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軽井沢観光会館
テニスコート通り
旧軽井沢銀座通りに戻り、チャーチストリート軽井沢から碓氷峠の方向に50mほど進むと、右手に「軽井沢観光会館」があります。 この付近から碓氷峠方面は車両通行が可能です。 「軽井沢観光会館」の手前を右方向に進む通りが「テニスコート通り」です。
軽井沢会テニスコート
「テニスコート通り」を100mほど進んだところが「軽井沢会テニスコート」です。 このテニスコートが、天皇、皇后両陛下のロマンスの場所として有名なテニスコートです。 現在でも、夏になれば皇室の方々の姿が見受けられるとのことです。 クラブハウスは軽井沢に多くの建築物を残した建築家ヴォーリズが設計したものです。
軽井沢ユニオン教会
テニスコートの南西端に「軽井沢ユニオン教会」があります。 軽井沢ユニオン教会は、夏、軽井沢に集まるプロテスタント系の宣教師たちのために建てられた教会で、ダニエル・ノルマン宣教師によって活動を開始しました。 もともと官営鉄道の高級技師用クラブハウスとして建てられた建物を買い取り、改装した後、現在の教会として使用されています。
諏訪神社
軽井沢ユニオン教会のテニスコートの反対側の道路を、森の方向に100m程進んだところに「諏訪神社」があります。 軽井沢郷の鎮守産土の神として、崇拝されています。 本殿は軽井沢宿が最も繁栄した元禄期に再建されたものです。
旧軽井沢銀座通り
神宮寺
旧軽井沢銀座通りに戻り、碓氷峠の方向に100mほど進んだ左手に「神宮寺」があります。 神宮寺とは、神仏習合思想に基づいて神社を運営していた仏教寺院です。 神宮寺は幕府や地方領主によって保護され、祈祷寺として栄えました。 しかし檀家をもっていなかったことから、明治時代の廃仏毀釈によって、そのほとんどの寺院が神社に転向したり消滅して急に数を減らしました。
軽井沢の神宮寺は、昔は旧碓氷峠の熊野神社付近にありましたが、寛文2年(1662年)に現在の地に移されたとのことです。 石畳の参道を入っていくと、境内には高さ15mほどの見事な枝垂れ桜があります。
つるや旅館
旧軽井沢銀座通りの一番奥にあるのが「つるや旅館」です。 創業は江戸時代初期で、中山道の休泊茶屋に始まり、明治時代からはリゾート地軽井沢が発展していく中で、西洋を漂わせた日本旅館として時を刻んでいます。 軽井沢らしい落ち着いた雰囲気のこじんまりとした旅館です。
旧中山道
「つるや旅館」を過ぎると、木立の中を進む道路となります。 旧中山道です。別荘が点在しています。 100mほど進むと右手に「芭蕉句碑」があり、少し先の左手が「軽井沢ショー記念礼拝堂」です。
芭蕉句碑
路線バス
「芭蕉句碑」は天保14年(1843年)に、軽井沢の門下生小林玉蓬によって芭蕉翁百五十回忌に建てられたものです。 句碑には雪が降り積もった白銀の朝を詠んだ 馬をさへ なかむる雪の あした哉 という句が刻まれています。
軽井沢ショー記念礼拝堂
アレキサンダー・クロフト・ショー胸像
アレキサンダー・クロフト・ショー記念碑
「軽井沢ショー記念礼拝堂」の裏手に「ショーハウス記念館」があります。 明治19年(1886年)、初めて軽井沢を訪れたアレキサンダー・クロフト・ショーは、この地を「屋根のない病院」と絶賛し、明治21年(1888年)に軽井沢で最初の別荘を建てました。 この別荘が「軽井沢の別荘」を生みだすもととなりました。
ショーハウス記念館
この別荘は、昭和初めに軽井沢教会敷地内に移築されましたが、昭和61年(1986年)に軽井沢ショー記念礼拝堂の傍に、ショーハウス復元委員会によって復元され、平成8年(1996年)に軽井沢町が寄贈を受け、現在に至っています。
アクセス 軽井沢駅から旧軽井沢銀座入口まで徒歩20分。 関連のホームページ 軽井沢観光協会 軽井沢観光情報 旧軽井沢観光ガイド
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