坊


六義園の菊花壇


目次  TOP  HOME