見立寺に、赤穂浪士の一員・矢頭右衛門七(討ち入り当時17歳)の妹の墓があります。
妹は矢頭兄弟の次女で、元禄15年(1702年)12月の討ち入りを前に、母親らとともに叔母の嫁ぎ先の奥州白川藩に向かい、討ち入り後に幕府に窮状を認められ、親類の多賀谷家の次男と結婚しました。
その後、白川藩主の国替えに伴い、上州厩橋へ、さらに川越へと移住、その時には70代になっていたと推定され、川越へ来た翌年に病没しています。
嵐のような激動の時代に、男社会の中で思いがけない運命をたどった女性の姿がまさに浮かび上がってくるようです。
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