信号を左折したところに「お鷹の松」があります。
大正7年(1918年)明治神宮外苑競技場(現在の国立霞ヶ丘競技場:国立競技場や秩父宮ラグビー場などの総称)造成のために買い上げた霞岳町の敷地内に境妙寺という古寺がありました。
昔、徳川3代将軍家光が鷹狩りの途中にこの寺に休息していたところ、江戸城から飛び去っていた「遊女」と名付けた愛鷹が飛んできて、庭前の松の枝にとまったので家光は大変喜び、この松をその鷹の名をとって「遊女の松」と名付けたと伝えられています。
後の世の人々が「お鷹の松」あるいは地名をとって「霞の松」とも呼びました。
碑文にある2代目の松(樹齢推定200年、高さ4m)は、昭和39年(1964年)東京オリンピック開催のための拡張工事の際に取り去られ、碑石は競技場代々木門内に移設されていましたが、昭和54年(1979年)現在地に移され、新たに黒松が植えられています。
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