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渋谷・代官山散策 その2 (H24.9.24)


駒場野公園から南に進む遊歩道



筑波大付属駒場中・高校



急な階段

「駒場野公園」を南方向に出て、「NTTDATA駒場研修センター」を右に見ながら道なりに200mほど進んだ正面が「筑波大付属駒場中・高校」の正門です。

正門を右折し、次の三叉路を左折して「筑波大付属駒場中・高校」の敷地に沿って300mほど進むと、道路が左に直角に曲がっています。

曲がり角の歩道に車止めがあり、その先が急な階段になっています。



目黒川緑道



目黒川緑道


階段を下りて右折し、30m程進んだ三叉路を左折して30mほど進むと目黒川緑道が左右に伸びています。

目黒川は世田谷区三宿の東仲橋付近で北沢川と烏山川が合流して南東に流れ品川区の天王洲アイル駅付近で東京湾に注いでいます。


目黒川緑道



ムラサキシキブ


ハナトラノオ



目黒川緑道



前方は首都高速3号渋谷線 その下が国道246号線

起点の北沢川と烏山川の合流点から国道246号線の大橋までの約600mの区間は暗渠化され、それと併せて地表部分には人口のせせらぎを抱いた緑道が整備されています。

これが目黒川緑道で、せせらぎの両岸には地域住民の協力により、水生植物や四季折々の花が植えられています。

また、鯉や小鳥、カモなどが泳いでいます。



フジバカマ


ムラサキフジバカマ



大橋から下流の展望


左折して目黒川緑道に沿って下流方向に500mほど進んだところが国道246号線です。

国道246号線を横断して反対側に出ると、目黒川は暗渠ではなくなります。

そして国道246号線にかかる大橋から東急線中目黒駅傍の日の出橋までの約1.5kmは、川の両側に桜並木が続く桜の名所です。

目黒川の桜については次をご覧下さい。

  目黒川の桜


目黒川沿いの散策路



大橋ジャンクション



大橋ジャンクション

国道246号線を横切った左側に円形状の非常に大きな建造物があります。

「大橋ジャンクション」です。

「大橋ジャンクション」は山手トンネルと首都高速3号渋谷線を結ぶ、ループ状の都市型ジャンクションで、首都高ネットワークの重要なポイントの一つです。



大橋ジャンクション


「大橋ジャンクション」は4層ループ構造のジャンクションで、山手トンネルと首都高速3号渋谷線の最も大きい高低差は約70mあり、ループ構造の2周分を使いながらジャンクション全体で接続しています。

平成25年度には中央環状品川線とも接続する予定です。


大橋ジャンクション



大橋ジャンクション 国道246号線の歩道橋から

大気や騒音など、周辺の環境への影響を低減するために壁で覆っていますが、壁面に光により縞模様を浮かび上がらせたり、擬似窓を設けて圧迫感を低減するように工夫されています。

また、屋上は公園として整備し、エコな緑地空間となっています。

大橋ジャンクションは国立競技場のグラウンドとほぼ同じサイズです。


「大橋ジャンクション」から目黒川に沿って下流方向に300m程進んだ「目黒橋」を右折し、200mほど進んだ最初の信号で山手通りを横断し、そのまま真っ直ぐ100m程進むと目黒川に架かる「南部橋」です。

そのまま真っ直ぐ100mほど進んだところが、「菅刈公園」です。


南部橋から望む目黒川



菅刈公園



菅刈公園

「菅刈公園」のある青葉台二丁目あたりは、江戸時代には「荒城の月」で知られる豊後の岡藩(現在の大分県竹田市)藩主中川侯の抱屋敷(別邸)でした。

屋敷は、滝や池のある回遊式の大名庭園として、江戸時代の地誌に江戸の名所として紹介されています。



菅刈公園


明治7年(1874年)に西郷隆盛の弟で、政治家・軍人であった西郷従道が、約6ヘクタールのこの地を購入し、フランス人技師レスカスによる木造2階建ての洋館や書院造りの和館を建造しました。

庭園についても、大改造が行われ、明治期の和洋折衷の典型的な庭園として「東洋一の名園」と言われたこともあったようです。

明治22年(1889年)には明治天皇の行幸が行われています。


菅刈公園



菅刈公園



菅刈公園



菅刈公園

このようなことから、人々はこの一帯を「西郷山」と呼ぶようになりましたが、昭和18年(1943年)に旧国鉄に売却され、職員住宅として使用され、池が埋め立てられるなどしました。

残存していた洋館は昭和39年(1954年)に「明治村」に移され、国の重要文化財に指定されています。


平成9年の目黒区が約2ヘクタールのこの地を公園用地として取得する際に調査したところ、庭園の石組みなどが良好に保存されていることが判明しました。

したがって、公園は名園の一部を復元した形で整備されています。

また、 整備に際しては、 この地にゆかりのある大分、鹿児島、宮崎県の市町などから記念樹が贈られています。

復元された庭園の脇には、展示室、和室、庭園展望室を備えた和館が設置されています。


菅刈公園



西郷山公園



西郷山公園



西郷山公園

「菅刈公園」の和館の傍を東に50m程東に進み、最初の交差点を左折して100m程進んだ右手が「西郷山公園」です。

「西郷山公園」は、旧西郷邸の敷地の北東部分に当たり、公園名も付近の人々に親しまれていた「西郷山」という通称にちなんで付けられました。


「西郷山公園」も造園に際して、 鹿児島県及び県下の市町村から記念樹や桜島の溶岩が贈られています。

公園は台地の端の斜面を利用して造られており、芝生広場と一周する園路、人工の流れなどが配置されています。

公園にある碑は、桜島の溶岩で造られたものです。


西郷山公園



旧山手通り



西郷橋 左が西郷山公園

「西郷山公園」の北東側の道路が「旧山手通り」です。

西郷山公園から右折して「旧山手通り」を700m程進んだところに「代官山交番前」の信号があり、この信号を左折すると「八幡通り」になります。

また、「旧山手通り」をさらに100m程直進すると丁字路となり、左右に走っているのが「駒沢通り」です。



エジプト大使館


デンマーク大使館


「代官山町」は、北で渋谷、東から南にかけて恵比寿西、西で猿楽町と隣接しています。

住宅地のほか、ブティック、洋菓子点、レストラン、カフェなどの商業施設も多くあります。

東急東横線の代官山駅があり、駅の北側には複合施設「代官山アドレス」とタワーマンション「代官山アドレス ザ タワー」があります。

代官山駅は急斜面にあるため、橋上駅舎を持つ地上駅で、ホームの一部はトンネル内にあります。


旧山手通り



旧山手通り


旧山手通り



八幡通り



八幡通り



八幡通り



代官山駅

一般的に「代官山」という場合は、代官山町を含めて駅周辺から八幡通り、旧山手通りにかけての地域全体を指しているようです。

「西郷山公園」から代官山駅に向かう旧山手通りも、大使館やモダンな建物が並んでおり、素敵な景観を楽しみながら散策することができます。


「代官山交番前」の信号を左折して「八幡通り」に入り。最初の信号「代官山駅入口」を右折すると急な坂道になり、坂を下る途中に代官山駅があります。

また、「代官山駅入口」から八幡通りを道なりに渋谷の方向(北東の方向)に進むと、商業複合施設、ブティック、飲食店などが並んでいます。

落ち着いた街並みを楽しみながら、500mほど進んだところが「猿楽橋」です。


代官山駅前



猿楽橋



金王八幡宮



金王八幡宮

「猿楽橋」の下を走っているのが、JRの山手線、埼京線、湘南新宿ラインです。

そのまま真っ直ぐ進み、「並木橋」の信号を渡って200m程進んだ「金王神社前」の信号を左折すると「金王八幡宮」です。



金王八幡宮社殿



芭蕉の句碑


「金王八幡宮」は寛治6年(1092年)に、現在の渋谷の地に渋谷城を築き、渋谷氏の祖となった河崎基家によって、渋谷城内に創建されました。

江戸時代には徳川家の信仰を得て、社殿は3代将軍家光の乳母春日局が造営されたものです。

江戸時代初期の建築様式をとどめる都内でも代表的な建築物です。


金王桜



渋谷城の砦の石

基家の子、重家は堀河帝から渋谷の性を賜り、これが渋谷の地名の発祥とのことです。

重家の子、金王丸は武勇に勝れ源義朝、源頼朝に仕えました。

境内にある金王桜は、頼朝が金王丸の誠忠を偲んで鎌倉の館から移植したものです。

一枝に一重と八重とが混ざって咲く珍しい桜です。


境内に渋谷城の砦の石が残されています。

「金王八幡宮」からなだらかな坂道を下ると明治通りあるいは六本木通りに出ます。

歩道橋を渡ると渋谷駅北口です。

渋谷駅北口には、最近「渋谷ヒカリエ」がオープンしました。



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       風来坊


渋谷ヒカリエ


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