散策スポット目次
HOME
前ページ
次ページ
南禅寺の紅葉 三門
永観堂から案内板にしたがって道なりに300mほど進むと南禅寺です。 秋には約4万5千坪の広大な境内が、紅葉一色となります。 方丈庭園や三門に登るには拝観料が必要ですが、その他の境内は自由に散策することができます。
南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山で、正式名称は瑞龍山大平興国南禅禅寺です。 鎌倉時代の正応4年(1291年)に、亀山上皇が離宮を施捨して禅寺とし、大明国師を開山にしたのが始まりです。 日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもっています。
三門
南禅寺の紅葉 三門からの展望
南禅寺の紅葉 三門からの天授庵
三門 南禅寺の三門は、石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」と見得を切る話の舞台になっている場所として有名です。 三門は、別名「天下竜門」と号し、2層からなる高さ22mの壮大な楼門で、上層の楼は五鳳楼と呼ばれており、日本三大門の一つに数えられています。 現在の三門は伊勢伊賀の領主、藤堂高虎が寛永5年(1628年)に、大阪夏の陣に戦没した藩士の霊を弔うために建立寄進したものです。
楼上には大仏師左京の作による釈迦像、十六羅漢像が安置されております。 拝観料500円を支払って楼上に上ることができます。 楼上からは、石川五右衛門と同様の気分を味わうことができます。 「絶景かな絶景かな 春の眺めは値千金とは小さなたとえ この五右衛門の目からは値万両」
南禅寺の紅葉 三門から法堂を望む
法堂
法堂(はっとう) 三門の後方に建っている伽藍が法堂です。豊臣秀頼の寄進した法堂は明治28年に焼失し、明治42年に現在のものが建立されています。 内部には中央に釈迦如来像、獅子に騎った文殊菩薩、象王上の普賢菩薩の三体がまつられています。 明治42年の創建以来80余年を経て、雨漏りがするようになり、平成2年、開山大明国師700年大遠忌記念行事として、屋根茸替え工事及び敷瓦取り替え工事が行われました。
南禅寺の紅葉
本坊・方丈 法堂の後方の一段高いところに建っているのが本坊及び方丈です。 本坊は常住とも呼び衆僧生活の場であり、正面を入ると”照顧脚下”(足もとを見よ)と禅の教えを示す文字が目に写ります。 本坊に入るには拝観料500円が必要です。
大方丈は前庭に面したこけら葺の建物で、天正年間に豊臣秀吉が建造寄進した御所の清涼殿を、慶長16年(1611年)御陽成天皇より拝領移建したものです。 日本建築(寝殿造り)の最も美しい豊かさをもった構築が見られ、小方丈と共に国宝に指定されています。 内仏は重文の平安時代作の聖観世音菩薩立像であり、襖絵は狩野元信、永徳の作です。
南禅寺小方丈の紅葉
小方丈は清涼殿に接続された後方の建物です。 本坊の左手にあたり、普段は使われない大玄関があります。 桃山城の小書院を移したもので、襖絵は狩野探幽の傑作といわれ、「水呑の虎」の図が特に名高いです。
方丈庭園
方丈庭園 大方丈(清涼殿)の広縁の前に広がっているのが、代表的な禅院式枯山水の方丈庭園です。 清涼殿、庭園、借景の羊角嶺大日山等の山並と3者がよく調和した、優雅枯淡で品格のある庭園です。 巨石の姿から、俗に「虎の児渡し」と呼ばれ、江戸初期以降に見られる樹木と石組みを1ヶ所にまとめた有数の名園であり、慶長年間小堀遠州の作庭といわれています。
水路閣
水路閣 琵琶湖疏水は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路です。 滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通り京都市東山区蹴上までの区間です。 疏水の工事は明治14年(1881年)4月に初めての測量が行われ、明治18年(1885年)6月に起工、明治23年(1890年)4月に竣工した、9年にも及ぶ大事業です。
水路閣は、この疎水事業の一環として施行された水路橋で、延長93.17m、幅4.06m、水路幅2.42mです。 レンガ造り、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の一つとなっています。
また、水路閣から西500mにあるインクラインは、高低差のある蹴上げの舟だまりと南禅寺の舟だまりを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き、艇架台により舟を運ぶ施設で、当時の舟運による交通事情がよくうかがえる施設です。 関連のホームページ 南禅寺
天授庵の紅葉
天授庵は南禅寺の開山の大明国師をお祀りする南禅寺の開山塔です。 鎌倉時代の正応4年(1291年)に、亀山上皇が離宮を施捨して禅寺とし、大明国師を開山にしたのが、南禅寺の始まりです。 しかしながら、大明国師は離宮を賜って禅寺としましたが既に老境にあり、未だ寺としての構造が整わない、正応4年12月に東福寺で80才の生涯を終えました。
禅寺としての構基を整備したのは、その大部分が第2世の南院国師の功績であったため、大明国師の没後数十年間は開山塔も建設されませんでした。 南禅寺第15世の虎関師錬がこの状態をいたく嘆き、朝廷の勅許を得て、暦応3年(1337年)に始めて南禅寺に開山塔を建立しました。 これが天授庵の開創です。
しかしながら、南禅寺大火が類焼し、幾ばくもなく再び応仁の兵火に見舞われ、その後は復興されることもなく興廃のまま130年余が経過しました。 慶長7年(1602年)に細川幽斎の寄進によって、現存する本堂、正門、旧書院を始め諸堂が再建され、今日に至っています。
本堂 優雅な柿皮葺屋根を持つ建築で、光厳帝御銘の霊光塔を復興したものです。 中央に開山大明国師等身大の木像を安置し、一隅に幽斎夫妻を始め細川家歴代の位牌所があります。 本堂襖絵は長谷川等伯の筆であり、32面全てが重要文化財に指定されていますが、残念ながら非公開です。
庭園 本堂前庭(東庭)と書院南庭の2つがあります。 東庭は枯山水で正門より本堂に至る幾何学的な石畳を軸として、数個の石と白沙を配し、これに緑苔を添えています。
書院南庭は池泉廻遊式庭園です。 南禅寺三門のすぐ隣ですが、比較的訪れる人も少なく池を巡る散策路は静寂そのものです。この庭園は、鎌倉末期から南北朝時代の特色を備えているといわれています。
京都の紅葉その1(永観堂) 京都の紅葉その3(高台寺・円山公園) 京都の紅葉その4(清水寺) 風来坊