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本庄駅前を西に向かいます
本庄駅
JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「笑門来福!笑う埴輪と武州本庄七福神めぐり」に参加しました。 サブタイトルは「江戸中期に中山道最大を誇った宿場町・本庄を七福神めぐりと笑う埴輪で笑顔・開運・街歩き」です。 細部説明は「3弁財天が特徴の9寺社を巡る七福神。パリでも展示された珍しい笑う埴輪。クーポンつきマップで本庄をお得にお楽しみ下さい。」となっています。
コースの概要は次のとおりです。 JR高崎線本庄駅→本庄市インフォメーションセンター→泉林寺→金鑚神社→佛母寺→安養院→慈恩寺→歴史民俗資料館→開善寺→本庄市役所→円心寺→大正院→城立寺→本庄駅 歩行距離約6km、歩行時間約2時間(施設での見学時間を除く)、所要時間約3時間(施設での見学時間を含む) です。 写真を撮りながら廻りましたが、所要時間2時間30分、約11000歩でした。
歓迎の看板
泉林寺
寿老人
受付終了後、本庄駅北口に出て、駅前の広場を左折し線路に沿って300mほど進んだ丁字路を右折して100mほど進むと「銀座1丁目」」の交差点です。 交差点を左折して200mほど進んだ右手が「泉林寺」です。 「泉林寺」は曹洞宗の寺院で、七福神の「寿老人」が祀られています。
「泉林寺」の少し先の信号を右折して100mほど進むと旧中山道です。 信号を左折し旧中山道に沿って200mほど進むと右手に赤レンガ造りの本庄市立図書館があります。 さらに100mほど進むと、右手に歴史的な建物が並んでいます。 この建物は、酒卸売・小森商店の建物でした。
本庄市立図書館
小森商店の蔵
本庄赤煉瓦ホール
小森商店は2009年に閉店しましたが、明治43年(1910年)に開店して以来、99年を経過した敷地の中には歴史的に貴重な蔵造りの建築物群があり、市民の要望により保存活用されることになりました。 敷地全体の再利用計画がスタートし、一番奥のレンガ蔵が改修工事により、2010年に「本庄赤煉瓦ホール」として再スタートしました。
「本庄赤煉瓦ホール」は、音楽の小ホール、ギャラリー、小劇場、貸しホールとして活用されています。 真ん中の白い蔵は、「二の蔵」で、醤油や味噌等の保管蔵だったそうです。 現在、「cafe NINOKURA」として活用されています。 引き立てのコーヒーやお酒、ご近所食材の食事を楽しむことができるコミュニティカフェとのことです。
二の蔵 cafe NINOKURA
休憩所
一の蔵
訪ねた時間が早かったためか、いずれも開店前でした。 道路沿いの建物が「一の蔵」です。 また、赤煉瓦ホールと一の蔵の間は、レンガ造りの休憩所として整備されています。
レンガ倉庫蔵造り
配布された「七福神めぐり」のMAPを見ると、蔵造りの建造物から旧中山道を200mほど進んだ左手に「レンガ倉庫蔵造り」の案内があります。 案内にしたがって中山道から路地を50mほどはいると、立派な赤レンガの塀及び赤レンガ造りの蔵がありました。 塀の中には入ることができませんので、建物の細部は不明です。
金鑚神社
金鑚神社大門
中山道に戻り50mほど進んだ右手が「金鑚(かなさな)神社」です。 金鑚神社は、中山道最大の宿場町とされる本庄宿の総鎮守です。 社伝によると、欽明天皇2年(541年)の創建です。
極彩色漆塗りの権現作り社殿は大門とともに市の文化財に指定されています。 幣殿には本庄宿の郷土画家によって、奉納されたみごとな天井絵が掲げられています。 また、御神木のクスノキは根回り10m、高さ20mあり、 北関東ではもっとも大きく、埼玉県指定の天然記念物です。 金鑚神社には七福神の「恵比寿尊」が祀られています。
恵比寿尊
佛母寺
銭洗い弁天
金鑚神社の先の交差点を右折し、最初の交差点を右折して金鑚神社の裏手に回ると、左手が「佛母寺」です。 佛母寺は高野山真言宗の寺院で、七福神は「銭洗い弁天」です。
安養院
佛母寺から出て左折し、道なりに500mほど進むと、左手が「安養院」です。 安養院は、室町時代中期の文明7年(1475年)、本庄信明の開基により、兄行重が結んだ庵を上州沼田から招いた玉岑慶珠が開山となって寺としたのが始まりと伝えられています。
毘沙門天
戦国時代には本庄氏の衰退とともにこの寺も荒廃し、その後、泰山が入寺して中興されました。 七福神の「毘沙門天」を祀る安養院は、江戸時代には25石の御朱印を拝領した本庄宿で最も大きな木造建築物であり、総門、山門、本堂は安養院伽藍として市の文化財に指定されています。
老舗のようです!
安養院を出て50mほど進んだ信号を左折し、300mほど進んだ左手が「阿夫利天神社」です。 阿夫利天神社は、寿永年間(1182〜1184年)に頼朝に仕えた領主・庄太郎家長が尊崇していた相模国の大山阿夫利神社(丹沢大山)を領地内に勧請したのが始まりと伝えられています。 家長は備中国に移りましたが、残った一族が本拠地の庄氏ということで本庄と名乗ったのは、地名の由来とのことです。
阿夫利天神社
阿夫利神社は山の神・雨乞いの神、天神社は学問の神様で、大正2年(1913年)に大改修し、その2つを合祀したので、阿夫利天神社といわれています。 水を恵む神様に御神酒をあげ感謝する「御神酒上げ神事」が行われます。
賀美橋
阿夫利天神社から下り坂を100mほど進んだ左手が「若泉第一公園」です。 河川改修工事によって、蛇行していた旧・元小山川の流路は元小山川から切り離され、流路に沿った場所が若泉第一公園、若泉第二公園として整備されています。 これらの親水公園は水辺の散歩道と称され、自然の地形を巧みに利用したレイアウトとなっています。
若泉第一公園
この若泉第一公園の傍に、親柱と欄干に独特な意匠が施された賀美橋があります。 建設年代は不明ですが、竣工は昭和初期と推定されています。 親柱の上には日本家屋風の飾りが2段に置かれています。 最下段の日本家屋と柱頭の間には白いタイルが貼られ、その下には蛇腹(迫り出し)が設けられています。
慈恩寺
賀美橋を渡り、50mほど先を右折して道なりにUターンし、坂道を上って300mほど進むと右手に「慈恩寺」と「歴史民俗資料館」があります。 慈恩寺は、真言宗智山派の寺院で、七福神の「銭洗い弁天」が祀られています。
歴史民俗資料館
歴史民俗資料館の展示品
歴史民俗資料館の建物は、明治16年(1883年)に建てられたモダンな西洋建築で、埼玉県の有形文化財に指定されています。 この建物は、昭和10年(1935年)までは本庄警察署として利用され、その後、本庄消防団本部、簡易裁判所、区検察庁、本庄公民館、図書館を経て、昭和55年(1980年)11月に資料館となりました。 中山道本庄宿に関する資料のほか、本庄市の出土品などの資料が展示されています。
歴史民俗資料館の前に、本庄宿の北本陣といわれた田村本陣の門があります。 本陣は宿場を往来する大名や幕府役人などの公用旅館です。 文久元年(1861年)11月11日、皇女和宮は降嫁の際、田村本陣に宿泊しており、この門をくぐったと伝えられています。
田村本陣の門
旧中山道
電気館カレー
歴史民俗資料館から南方向に100mほど進むと丁字路で左右の通りが旧中山道です。 丁字路の右手前に「中山道辛味処 電気館カレー」があります。 丁字路を左折して100mほど進むと「中央1丁目」の交差点で、その傍に「仲町郵便局」があります。
「仲町郵便局」は「旧本庄郵便局」で、秩父セメントの創始者である諸井恒平(泉衛の子)が昭和9年(1934年)に建築したもので、当時世界的に流行したアールデコ調に仕上げられ、昭和初期の地域における歴史的景観といえるもので、国登録有形文化財に指定されています。
仲町郵便局
開善寺
布袋尊
仲町郵便局から30mほど進んで左折し、細い路地を北方向に100mほど進むと「開善寺」です。 開善寺は、天正19年(1591年)本庄城主小笠原信嶺が開基し、球山宗温和尚の開山です。 本尊は聖観世音菩薩です。 七福神の「布袋尊」が祀られています。
本庄市役所
円心寺山門
円心寺本堂
円心寺は、浄土宗の寺院で、本庄城主の小笠原信之が亡き母の菩薩を弔うために天正9年(1581年)に建立されたと伝えられていますが、信之の養父である小笠原信嶺が本庄を領したのが天正18年であることを考えれば、天正19年(1591年)の誤りと考えられます。
慶長8年(1603年)、信之は実父の酒井忠次のために堂宇を建立、慶長14年(1609ねん)に、圓心房を呼び、開山させます。 山門は天明年間に建てられたと伝えられ、その色から赤門の名で地元の人たちに親しまれ、参詣の対象となっています。
本堂は2回焼失していますが、山門は火災を免れています。 現在の本堂は平成年間に新築されたものです。 七福神の福禄寿が祀られています。
福禄寿
大正院
円心寺から100mほど南に進むと旧中山道です。 左折して中山道を100mほど進んだ信号の少し先を右折すると「大正院」です。 成田詣でが盛んだった江戸時代は、本庄からも沢山の人々が参詣のために利根川を下っていました。
参詣者は「本庄で成田詣でをしたい」と願い、それを受けて成田山新勝寺の本尊の御分霊を大正院に安置したのが始まりです。 七福神の銭洗い弁財天が祀られています。
戸谷八商店
大正院から旧中山道に戻り、左折して古い町並みを眺めながら西方向に進みます。 大正院から300mほど進むと右手に「戸谷八商店」があります。 店の看板を見ると、永禄3年(1560年)創業の陶磁器店のようです。 老舗だけあって敷地も広く、奥の方には立派な蔵もあります。 この日は営業していない感じでしたが、店の前にはさまざまな陶磁器が並べられていました。
細い路地の商店街を進みます
「戸谷八商店」から100mほど進んだ「中央1丁目」の交差点を左折し、150mほど進んだ信号のない交差点を左折すると、狭い路地の商店が並んだ商店街となります。 寒い冬の日曜日の午前中だったためか、人通りはあまりありませんでした。
商店街の入口です
城立寺は工事中
商店街を300mほど進んだ右手が「城立寺」です。 城立寺は日蓮宗の寺院で、寄居の鉢形城主北条氏邦が天正年間(1573〜1592年)、 鉢形城の中に諸堂を建て祈願所とし城立寺と改修したのが始まりです。 明治31年(1898年)、本庄市銀座の現在地移転、日蓮教団の中心的なお寺として整備されてきています。
5月22日には、城立寺薬師如来御開帳春季大祭が行われます。 七福神の「大黒尊天」が祀られています。 城立寺から約200mでゴールの本庄駅です。 「武州本庄七福神」でしたが、本庄の七福神は9霊場で、三弁天が特徴とのことで、9つの霊場を巡りました。 風来坊
大黒尊天