散策スポット・北海道東北

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東京スカイツリーを眺めながらぐるり墨田まち歩き その1 (H24.11.4)


隅田公園



お休み処 あづちゃん

業平橋から東京スカイツリーを眺めた後、浅草通りに沿って西方向に300mほど進んだ「本所吾妻橋」の交差点を右折し、200mほど進んだところが「源森橋」です。

川面の写る東京スカイツリーと東武線の電車とを一緒に撮影することのできる人気スポットです。


「源森橋」の交差点を左折して道なりに300mほど進んだ右手が「隅田公園」です。

隅田公園は隅田川沿いにある公園で、右岸の台東区浅草、花川戸、左岸の墨田区向島にまたがる公園です。

関東大震災の避難場所が少なく、被害を大きくしたという反省から、東京市内に数ヶ所の火除地を設置する計画が進められ、その一環として名勝史跡の墨堤を復興整備して隅田公園が設置されました。


枕橋からの東京スカイツリー


源森橋からの東京スカイツリーと東武線特急



大正14年6月着工、昭和6年3月完成という6年近くをかけた大工事で、美しい日本庭園をもつ旧水戸藩下屋敷を含み、桜並木も整然とした近代的な公園です。


隅田公園の中にも東京スカイツリーの撮影スポットがあります。



隅田公園からの東京スカイツリー



七五三で賑わう牛嶋神社


隅田公園の「言問橋東交差点」の近くに牛嶋神社があります。

本殿前に狛犬の代わりに狛牛があるのが特長です。

神社の名前は、両国・向島の本所一帯が天武天皇の時代(701年〜764年)に国営牧場が設けられ牛嶋といわれていたことに由来しています。

創建は、貞観年間(859年〜877年)に慈覚大師が須佐之男命を郷土の守護神として迎えたのが始まりといわれています。


牛嶋神社



撫で牛

その後平安末期に、源頼朝が房州千葉から挙兵して隅田川を渡ろうとしましたが、豪雨直後で水位が高く渡ることができなかったときに、千葉胤常が近くにあった牛島神社に祈願したところ、無事渡ることができたという。

この時の功徳に感謝して、頼朝は神社に多くの土地を寄進したといわれています。

その後も北条氏や江戸時代には江戸城の鬼門守護の社として幕府から寄進を受け、本所地区の総鎮守にもなっていました。


牛嶋神社は「牛御前社」とも呼ばれていますが、これは天文年間(1532年〜52年)からです。

境内には「撫で牛」があり、体の悪い部分を撫で、次に牛の同じ部分を撫でると、病気が治るといわれています。
体だけでなく、心の病にも効き目があり、また子供が産まれた時は「撫で牛」に涎かけを奉納し、その涎かけを子供にかけると健康に育つともいわれています。

昭和7年,関東大震災後の隅田公園の建設により,桜橋近くの隅田川東岸(墨堤常夜燈のある場所)にあったのを公園の北側に移されました。
昭和20年の東京大空襲により神楽殿は焼けましたが,本堂はじめその他の建物は一部被害を受けたものの無事で,昭和7年に移転して以来のものです。

正面の鳥居は珍しい三輪鳥居です。


「牛嶋神社」から「言問橋東」交差点に進み、言問橋から下ってきている「言問通り」を横断すると道路が2つに分かれています。

右側が「水戸街道」で、左側が「見番通り」です。

左側の「見番通り」を進みます。入口に「向島観光案内板」があります。


見番通り



すみだ郷土文化資料館

「見番通り」を100mほど進んだ左手が「すみだ郷土文化資料館」です。

「すみだ郷土文化資料館」では、「ふるさととの出会い、ときめきへの旅」をスローガンに、墨田区の歴史・伝統文化を紹介しています。


「すみだ郷土文化資料館」の隣に「佐田稲子旧居跡」の案内板があります。

長崎から上京して身を寄せたのがこの付近のようです。

戦後、すぐに書かれた自叙伝ともいえる「私の東京地図」には、長く暮らした向島周辺のことが書かれています。

その中に三囲神社も出てきます。


佐田稲子旧居跡



三囲神社



三囲神社



三囲神社

「すみだ郷土文化資料館」から100mほど進んだ左手が「三囲(みめぐり)神社(正式は三圍神社)」です。

祭神は宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)ですが、創立年代は不詳です。

文和年間(1352年〜1356年)の頃、近江三井寺の僧源慶が東国を巡錫中、墨田川牛島のほとりにある弘法大師建立の、荒れはてた小堂に立ち寄った際、その床下より現れた壷をあけると、その中より忽然と白狐が現れ、壷の中の宇迦之御魂命の神像のまわりを、三度めぐっていずこともなく消え去ったので、それ以後この社を「みめぐり」(三囲)と呼ばれるようになったと伝えられています。


神社境内の狛犬のそばにライオン像が置かれています。

三越百貨店入口に置かれているものと同じ像で、2009年に三越から奉納されたものです。

境内の奧に三角鳥居があります。

この石造りの三柱鳥居は「三井邸より移す。原型は京都太秦・木嶋神社にある」と境内に表示されており、三井家から移されたもので、原型は京都太秦木嶋神社にあります。


三囲神社



向嶋墨堤組合

三囲神社から300mほど進んだ左手に、向嶋墨堤組合があります。

料亭への芸妓の手配、料亭の予約手配、置屋・花街の統括管理などが主な業務です。

また、稽古や新人の育成などにも当たっており、伝統文化の継承にも取り組んでいます。

見番通りの北側や墨堤通りの東側には向島花街と呼ばれる一角があり、現在も20近い料亭があり、120名を越える芸妓衆が登録されているとのことです。



見番通りから桜橋に向かう道路 この付近にも料亭があります


向嶋墨堤組合から30mほど進んだ交差点を左折し、突き当たりにある大きな階段を登ると隅田川堤防の上に出ることができ、目の前にあるのが「桜橋」です。

桜橋は、1985年に完成した隅田川唯一の歩行者専用の橋です。


桜橋に向かう階段



桜橋



桜橋

桜橋は隅田川両岸の隅田公園を結ぶ園路の役割を持っています。

形状は平面のX字型の特異な形をしている美しい橋で、周辺との景観を考慮して色彩や素材に工夫が図られています。

花見のシーズンには両岸の桜を楽しむために多くの人がこの橋を渡ります。

この橋の上から眺める隅田川の桜は絶景ですが、現在は東京スカイツリーを身近に眺めることのできるスポットでもあります。

逆光のため写真がありません(涙)。



桜橋から上流の隅田川河畔


「桜橋」から隅田川土手に沿って上流に100mほど進むと墨堤常夜燈があります。

この常夜燈が置かれている場所は、かつては牛島神社の境内でした。

牛島神社は隅田公園の整備とともに現在地に移転しましたが、この常夜燈だけはここに残されました。

その理由は、常夜燈が墨堤における重要な目印であったためです。


墨堤常夜燈



言問団子

この付近にはかつて「竹屋の渡し」が設けられ、春の花見や夏の花火見物、明治に入っては向島の花柳界へと遊興客を数多く運んできました。

まだ照明が発達していない時代でしたから、この常夜燈の明かりが非常に重要な役割を果たしていたとのことです。

また、隅田川を往来する川舟のための灯台を兼ねており、墨堤の燈明として航行の安全を守っていました。


墨堤常夜燈から100mほど上流に進むと、江戸時代から続く老舗の「言問団子」の店があります。

厳選した最高級の素材を丁寧に豆から煮上げ、すべて手作りの味は150年以上変わらぬ味だそうです。

新粉餅を小倉餡でくるんだ茶、白餡でくるんだ白、味噌餡を求肥でくるんだ黄の3食の団子です。

銘菓や橋の名にもなっている言問は、平安の歌人、在原業平の「名にしおはば いざ言問はむ 都鳥 我が思う人は ありやなしやと」からとっているとのことです。


隅田少年野球場



王選手

「言問団子」の隣が「隅田少年野球場」です。

この少年野球場は、昭和24年(1949年)戦後の荒廃した時代に「少年に明日への希望」をスローガンとして、有志や子供達の荒地整備による汗の結晶として誕生した日本で最初の少年野球場です。

以来数多くの少年球児がこの休場から巣立っていきましたが、日本が誇る世界のホームラン王、王貞治選手もこの球場で育った一人です。

入口の門柱には一本足打法の王選手のレリーフが貼ってあります。


「墨田区少年野球場前」の信号を渡って、大きく右に曲がる墨堤通りに沿って100mほど進むと「長命寺桜もち」の店があります。

「長命寺の桜もち」は、亨保2年(1717年)に初代が桜の葉の塩漬けを使った桜もちを考案し、長命寺の前で商ったのが始まりです。

正岡子規も愛したという桜もちは、桜葉を1枚ではなく、2〜3枚巻いてあるのが特徴で、食べずにその香りを楽しむのが「通」とのことです。


長命寺桜もち



長命寺



長命寺



長命水

「長命寺の桜もち」のお店の傍の階段を下りたところが長命寺です。

徳川3代将軍家光が墨水沿岸で鷹狩りを行った際、急に腹痛を起こし当寺で休息することとなった。

当時の住職が庭中にあった井戸水(般若水)を加持し、その水で薬を服用したところ、傷の痛みが止まったので、長命水と命名されたと伝えられています。


境内に、芭蕉の句碑は、全国で1500余を数えるといわれていますが、その中で

「いざさらば 雪見にころぶ 所まで」

と刻まれた、雪見の句碑は最も優れたひとつといわれています。

芭蕉の門人祇空はこの地に庵を造り、その後、祇空の門人祇特が、庵室に芭蕉蔵を安置し、芭蕉堂としました。そして、3世祇徳が安政5年(1858年)に庵を再興し、この句碑を建立しました。


芭蕉の句碑



墨堤通り



ここを右折

「長命寺」から「墨田区少年野球場前」の交差点に戻り、墨堤通りに沿って北東方向に400mほど進むと「向島高速道路入口」の交差点(五叉路)です。

「向島高速道路入口」から斜め右方向に坂を下り、20mほど進んだ右手にある車のやっと通れる程度の細い路地が「鳩の街通り商店街」です。

「鳩の街通り商店街」の旗が目印です。


鳩の街通り商店街は、昭和3年に設立された寺島商栄会から続く、約80年の歴史を持つ古い商店街です。東京大空襲をまぬがれたために、通りの道幅は戦前のままです。

昭和初期の木造建築物が残っていますが、商店街は歯の抜けたところもありやや寂しいです。

また、日曜日が休日のお店が多く、残念ながらこの日はシャッターが目立ちました。


ここを右折



鳩の街通り商店街



鳩の街通り商店街



木造長屋のカフェ

しかし、その一方で、歴史ある街を見直そうという動きも活発のようです。

古い商店を再生した喫茶店こぐまもその一つです。

昭和2年築の木造長屋のカフェで、戦前から薬局だった造りをそのまま活かしたノスタルジックな空間が特徴です。


おいしい珈琲と選りすぐりの中国茶、自家製ケーキと手作りごはんのセットがおすすめとのことです。

店内には昔からの薬棚を活用した棚ギャラリーやブックコーナーがあり、喫茶を楽しみながらのんびりとくつろぐことができるとのことです。


東向島1丁目交差点水戸街道



商店街



商店街



商店街

400mほど続く鳩の街商店街を通り抜けて「東向島1丁目」の交差点で水戸街道を横切ると、これまでと同じような細い路地が続きます。

この通りにも多くの商店がありますが、日曜日が休日のためか、シャッターが目立ちます。


400mほど進んで、「東向島2丁目」の交差点を横切ると、相変わらず細い路地が続きますが、住宅街となります。


東向島2丁目交差点



通りは住宅街に



高木神社



高木神社

「東向島2丁目」の交差点から200mほど進むと「高木神社」と「飛木稲荷神社」です。

「高木神社」は、古くは第六天社と呼ばれ、応仁2年(1468年)の創祀と伝えられています。旧寺島新田の鎮守として崇敬を集め、明治15年(1882年)村社に列格していました。



飛木稲荷神社


飛木稲荷神社は、暴風雨の際にイチョウの枝が飛んできてこの地に刺さり、いつの間にか亭々とそびえたという言い伝えから飛木稲荷神社と命名されています。

また、昭和20年(1945年)の東京大空襲で、ご神木はわが身を焦がし、懸命に炎を食い止め、町の延焼を防ぎ、多くの人達が助かりました。

ご神木は戦災を乗り越えて、数年を経て、緑の芽を吹き出しました。

このようにたくましく生き延びた縁起のイチョウで、「身代わり飛木の焼けイチョウ」と名付けられています。


飛木稲荷神社



見晴台への登り口

飛木稲荷神社から100mほど進むと「東武スカイツリー線」のガードがあり、その先が京成押上線の踏切です。

踏切を渡って右折し100mほど進んだ右手の階段を登ると見晴台になっています。

東京スカイツリーが眼前にそびえ建つ新しい散策スポットです。


見晴台の前方に広がっているのが「押上駅」の新しい駅前ターミナルです。

どこに来たのかと迷うほどの変貌ぶりです。

見晴台から駅前ターミナル側の階段を下りて、左手方向に100mほど進むと「押上駅前交番東」の交差点です。

その手前に地下鉄の「A1」入口があり、やっと自分の地理的位置を確認することができました。


見晴台と東京スカイツリー



見晴台からの押上駅前の展望



見晴台からの東京スカイツリー


京成橋からの東京スカイツリー



浅草通り

「押上駅前交番東」を右折して100mほど進むと「京成橋」です。

ここも東京スカイツリー撮影の定番スポットです。

十間川に沿って散策路が設けられており、東京スカイツリーの直下に行くことができますが、今回は業平橋から「押上駅前」の交差点で浅草通りを横切り、浅草通りに沿って西方向に100mほど進んだ「春慶寺」の手前を左折して、南方向に進みます。



浅草通りから錦糸町に向かう道路


300mほど進んだ右手が「業平公園」です。


都会の真ん中のオアシスといった感じです。

ここも東京スカイツリーの撮影スポットのようです。


浅草通りからの東京スカイツリー



業平公園からの東京スカイツリー



さらに500mほど進むと蔵前通りと交叉します。

蔵前通りと交叉する「右手前」が「すみだ江戸切子館」ですが、日曜日は休館日でした。


左折して次の「大平4丁目」の交差点を右折して200mほど進んだ左側が「錦糸公園」です。

「錦糸公園」の手前を左折して200mほど進んだ右手が「墨田区総合体育館」です。

墨田区総合体育館に墨田区名誉区民である王貞治の顕彰コーナーが開設されていました。

墨田区で過ごした幼少期の着物や、現役時代のユニフォーム・グローブなど、王選手や親族、友人の方から提供された貴重な品々と写真など約30点が時代ごとに展示されています。

特に展示されていた新聞記事を読むことにより、高校時代からの数多くのエピソードを知ることができました。

特に、春の選抜大会で優勝しながら、夏の甲子園大会に出場することのできなかった理由やその陰に隠されていたエピソードを読むと、若い時からの王選手の素晴らしい人柄を知ることができ、胸を打たれるものがありました。


オリナスタワー



墨田区総合体育館



錦糸町公園からの東京スカイツリー



オリナスタワー

「墨田区総合体育館」から錦糸公園の中を通り抜け、南の方向に100mほど進んだところが錦糸町駅です。

錦糸町駅ビルの中にある「テルミナインフォメーションカウンター」が今回のゴールです。


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        風来坊


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