嘉納治五郎は柔道の始祖、講道館の設立者として有名ですが、文部省参事官、高等師範学校校長といった教育者としても多大な功績を挙げました。
嘉納治五郎は明治44年(1911年)にこの地に別荘を設けました。
翌年には嘉納の姪である柳直枝子がこの地に別荘を構えましたが、敷地内に「智・財・寿」の木として村人の尊崇を集めていた3本の椎の木がそびえていることから嘉納が「三樹荘」と命名しました。
直枝子の結婚により一時空き家になりましたが、大正3年(1914年)直枝子の弟である柳宗悦がここで新婚生活を始めました。
白樺派の中心人物の一人であった柳の誘いにより、志賀直哉、武者小路実篤が相次いで我孫子に移住したほか、イギリス人陶芸家バーナード・リーチが三樹荘で窯を築いて作陶に打ち込みむなど、三樹荘を拠点として白樺派に関わる文人や芸術家が活動しました。
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