また、宮泉銘醸の付近一帯は、旧会津藩家老職山川家の屋敷跡で、「山川健次郎生誕地」でもあります。
「山川健次郎」は旧会津藩家老職の家系、尚江・重固の次男で、戊辰戦争の時、15歳で白虎隊に編入されましたが、年少のため除隊となりました。
明治4年アメリカに留学、エール大学で物理学を修め、学位を得て帰国し、明治34年(1901年)に東京帝国大学総長に就任、のち九大、京都帝大総長、貴族院議員、枢密顧問官を務め男爵となりました。
「京都守護職始末」「会津戊辰戦争史」を編集し、明治維新史上、四面楚歌だった会津藩の立場を明らかにしました。
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