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鶴見散策 その2 (H24.10.20)


鶴見川



JR鶴見線鉄橋

貝殻浜から上流の鶴見川河岸は係船堀になっていて多くの漁船が係留されています。

魚河岸を支えている漁船ではないでしょうか?

貝殻浜から300mほど上流の橋がJR鶴見線です。



臨港鶴見川橋



臨港鶴見川橋から上流の展望 前方の橋は潮見橋


JR鶴見線の鉄橋の200mほど上流にあるのが「臨港鶴見川橋」です。

「臨港鶴見川橋」を渡り、最初の信号「臨港橋東側」を右折して道なりに200mほど進むとJR鶴見線のガードがあります。


JR鶴見線のガードの手前を左折



Y字路を右方向へ 中央が下野谷町公園



前方が鶴見小野駅 駅の手前を左折です

ガードの手前を左折すると道がY字型に分かれており、右側の道路を線路に沿って進みます。

Y字型の先が「下野谷町公園」でこの公園を左手に見て進みます。

500mほど進んだ踏切の傍が、JR鶴見線の「鶴見小野駅」です。


「鶴見小野駅」の手前を左折して、200ほど進んだ左手が「小野弁財天神社」です。

甲斐武田一族の小野氏が、武田滅亡後、汐田に移住しました。

この地は、東京湾からの風浪のためしばしば潮害が発生していたので、塩害を防ぐため、徳川5代将軍綱吉の頃に堤防の建設が進められましたが、この工事は難儀を極めます。

そこで、日頃信仰する江の島弁財天を分霊して、堤防の起点に祀ったところ、工事は順調に進み、防波堤は完成しました。


小野弁財天神社



小野弁財天神社

以来汐田の地は、潮害を蒙ることなく、人々は安全に家業に励むことができ、村人は代々この弁財天を厚く崇拝しました。また、漁業を営む住民はこの地の鎮守の神としてこれを崇め信仰しました。

大正11年(1922年)、臨港鉄道敷設に関連して、現在地に遷座し、その後町内有志の協力を得て現在地に社殿も建てられました。

小野弁財天は、毎年6月大祭を執りおこなっており、当地の鎮守神社としてますます住民たちの崇尊を集めています。


小野弁財天神社の境内には、「小野重行の像」があります。

現在の小野町は、小野高義、鱗之助親子が、江戸末期から明治初期に新田として埋め立て、孫の重行が宅地化した場所とのことです。

鶴見小野駅の名称も、小野氏が由来となった駅名とのことです。

中央本線の小野駅があるため、混同を防ぐために「鶴見小野」駅とされたとのことです。


小野重行の像



2つのガードを通り抜けて左折

小野弁財天神社のすぐ先の三叉路を右折すると100mほど先にガードがあります。

ガードの上を走っているのが、「首都高速横羽線」と「産業道路」です。



左折し側道に沿って進みます



上が首都高速横羽線、下が産業道路


ガードを潜って左折し、産業道路に沿って500mほど進むと「弁天町」の交差点です。

交差点を左折し、300mほど進むと正面が「旭硝子」の工場です。


JR鶴見線と旭硝子



JR鶴見線 弁天橋



JR鶴見線 弁天橋

「旭硝子」の手前を左折して100mほど進むとJR鶴見線の「弁天橋」駅です。

無人駅ですが、1日5千人程度の乗降客があります。

「弁天橋」駅の隣にJFEの工場があります。

JFEの手前を左折して300mほど進むと「汐入公園前」の信号で産業道路に戻ります。



入船公園野球場


入船公園は、京浜工業地帯の入口に位置し、都市防災と緑の環境が保てるように配慮された公園です。

野球場、テニスコート、自由広場、健康遊具などが整備されています。

この日は、鶴見区三大区民まつりの一つである「つるみ臨海フェスティバル」が開催されており、大勢の人で賑わっていました。


入船公園自由広場(後日撮影)



入船橋の交差点で産業道路を横切る

入船公園を出て、「入船橋」の信号で産業道路を横切り、100mほど進んだ「入船小学校入口」の信号を左折して200mほど進むと「仲通り商店街」です。

近隣の人々に親しまれている約50店舗からなる商店街で、地域のお祭りに協力してイベントを盛り上げているとのことです。



仲通り商店街


「入船小学校」から200mほど進んだ交差点(パチンコSEA が目印)を右折して200m程進むと「潮田交番前」の信号です。

信号からそのまま100mほど進んだ三叉路を左折して100mほど進んだ右手が「潮田神社」です。


仲通り商店街 この交差点を右折



潮田神社



潮田神社



潮田神社

「潮田神社」は、社伝によれば、景行天皇40年(西暦110年)日本武尊が東征の途中、相模から海上を上総へ向かわれた時、征途の安全、御守護を祈願して、海岸老松の鬱蒼とした潮田の地に小祠を奉斎したことに由来すると伝えられています。


潮田神社が現在地に遷座する以前は、東潮田が杉山社、西潮田が御嶽社を祀っていましたが、大正初期、京浜工業地帯の一大発展に伴い、耕地整備・区画整理による街造りの為、大正9年東潮田村の杉山社と西潮田村の御嶽社を合併し、潮田地区の中心地点である現在地に鎮座、潮田神社と改称されました。

6月の第一日曜日は潮田神社例大祭。鶴見区で最大級のお祭りといわれています。


潮田神社 海翁石



潮田公園

潮田神社の西隣が潮田公園です。

年間を通してテニスコート、野球場、図書館、青少年の家を利用することができます。

また、夏には幼児用プール、25mプールを利用することができます。

住民に親しまれている、開放的な多目的公園です。


潮田公園から西に100mほど進むと「潮田2丁目」の信号です。

右折して200mほど進むと「潮田公園入口」の信号があり、その手前に歩道橋があります。

この歩道橋の上からの眺めもなかなか素晴らしいです。


潮田2丁目の信号 ここを右方向へ



歩道橋からの北方向の展望 遠方の信号が潮田2丁目



歩道橋からの北方向の展望 前方の橋が潮鶴橋 



潮鶴橋

「潮田公園入口」の信号のすぐ傍が「潮鶴橋」です。

「潮鶴橋」からの景観も素晴らしいものがあります。

「潮鶴橋」から約500m下流の「潮見橋」までの左岸は、散歩道として整備された「潮鶴橋水際緑道」となっています。

路面には貝殻が埋め込まれ、歩道に沿ってベンチやパブリックアートなどが置かれていて、水辺を眺めながら散歩するのにとても良い雰囲気を醸し出しています。



潮鶴橋から上流の展望



鶴見川右岸の公園と河岸の遊歩道



ここを斜め右方向に

「潮鶴橋」を渡り左折すると公園になっています。

30mほど進むと右斜めに下りる遊歩道があり、遊歩道を抜けると中央分離帯のある広い道路に出ます。



鶴見駅に向かう広い道路


広い道路に沿って300mほど進むと「鶴見いちご地下道」があります。

地下道入口の前方を左右に走っている広い道路が「第一京浜国道」です。


歩道に



鶴見いちご地下道

地下道を利用して「第一京浜国道」を横切り、さらに200mほど進むと「京浜急行」のガードです。

ガードを通り抜けたところにある信号で道路を横切り、すぐに左折して200m程道なりに進んだところが、JR鶴見駅東口です。


ガードを通り抜けてそのまま道なりに進んでも、やや遠回りになりますが、鶴見駅東口に行くことができます。


 鶴見散策その1へ



      風来坊


京浜急行のガード


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