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鑁阿寺(ばんなじ)
鑁阿寺 山門及び反橋
鑁阿寺 楼門
「鑁阿寺(ばんなじ)」は、源姓足利氏2代目義兼が建久7年(1196年)邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりとされています。 その後、3代目足利義氏が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。 寺伝によれば、義兼により開創され、開山は理真上人です。
中世は足利氏の庇護の元寺運が隆盛し支院は12頭を数え、南北朝時代の終わり頃には、鎌倉の鶴岡八幡宮の別当になりました。 足利氏の衰退とともに一時衰え豊臣秀吉の兵火などあり堂宇の一部を焼失しましたが、天正19年(1591年)徳川家康が寺領60石を寄進し鑁阿寺を再興します。
鑁阿寺 お堀端
本堂
多宝堂
江戸時代に入っても歴代将軍に庇護され特に5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院は元禄5年(1692年)に多宝塔を造営しています。 鑁阿寺は大きな火災など少なかったため、本堂や鐘楼など古くからの建築が残り、寺宝なども多数所持しています。
鐘楼
経堂
御霊屋
また、境内は鎌倉時代に築かれた足利氏の居館跡で水掘や土塁など良好に保存されていることから、大正11年(1922年)に「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されています。
不動堂
蛭子堂
大西堂
鑁阿寺境内のイチョウ
鑁阿寺境内の紅葉
春は桜、秋はイチョウの黄葉が素晴らしく、市民には「大日様」と呼ばれ親しまれています。 本堂左手の大きなイチョウは樹齢600年の古木です。
鑁阿寺のお堀
「鑁阿寺(ばんなじ)」を出て、お堀に沿って右手方向(西方向)に進むとお堀が終了するところが丁字路になっています。 しかし、ここは変則的な四叉路になっており、左に5m程進むとさらに西に進む道に入ります。
北の方向のお堀
織姫神社前歩道橋から東方向の展望 右側が鑁阿寺から歩いてきた北仲通り
織姫神社前歩道橋から西方向の展望 右上が織姫神社
織姫神社前交差点の歩道橋
これが北仲通りであり、点在している古い建物を眺めながら500m程進んだところが「織姫神社前」の交差点です。 交差点にある朱色の歩道橋を渡ったところが「足利織姫神社」入口で、その先に石段が続いています。
足利織姫神社
石段の中央に「ようこそ 足利織姫神社へ 境内まで229段 えんむすび坂からも登れます(正面階段よりも楽です)」の掲示がありました。 足利音頭に『足利来るなら織姫様の 赤いお宮を目じるしに カラリコトントン カラリコトン 足利絵の街 機の街』と歌われた足利織姫神社ですが、229段が連続している正面石段は歌のように、トントンとはなかなか登れません。
足利織姫神社への案内板
足利織姫神社の紅葉
織姫神社まであと少し
足利織姫神社は1300年の歴史と伝統を誇る古社で、足利の機織りの守護神として、足利の産業を信仰面で支えてきた文化遺産ですが、現在では産業振興とともに縁結びに神様として足利市民に広く親しまれています。
足利織姫神社は明治12年に建てられましたが、翌13年に火災により焼失してしまいました。 その後、昭和9年に再建に着手、当時では珍しい鉄筋コンクリートで3年の歳月をかけて昭和12年に現在の社殿が完成しました。 神楽殿などとともに国の有形文化財に登録されています。
229段の階段を登り切ると正面に美しい朱塗りの社殿が現れます。 また、後方を振り返ると、足利の街並みのみでなく、関東平野を一望に見渡すことができて気分爽快です。 また、足利織姫神社は、県立自然ハイキングコースの出発点にもなっています。
足利織姫神社からの展望
足利織姫神社の石段を下り、そのまま信号を渡って100mほど直進し、「織姫交番前」の信号を左折すると中央通りに出ます。 古い建物が点在する中央通りを進んでいくと道の右側に足利商工会議所・友愛会館が建っています。
中央通りの建物
中央通り
足利商工会議所・友愛館
旧足利銀行本店の建物を改装して利用しているもので、地下1階には足利の観光や産業、歴史について紹介する「足利まちあるきミュージアム」があります。 足利商工会議所からさらに進んだ「通2丁目」の交差点を右折して、渡良瀬川を渡ったところが東武伊勢崎線の足利市駅です。 「通り2丁目」の交差点を直進して500m程進んだところが「JR足利駅入口」の交差点です。
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