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別所温泉散策 その1 (H24.8.5)


安楽寺八角三重塔(国宝)



上田電鉄別所温泉駅



上田電鉄別所温泉駅

別所温泉は「信州の鎌倉」と呼ばれる、上田市の塩田地区にあります。

塩田地区は千曲川の左岸に広がる数キロ四方の盆地で、肥沃な土地と温和な気候により、かつては塩田3万石といわれ、上田藩の穀倉でした。

塩田地区は鎌倉時代の執権北条氏の一族塩田北条氏の所領で、鎌倉時代に建てられた建造物や史跡が点在していることから、「信州の鎌倉」と呼ばれています。


塩田平を囲む山並みの西方にそびえる夫神岳のふもとに、この地方の古い歴史とともに、絶えまなく湧き続けて来たのが別所の温泉です。

この自然の出湯と人とのかかわりは、夫神岳の麓から古代の布目瓦が多数発掘されたことから、その古さが想像されます。

別所の温泉は昔から「七久里の湯」と呼ばれ、平安時代の有名な和歌集にもその名をとどめています。


丸窓電車



上田電鉄車内のつるし飾り

また、別所温泉は北条氏の居館であった塩田城にも近いことから、北条一族の来湯することも多かったのではないかと推察されています。

国宝八角三重塔のある名刹安楽禅寺は北条氏の開基によるところから、別所という地名は北条氏の別荘の意味であるとも言われています。


上田から上田電鉄別所線に乗車し約30分で、別所温泉の玄関である別所温泉駅に到着です。

別所温泉駅の開業は大正10年(1921年)で、レトロな駅舎は昭和期に建て替えられたもので、2008年に創業当時をイメージして改装されました。

趣ある洋館風の建物はこれまで多くのロケ地にも使われ、観光客のみでなく地元の人々にも愛されています。


別所温泉駅のつるし飾り



第3回全国つるし飾りまつり:あいそめの湯会場



信州の鎌倉・別所温泉

現在の別所駅は、別所温泉協会に窓口業務を委託する簡易委託駅となっています。

駅業務を担当する観光協会の女性職員は「観光駅長」名義で、和装制服の袴を着用して勤務しています。残念ながら写真を撮ることができませんでした。

また、駅構内には丸窓電車が保存されています。


また、別所温泉では「第3回全国つるし飾りまつり」が開催されていました。

江戸時代後期の上田地方では、初節句を迎えた女の子の健やかな成長を願って、厚紙を絹などで包み、刺繍を施した桜の花、鶴亀、海老や鳳凰などの「つるしもの」を贈る風習が盛んだったとのことです。

つるし飾りまつりでは、「上田のつるしもの」のみでなく「稲取雛のつるし飾り」「酒田の福傘」「柳川のさげもん」も飾られていました。


別所温泉街への道 右側の道



将軍塚



七苦難地蔵堂

別所温泉駅を出ると前方の道が2つに別れており、いずれも温泉街に行く道です。

右側の道に沿って緩やかな上り坂を200m程進むと、左手に将軍塚があります。

案内板に「塚は古墳時代後期に築造された周囲十米余、高さ三米余の円墳で当地方の有力な豪族の墓である。また、別に維茂塚とも言う。冷泉天皇の御世の安和2年(969年)信州戸隠山に「紅葉」と名乗る鬼女が住み、妖術を使って近隣を荒らし住民を苦しめていたのでこれを平定するため詔を奉じて北向観音に参籠祈願ののち首尾よく鬼女を討ち滅ぼした余吾将軍平維茂の塚と伝えられている。」と書かれています。



将軍塚から常楽寺に向かう石畳の道路


平維茂は祈願成就の後、感謝の意を表し4院60坊を開き安楽寺や常楽寺など多く堂宇を再建したと伝えられています。

また、将軍塚の斜め前方に七苦難地蔵堂があります。

将軍塚のある交差点を右折して、石畳の道を400m程進んだ正面が常楽寺で、右手が別所神社です。

将軍塚から常楽寺に向かう途中に仁王堂があります。


仁王堂



別所神社



別所神社の鳥居 額に「本朝縁結大神」

別所神社本殿は、塩田平をはじめ遠く浅間連峰が望める小高い丘の上にあります。

別所神社は、建久年間(1190年〜99年)に、紀州の熊野本宮大社から分祀したのが始まりとされています。

以来、熊野社と称していましたが、明治11年(1878年)に別所神社に改められました。


現在の本殿は天明8年(1788年)に建てられた、一間社隅木入春日造で屋根は瓦葺きです。

18世紀の神社本殿としては規模も大きく、建物全体に彫刻が施されるなど建築物としても優れ、上田市特定有形文化財に指定されています。


別所神社



別所神社からの展望



別所神社からの展望



別所神社の祠



別所神社の祠

本殿の背面に小さな祠が3基祀られています。

祠には男石、女石、子種石が祀られていることから古くから縁結びに御利益があるとされ、鳥居の額にも「本朝縁結大神」が掲げられています。

本殿より遅れて祀られたものと考えられていますが、民俗資料として価値があり、本殿と共に貴重なものです。



常楽寺本堂


常楽寺は、天台宗の古いお寺で、常楽・安楽・長楽という「別所三楽寺」の一つです。

長楽寺は焼失し、現在は北向き観音堂の参道入口に碑を残すのみとなっています。

常楽寺は北向観音をお守りする本坊で、ご本尊は「妙観察智弥陀如来」です。

常楽寺は北向観音堂の建立された天長2年(825年)に、比叡山延暦寺座主慈覚大師によって開かれ、その後塩田北条氏や海野氏が建て直したといわれています。


常楽寺への長い石段



石造多宝塔



常楽寺境内

安楽寺への階段を上がって最初に目に飛び込んでくるのは茅葺の本堂です。

平成15年(2003年)に修復工事を行った際、建立当時の建築様式に改められています。

堂内には当時そのままの色彩を残す格天井が美しく、また、ご本尊は阿弥陀仏には珍しい宝冠を頂いています。


本堂裏の北向観音の出現した場所に、弘長2年(1262年)の刻銘のある石造多宝塔が保存されています。

高さ2m85cmの安山岩でできている石塔です。

石造多宝塔は、鎌倉時代に天台教学の拠点として大いに栄えた常楽寺の歴史を証する貴重な文化財で、国の重要文化財に指定されています。


常楽寺美術館



常楽寺から安楽寺に向かい散策路 後方が安楽寺



案内板

「常楽寺」から「安楽寺」方面の案内板にしたがって、山の中腹の小高い道を進んでいくと塩田平を一望できる絶景ポイントがあります。

また、右手には昭和初期に農民運動・民主運動に活動した「タカクラ・テル」「山本宣治」の記念碑があります。



散策路からの景観 手前が別所温泉 前方の山が塩田平



山本宣治(中央)タカクラテル(右側)の記念碑



蓮池



記念碑の先の丁字路を右折し、右手に蓮池を眺めながら100m程進み、案内板にしたがって右手に入ったところが安楽寺です。




安楽寺本堂



安楽寺庫裏



安楽寺三門

安楽寺は天平年間(719年〜49年)に行基が建立した、あるいは天長年間(824年〜34年)に創立されたともいわれていますが、鎌倉時代以前の歴史は判然としていません。

安楽寺の存在が歴史的に裏付けられるのは、鎌倉時代、実質的な開山である樵谷惟仙が住してからです。


鎌倉時代に入ると執権である北条氏から庇護され鎌倉の建長寺との関係を深めることなどから、寺運も隆盛し信州での中心道場的立場であったといわれています。

しかしながら、安楽寺は鎌倉幕府が滅びると次第に衰退し、天正8年(1580年)高山順京が曹洞宗の寺院として再興しています。


安楽寺鐘楼



八角三重塔



八角三重塔


八角三重塔は塔高18.75mで、構造形式は八角三重塔婆、初重裳階付(もこしつき)、柿葺(こけらぶき)です。


この塔は日本に現存する唯一の八角塔であるとともに、全体が禅宗様で造られた仏塔としても稀有の存在です。

安楽寺の八角三重塔は、建築部材の年輪年代調査により1290年代に建立されたと推定される建物で、時代背景から領主だった塩田北条氏が寄進したものと考えられています。

江戸時代以前に建てられた現存する唯一の八角塔で禅宗様建築としては日本最古の建物とされ、昭和27年に国宝に指定されています。


八角三重塔



八角三重塔

組物(軒の出を支える構造材)を柱の上だけでなく柱間にも密に配する点(詰組)、軒裏の垂木を平行線状でなく放射状に配する点(扇垂木)、柱の根元に礎盤を置く点、頭貫(かしらぬき、柱頭を貫通してつなぐ水平材)の端に木鼻(彫り物)を施す点など、細部に至るまで禅宗様で造られています。

内部の天井の形式や八角の仏壇も他に類を見ないものです。

内部には禅宗寺院には珍しく大日如来像が安置されています。



黒門


安楽寺から別所温泉街に向かって進むと右手に「旅館七草の湯」があり、その傍に「黒門」があります。

「黒門」は安楽寺境内の入口にあたり、扁額の崇福山(そうふくざん)は安楽寺の山号です。

寺院には各寺号の外に山号があり、寺域全体がこれにあたるとのことです。


安楽寺座禅堂



七草の湯


関連するホームページ

 別所温泉観光協会


 別所温泉散策その2へ


       風来坊


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