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東武浅草駅
「吾妻橋」から「吾妻橋交差点」を横切って100mほど進むと雷門で、右折すると仲見世通りです。 今回は「浅草橋交差点」を横切って右折し、100mほど進んだ左手の「新仲見世通り」を経由して仲見世通りに入りました。
新仲見世通り
仲見世通り
仲見世通りを進んだ正面が「浅草寺」です。 「浅草寺」は飛鳥時代の推古天皇36年(628年)の開創と伝えられる都内随一の古刹で、聖観音宗の総本山です。 浅草神社に祀られている檜前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁労中に感得した秘仏・聖観世音菩薩を本尊としています。
宝蔵門
浅草寺の境内には雷門や宝蔵門、五重塔など浅草を象徴する建物が多くあります。
浅草寺本堂
浅草寺宝蔵門から雷門方向に100mほど戻った左右の通りが伝法院通りです。 伝法院通りの入り口には門柱が建っており、それぞれの門柱には浅草寺宝蔵門で実際に使われていた鬼瓦が取り付けてあります。
五重塔
伝法院通り 左右に門柱
伝法院通り
伝法院通りに入ると、仲見世通りとは雰囲気が大きく変わり、江戸の街並みを模した商店街が並んでいます。 200mほど続く伝法院通りには、名所や見所が沢山あるとのことです。
伝法院通りに入ると、仲見世通りとは雰囲気が大きく変わり、江戸の街並みを模した商店街が並んでいます。 200mほど続く伝法院通りには、名所や見所が沢山あります。
伝法院通りの紹介を見ると、「地口行灯、伝法院、鼠小僧、瓦化粧競、落語三題、看板揃、火の見櫓、善玉悪玉、江戸八人衆、鎮護堂、白波五人男、門柱」などの見所があげられていますが、今回の散策ではほとんどチェックできていません。 視線をもう少し高くして、建物をチャックしながら歩く必要があるようです。
趣のある商店街を眺めながら西方向に100mほど進むと伝法院です。 伝法院は浅草寺の本坊で、客殿、玄関は安永6年(1777年)の建築で、客殿は山内二十四ケ寺の住職の修行道場であり、写経の会などもここで行われています。 門内は一般非公開となっています。
伝法院通り 鼠小僧見っけ
伝法院のとなりに鎮護堂があります。 鎮護堂は通称「お狸(たぬき)さま」と呼ばれ、火防、盗難除けの守護神として知られています。 明治16年(1883年)浅草寺中興第17世貫首・唯我韶舜大僧正が、夢告により境内に棲む狸を「鎮護大使者」として、伝法院の守護として祀ったものです。 「明治維新に彰義隊と官軍が上野の山で戦った時に逃げ出したいたずら狸が浅草奥山に住みついた。自分たちを保護してくれれば、いたずらせずに伝法院を火災から守る。という約束をときの住職とした」と伝えられています。
鎮護堂
当初は伝法院の鎮守として祀られましたが、福徳を願う信者の参詣は多いので、一般にも開放されました。 現在のお堂は、大正2年(1913年)に建立されたものです。 毎年3月17日に「鎮護大使者御祭礼」が行われます。
水地蔵 後方は伝法院庭園
手水鉢(人気の泉)
護摩堂赤門
鎮護堂の入口にある赤門は、明治維新の折、寛永寺内に15代将軍徳川慶喜が一時謹慎蟄居した際の建物の門で、葵門とも称されています。 また、昭和53年(1978年)に建立された水子地蔵尊では、毎月24日午前10時に水子供養法要が行われます。 また、境内に歌舞伎の市川一門により奉納された手水鉢があります。
変則五叉路 右前方が六区通り
鎮護堂から50mほど進むと道が三方に分かれていますが、真ん中の「六区通り」を進みます。 この通りも風情のある建物が並んでいます。 「六区通り」を通り抜けた五叉路の左手に「浅草東洋館」があります。
六区通り
浅草東洋館
「浅草東洋館」の歴史は、昭和26年(1961年)に開業した「浅草フランス座」に始まります。 ストリップ劇場であった浅草フランス座には、永井荷風も熱心に通っていたとのことです。 その後、「浅草フランス座」は3度の開館、閉館を繰り返した後、平成11年(1999年)に閉館しました。
浅草フランス座を改装して、平成12年(2000年)に浅草東洋館としてオープンしました。 落語を中心とした浅草演芸ホールと、いろもの専門劇場の浅草東洋館の二人三脚で営業を続けています。 浅草東洋館を左手に見て100mほど進むと「浅草六区入口交差点」です。
かっぱ橋本通り
国際通り
本山東本願寺
左右に走っているのが国際通りで、交差点の向かい側が「かっぱ橋本通り」の入口です。 「合羽橋交差点」から真っ直ぐ進むとここに出てきます。 「浅草六区入口交差点」を左折して国際通りに沿って500mほど進んだ、「寿4丁目」の交差点を右折し、浅草通りに沿って200mほど進むと、右手が「本山東本願寺」です。 「本山東本願寺」から100mほど進んだ「菊屋橋交差点」の右手が「かっぱ橋道具街」です。
かっぱ橋道具街
「かっぱ橋道具街」はこの「菊屋橋交差点」から言問通りまで約800m続いているのです。 「かっぱ橋道具街」の南側入口の左側の「ニイミ洋食器店」があり、その屋上には巨大なコック像「ジャンボコック」が据え付けられています。
下谷神社
「菊屋橋交差点」から浅草通りを600mほど進んだ「下谷神社前」の信号を左折すると「下谷神社」です。 「下谷神社」は、お稲荷様として知られる「大年神(おおとしのかみ)」を祀る神社です。 天平2年(730年)開創と伝えられる古社です。
寛政10年(1798年)に江戸で初めて寄席が行われた由緒ある地で、境内に「寄席発祥の地」の石碑が建立されています。 「下谷神社」から浅草通りに戻り、次の「東上野3丁目」の信号を左折し、300mほど進んだ最初の信号を右折すると、左手に永寿総合病院があります。
ここを左折です
永寿総合病院や上野ターミナルホテルを左手に見ながら、300mほど進むと前方に首都高速道路のガードがあり、その下が昭和通りです。 高速道路の50mほど手前を左折して100mほど進んだところが「東上野コリアタウン」です。
東上野コリアタウン
「東上野コリアタウン」は、東京都内で最古のコリアタウンです。 昭和23年頃に、御徒町商店街より枝分かれして、「上野親善マーケット」として現在の場所に、焼肉店、キムチ店、肉店、民族衣装店等が集まったことに端を発しています。
地下道ではありません 横断歩道です
「東上野コリアタウン」を通り抜けて50mほど進んだ交差点を右折して50mほど進むと昭和通りです。 地下を潜って昭和通りを横断し、100mほど進むと「アメ横商店街」です。 こんな横断歩道があるの? といった感じの横断歩道です。
アメ横商店街
「アメ横商店街」は、台東区のJR御徒町駅、上野駅間の山手線高架西側と高架下に沿って細長く伸びる商店街で、正式名称は「アメ横商店街連合会」ですが、アメ横などの略称で呼ばれることが多く、商店街の看板も「アメ横」と表示されています。 街並みは約400mで、400軒以上の店舗で構成されています。
戦後、闇市となり様々な物品が売られていましたが、特に飴を売り捌くお店が200軒以上あったことから、「アメヤ横丁」と呼ばれ、それが略されて「アメ横」と呼ばれることが多くなったようです。 現在でも、「アメ横商店街」には、飴などの菓子類を売る店も存在しています。
現在は食品(主に魚介類や乾物)、衣類、雑貨、宝飾品などの店が業種ごとに集中しています。特に年末には正月用の生鮮食品などを買い求める人たちでごった返し、普段は商店街の端から端まで歩いて十分程度のところがこの時期は数十分を要するほどの様相を呈します。 この様子は報道番組やワイドショーを中心としてテレビやラジオで年の瀬の風物詩として中継されています。 年末が近づくと多くの店が正月用の食品を取り扱うようになり、洋品店なども店を閉めて間貸しするため、商店街は様変わりします。
年末には毎日1日当たり50万人程度の人出があり、日本各地から観光客が押し寄せます。 平日でも10万人程度の人出があります。 日本各地にある商店街と異なり、地域密着型ではないのが特徴です。 「アメ横商店街」を北方向に抜けるとJR上野駅(ゴール)です。
上野駅からの下町散策 その1へ 風来坊
上野駅傍